魔王としての最初の選定
魔王城の奥深く――“眠りの檻”と呼ばれる空間に、鈍い音が響いた。
天井の見えない空洞。
足元には赤く脈動する魔法陣。
そして、中心に並ぶ十基の棺。どれも、石で封じられていた。
沈黙の中、空気が変わる。
一基の棺が軋みを上げて揺れた。
赤黒い魔力の靄が、隙間から溢れ出す。
鉄の鎖がゆっくりと解け、封印が崩れていく。
石の蓋が落ちる音のあと、中から現れたのは――黒き獣だった。
漆黒の甲殻。
ねじれた翼。
額から突き出た刃のような角。
その姿だけで、空間の魔法陣が静かに退いた。
ただ存在するだけで、場の空気が震えていた。
「彼はザグル。かつて前代魔王に仕えた“七将軍”の一角です」
背後から、アルヴィアの冷静な声が響いた。
でも、俺は答えずに前を見た。
ザグルの瞳がこっちを捉える。
赤い、深い目。見下すわけでもなく、媚びるわけでもない。
見てるのは“力”。
従うか否か、それを試す目だった。
次の瞬間、ザグルが跳んだ。
巨体に似合わないスピード。
床を砕きながら、鉤爪が俺の喉元を狙ってくる。
(間に合わない――)
身体が一瞬、硬直した。
動かない。わかっていても、反応できない。
死を覚悟したその瞬間――
右手の指先が、わずかに動いた。
空気が揺れる。微細な歪み。
その歪みが、ザグルの攻撃の軌道に触れた。
――数ミリ。
それだけで、爪の角度が逸れる。
喉元を掠めるはずだった攻撃は、何も捉えず空を裂いた。
ザグルはそのままバランスを崩し、床に叩きつけられる。
「グル……ルァ……」
怒っているわけじゃない。
驚いていた。困惑していた。
倒せるはずだったのに、倒せなかった。
ザグルも、それが理解できていないようだった。
俺は、自分の右手を見下ろした。
指先に、黒い靄のような魔力の残滓が揺れている。
(……今の、俺がやったのか?)
無意識。でも、確かに“何か”を感じた。
体の奥に、力が通った感覚が残っていた。
黒神盤が静かに回転する。
中心の黄金の“目”が、じっとこちらを見ていた。
「……これが、俺の力?」
確信はない。でも――
「《歪界の指》。そう呼ぶことにする」
ザグルがゆっくりと立ち上がる。
目に、さっきまでの攻撃性はなかった。
あったのは理解。そして、判断。
次の瞬間、彼は膝をつき、額を地につけた。
「……主に、従う」
言葉ではない。
魔力を通じた、明確な意思。
アルヴィアが小さく頷いた。
「お見事です。
彼は、ただ戦いたかったのではありません。
“あなたがどう選ぶか”を、見ていたのです」
ザグルを見下ろす。
たしかに、俺は殺すこともできた。
でも、殺さなかった。
「……ずらしただけだ。
殺すこともできたが、俺は“外す”ことを選んだ」
黒神盤が、ゆっくりと回転を止める。
それは、“その選択”を肯定するような静けさだった。
(この世界に、俺の居場所はない)
けど――だからこそ、選び、築くしかない。
力はそのための“手段”だ。
ザグルが、もう一度深く頭を下げる。
忠誠の証。
最初の従者。
そして、俺が“力をどう使うか”を決めた最初の選択。
魔王リヴァンの物語が、静かに動き出す。




