偽りの聖都にて
王都ルメル。
かつて勇者が讃えられ、いまなお女神信仰が息づくこの都市。
その中心に位置する“聖光広場”は、早朝にも関わらず賑わいを見せていた。
白亜の石で敷き詰められた広場の中心には、巨大な女神像が立ち、両腕を広げて天を指している。
その足元には民が集まり、祈りを捧げていた。
「これが……人間の“信仰”か」
ネグレウスの声には、皮肉というよりも興味が混じっていた。
「祈ることで、秩序の中に居場所を得る。なかなかに巧妙な設計だ」
俺は黙って広場を見渡した。
広場の端では、神官たちが儀式の準備をしていた。
今日の午後、神託の再演があるという。
「王。そろそろ神殿の裏手に向かいましょう」
ネグレウスが密やかに言う。
「裏口の警備は緩い。空間のひずみも観測できる。何かが“残されている”」
俺は頷いた。
黒神盤がわずかに脈動する。
この街には、神が創ったとされる“正義”がある。
だが――それが本当に正しいものか、見定める必要があった。
俺たちは、聖光広場を後にし、神殿の裏路地へと足を踏み入れた。
⸻
神殿の裏手は影が濃く、ひっそりとした空気が漂っていた。
ネグレウスが指を鳴らすと、空間が揺らめき、隠された扉が浮かび上がった。
「ここだな」
俺は扉に手を触れた。
古い木の感触。だがそこには、微かな魔力が宿っている。
「旧神託の空間か……面白そうだね」
ネグレウスが楽しげに呟く。
扉を押し開けると、暗く狭い階段が地下へと続いていた。
空気は湿り、古びた紙と埃の匂いが充満している。
階段を下りきると、そこには古びた石造りの広間が広がっていた。
壁には無数の文字が刻まれ、中央には祭壇があった。
そして祭壇の上には、古ぼけた水晶が一つだけ置かれている。
ネグレウスは迷うことなく水晶に近づき、指をかざした。
「……残ってるね。神託の記憶が」
水晶が淡く輝き始める。
そこに浮かび上がったのは、過去の映像だった。
女神教会の神導たちが、祭壇を取り囲んでいた。
その中心には女神像があり、その足元に一人の少年が立っている。
「……これは?」
「昔の勇者召喚の光景だよ。君の時とは少し違うみたいだけど」
映像の中の少年は困惑した表情を浮かべていた。
神導たちは熱心に祈り、少年に力を与えていたが――
「彼らの祈りに真実はない」
俺は静かに呟いた。
ネグレウスが頷く。
「そうさ。ただ秩序を維持するための、道具としての勇者」
俺は拳を握った。
かつて自分がそうだったように、彼もまた道具にされている。
「王。この世界は偽りで満ちている。だが、それを壊すのが僕らの役目だ」
ネグレウスの言葉に、俺は再び頷いた。
「……暴く。全てをな」
黒神盤が静かに輝きを増した。
その時、地上からかすかな鐘の音が響いてきた。
新たな勇者レオナの、初任務が始まろうとしていた。
⸻
地上へ戻ると、聖光広場はさらに賑わいを増していた。
広場の中央には、新たな勇者レオナが立っていた。
その表情は緊張に満ちていたが、群衆は熱狂していた。
「勇者レオナ! 女神の祝福あれ!」
神官が高らかに宣言すると、人々が一斉に歓声を上げる。
レオナは戸惑いながらも、その歓声に応えるように小さく手を振った。
俺はその姿を静かに見つめた。
「まるで昔の君みたいだね」
ネグレウスが軽く言った。
「……違う」
俺は即座に否定した。
「あいつはまだ、何も知らない。これから知ることになるんだ……全てを」
俺の視線は、レオナではなくその背後にいる神導たちに向けられていた。
彼らは満足げな笑みを浮かべている。
(この笑顔もまた、偽りだ)
俺は胸の内で呟いた。
「ネグレウス、次の動きを考えるぞ」
「ああ、もちろん。君の計画通りに」
俺は小さく頷いた。
(全ての偽りを、この手で壊す。そのために――俺はここにいる)