第6話 虚空の帰還
【緊急システム警告:致命的なバッファ・オーバーフロー】
アイテム #: SCP-NUK-03 (クリティカルエラー)
現在の状態: 不安定
警告:
削除領域(Void)からのデータ逆流を確認。
「愛されない存在」として処理されたデータの総質量が、システムの圧縮限界を超過しました。
現在、世界各地で「過去の残響(Ghost Data)」の物理的顕現が多発しています。
シーン1(システムの逆流):幽霊たちのDDoS攻撃
サイト-███のメインモニターが、警告色である赤一色に染まっている。
だが、職員たちを凍り付かせているのは、スクリーンの光ではない。
司令室の隅、廊下の曲がり角、自分たちの足元から湧き出し、立ち尽くしている「それら」の存在だ。
半透明で、古いブラウン管のノイズのように点滅する人影たち。
(心霊現象じゃない。これは……DDoS攻撃だ)
私は、震える手でコンソールを操作しながら、冷や汗がキーボードに落ちるのを感じた。
彼らは、前回(第5話)で「歴史の修正」によって削除されたはずの人々だ。
紛争地帯の子供、路地裏のホームレス、誰からも愛されず、
システムの効率化のために間引かれた「無駄なデータ」たち。
だが、彼らは消えていなかった。
ゴミ箱の中で圧縮され、押し潰されながらも、
「生きたい」「痛い」「私を見て」という未練だけを肥大化させ、
ついに許容量を超えて現実に溢れ出したのだ。
『ネぇ……』
背後から、鼓膜を通さずに直接脳髄へ響く声がした。
『なんで……ワたしを……忘れタの?』
『暗イよ……痛イよ……』
その声を聞いた瞬間、隣にいたオペレーターが「あ、あぁ……」と白目を剥いて倒れた。
(精神汚染だ。彼らの悲嘆は、生身の人間には劇薬すぎる。
これは呪いじゃない、「未練」という名の、処理しきれない情報の質量攻撃だ)
世界中が、死者たちの叫びで埋め尽くされていく。
物理的な破壊ではない。人類の精神が、「見捨てた者たち」の重みで圧死しようとしている。
私は、この地獄を止める唯一の方法を知っている。
逆流の発生源、システムの最深部にある「虚空」へ潜り、直接干渉するしかない。
私はダイブ用のヘルメットを被った。
視界が暗転し、私は死者たちがひしめくデータの海へと沈んでいった。
シーン2(トラウマとの対峙):ノイズ混じりの再会
意識が再構築される。
そこは、色彩のない、冷たいデジタルの荒野だった。
足元には、削除された歴史の残骸が砂のように広がっている。
その中を歩き出した私の目の前に、「彼女たち」は立っていた。
『……アナタ?』
ノイズ混じりの輪郭。
身体の半分が欠損し、バグったピクセルのように明滅している。
それでも、間違えるはずがない。
私がこの世界で唯一愛し、そしてシステムによって奪われた、妻と娘の姿だった。
(これはデータだ。ただの残留思念のバグだ。本物じゃない。
……わかっている。理性では、痛いほどわかっているのに!)
私の足が止まる。
手を伸ばせば触れられる距離に、二度と会えないはずの家族がいる。
『私、どうシて……』
妻の幻影が、崩れかけた顔を歪める。
『こんナに……寒イの?』
その言葉が、私の心臓を雑巾のように絞り上げた。
(やめろ。そんなことを言わないでくれ。お前たちが寒いのは、私が守れなかったからだ。
私がお前たちを、この冷たい虚空に置き去りにしたからだ!)
彼女たちを救う(システムを修復する)には、このバグを「完全に削除」しなければならない。
この手で、もう一度彼女たちを殺さなければならない。
どうすればいい?
世界を救うために、愛する者を二度殺すのか?
それとも、世界を見捨てて、この幻影に縋りつくのか?
