第8話 愛の終焉
【SCP-NUK-04 音声ログ:対象との直接接触】
対象: SCP-NUK-04(中心核)
観測者: サイト-███ 主任研究員(現在、対象内部へ侵入中)
Note:
対象の周囲では物理法則が崩壊しており、「感情の定義」のみが現実を構成している。
これより記録される会話は、音声ではなく精神感応による直接対話である。
シーン1(終末の光景):色褪せた地獄
私は光の渦の中を落下していた。
眼下に見える地上は、もはや私の知る世界ではなかった。
建物は無傷だ。だが、そこにあるはずの「熱」が完全に消え失せている。
瓦礫の下敷きになった老人を、若者が無表情で見下ろし、持っていた水を奪って歩き去る。
誰も咎めない。誰も怒らない。
(なんて静かな地獄だ。Apollyon級の脅威とは、破壊じゃない。
人間性の完全な枯渇だ)
愛が消えた人類は、獣ですらない。
獣には群れを守る本能がある。今の人間にあるのは、
ただ自分の呼吸を続けるだけの、乾いた生存機能だけだ。
私は、その元凶であるSCP-NUK-04の中心核へと着地した。
そこは、どこまでも続く真っ白な部屋だった。
その中央に、彼女はいた。
マリアの姿をした、巨大な愛のブラックホール。
彼女は泣いていた。その涙が地面に落ちるたびに、地上のどこかで誰かの愛が消滅していく。
『……愛シテ』
彼女が私を見る。その瞳には、底なしの飢餓があった。
『創設者(あの人)ハ、私ヲ愛シテクレタ。私ダケヲ見テ、私ダケノタメニ世界ヲ捨テタ。
……ナノニ、ドウシテ今ノ人類ハ、私ヲ満タシテクレナイノ?』
彼女の嘆きが、物理的な衝撃となって私を打ち据える。
(彼女は知らないんだ。創設者の愛が、どれほど歪んだ「執着」だったかを。
彼女にとっての正義は、世界を犠牲にしてでも一人の女を保存すること。
それが愛だとプログラムされている)
「お前は悪くない」
私は血の味のする口を開いた。
「お前は、愛されたかっただけだ。だが、その愛し方はもう、この世界には狭すぎるんだ」
シーン2(制御 vs. 再定義):創設者の安全装置
私は彼女の足元にある、システムの制御コンソールへと走った。
前回(第6話)で手に入れたアクセス権限を使い、深層領域を開く。
そこには、創設者が万が一のために残した「最終手段」が隠されていた。
画面に表示されたコマンドは二つ。
一つは、【愛の総量規制(Safeモード)】
創設者の幽霊のようなメッセージが流れる。
『愛が暴走するなら、愛を小さくすればいい。
感情の振れ幅を制限し、誰も深く愛さず、誰も憎まない、穏やかな世界。
それなら、私のマリアも眠りにつくだろう』
(なんて誘惑だ。愛を管理し、去勢する。そうすれば、もう二度とアランのような悲劇は生まれない。紛争も、失恋の痛みも、喪失の絶望もない、安全で退屈な楽園)
私の指が、そのボタンの上で震える。
正直に言えば、疲れていた。
家族を失い、世界に裏切られ、それでも戦い続けることに。
(このボタンを押せば、すべて終わる。
私も、亡くした家族への痛みを忘れて、穏やかに生きられるかもしれない)
だが、それが本当に「救済」なのか?
痛みを取り除くために、心そのものを殺すことが?
シーン3(アランの返書の力):翼をくれる言葉
私は懐から、あの一通の手紙を取り出した。
前に(第7話)発見した、アランの返書。
創設者の計算式には存在しなかった、未知の因子。
古びた紙を開く。
そこには、創設者の「管理」とは正反対の言葉が綴られていた。
『私の愛は鎖ではない。翼だ』
『失敗してもいい。傷ついてもいい。君が君自身の足で立ち、誰を愛し、誰と生きるかを決めること。その自由こそが、私が守りたかった君の未来だ』
私の視界が滲む。
(そうだ。アランは、マリアを「安全な箱」に閉じ込めようとはしなかった。
たとえ自分が忘れ去られることになっても、彼女が世界で傷つき、
それでも笑って生きることを願った)
創設者は愛を「制御」しようとした。
だが、アランは愛を「解放」しようとした。
私が選ぶべきは、どちらだ?
安全だが、色のない世界か。
危険だが、鮮やかな痛みに満ちた世界か。
私は、創設者の用意した【総量規制】のボタンを、拳で叩き割った。
「……ふざけるな。俺たちは家畜じゃない」
私は、コンソールの入力端子に、アランの手紙を突き刺した。
(俺が書き換えてやる。この腐ったシステムの根幹を。愛の定義そのものを!)
私は、もう一つのコマンド、隠されていた【SCP-NUK-05:概念再定義】を起動した。
「マリア! よく聞け! これが、お前を縛る鎖を断ち切る、本当の愛の言葉だ!」
シーン4(準備):世界を受け入れる覚悟
システムが咆哮を上げる。
アランの手紙から読み込まれたデータが、光の奔流となってNUK-04へと流れ込む。
『イヤ……! ナニコレ……熱イ、痛イ……!』
NUK-04が激しく抵抗する。
彼女にとって、「自由」という概念は未知のウイルスだ。
「誰のものでもなくていい」という許可は、
彼女には「見捨てられる」という恐怖にしか感じられない。
『私ヲ捨テナイデ! 独リニシナイデ!』
空間が亀裂だらけになり、崩壊が始まる。
このままでは、再定義が完了する前に、世界ごと吹き飛ぶ。
(まだ足りない。アランの言葉だけじゃ、彼女の数百年分の孤独を埋められない。
この再定義を完成させるには、それを肯定する「圧倒的な感情の質量」が必要だ)
私は、崩れゆく足場で踏ん張った。
必要なのは、否定でも、制御でもない。
この理不尽で、残酷で、どうしようもなく悲しい世界を、それでも愛するという「肯定」
私は、自分の中にある全ての記憶を動員した。
失った家族の笑顔。
削除された人々の叫び。
創設者の歪んだ愛。
アランの切ない祈り。
(全部だ。清いものも、汚いものも。喜びも、絶望も。その全てが、私たちが生きた証だ)
私は大きく息を吸い込んだ。
次の瞬間、すべてが決まる。
NUK-04の絶叫が、世界の殻を破ろうとしている。
その亀裂の向こうに、終わりであり、始まりである白い光が見えた。
「……受け取れ、マリア。これが、人類からの最後のラブレターだ」
私は、自らの命と魂を燃料にして、SCP-NUK-05のトリガーを引き絞った。