私の理性が悲鳴を上げ、感情が決壊していく。
ただ、彼女の冷たい指先に触れたい。その衝動だけで、私は崩れ落ちそうだった。
シーン3(創設者の歪み):私的な棺
その時、彼女たちの背後に、異質な空間があることに気づいた。
混沌とした虚空の中で、そこだけが「完全な静寂」に守られている。
強固なプロテクトでロックされた、システムの聖域。
私は、涙を拭ってその領域へアクセスした。
そこで見たものは、私の理解を、そしてこの組織へのわずかな敬意すらも、粉々に打ち砕く真実だった。
保存されていたのは、たった一つのデータ。
「マリア」という名の女性。
(第1話)アランが愛した人。
あるいは、創設者███がかつて愛し、失った女性の、完璧なコピー。
(……なんだ、これは)
数億の人間が削除され、瓦礫となったこの虚空で、彼女一人だけが、
まるで眠り姫のように美しく、傷一つない状態で保存されている。
ログが流れる。
『対象「マリア」の保存状態:良好』
『リソース供給源:削除された全人類の存在確率』
私は、喉の奥から乾いた笑いが漏れるのを止められなかった。
(愛の総量保存の法則? 人類のための救済? ……嘘だ。全部、狂った言い訳だった)
創設者は、世界を救うためになんて動いていなかった。
彼は、愛の総量を管理していたのではない。
世界中の人間を削除してメモリを確保し、その全てのリソースを、
「たった一人の死んだ恋人を、データとして永遠に保存するため」だけに使っていたのだ。
削除された何億もの命は、孤児も、難民も、そして私の家族も。
すべては、この女一人を生かすための燃料であり、防腐剤だった。
(この世界は、人類のための揺り籠なんかじゃない。
創設者が作った、特大の、私的な棺桶だったんだ)
激しい怒りが、私の血管を焼き尽くす。
こんな身勝手な「愛」のために、私たちは泣き、奪われ、殺されてきたのか。
こんなシステムは、もう一秒たりとも存在してはいけない。
シーン4(決断とApollyon):終末の愛
私は振り返り、ノイズにまみれた妻と娘に向き直った。
『……行っテ』
妻の幻影が、消え入りそうな声で告げる。
『私タちハ、もう……』
彼女は自分がバグであることを、もうじき消えるべき存在であることを受け入れているようだった。
だが、私は首を横に振った。
システムに従って彼女たちを削除し、この狂った棺桶を修理することなど、もう御免だ。
私は一歩踏み出し、その崩れかけた身体を強く抱きしめた。
(削除なんてさせない。お前たちはゴミなんかじゃない。俺の、たった一つの真実だ)
冷たいノイズが、私の腕を侵食していく。
莫大な悲しみのデータが、私の精神に流れ込んでくる。
「さよならは言わない」
私は、震える彼女の耳元で囁いた。
「お前たちの痛みも、未練も、全部俺が背負う。……それが、俺の愛だ!」
私が拒絶ではなく、「受容」を選択した瞬間。
ピキッ。
世界を構成する数式に、亀裂が入った。
想定外の「愛の質量(受容された未練)」が、システムの計算式を根底から破壊する。
警報音が鳴り響く中、虚空の天井がガラスのように砕け散った。
そこから覗いたのは、青空ではない。
どす黒く、しかし目が焼けるほどに輝く、巨大な愛の化身。
創設者が守り続け、そして今、システムという檻から解き放たれた「マリアの成れの果て」
SCP-NUK-04。
それは、慈愛に満ちた笑顔のような形で、世界を飲み込もうとしていた。
視界いっぱいに、赤いシステム通知が表示される。
『システム・クラッシュ』
『制御不能』
『オブジェクトクラス更新……Apollyon』
『愛による世界侵食を、開始します』
私の意識は、愛する者のノイズと、崩壊する世界の光の中で、白く塗りつぶされていった。




