02 アキハバラ03
丼玉屋の接客アンドロイドの企画は、社長の玉川の趣味から始まった。
彼はもともとロボット好きで、自宅に工房を作って人型のアンドロイドを自作する変わり者だった。
ある時、自分が作ったアンドロイドに店舗で接客をさせようと思いついたのが始まりだった。
しかし素人作りのロボットにはやはり限界があった。玉川のこだわりで外見はそれなりにリアルだったが、動きが絶望的にぎこちない。スターウォーズのC―3POのほうがまだ人間らしく見える。
そもそも丼を上手く持つことができない。力加減が難しくポロリと落としてしまったり、力が入りすぎて割ってしまったりした。
しかし、玉川は諦めなかった。介護用ロボットを開発しているメーカーと協力して、接客に必要な動作を研究した。また、人工知能関連の研究所に協力を仰ぎ、音声認識、画像解析アルゴリズムの研究にも投資を行った。
さらに、大手の樹脂メーカーに委託して限りなく人間に近い肌、髪の毛、眼球の素材を開発した。
特に彼の人間の肌への執着は尋常ではなく、肌、毛穴、皮下組織、筋組織、果ては骨まで再現する力の入れようだった。
さらに、顔の細かい筋肉繊維一本一本を独立して動かすことで、何百万通りもの繊細な表情を作り出すことに成功した。
投資額が一億円を超えた頃、ようやく満足のいくアンドロイドが完成した。しかし玉川はもう一つ、新しいアイディアを考えていた。
もともと玉川は、店舗における接客とは単に注文を聞いて料理を出すだけではなく、お店とお客との間に人間らしい交流があるべきだという信念を持っていた。
アンドロイドが人間と自然なやり取りを行うためには高性能なAIエンジンが必要となる。
しかしそんなに都合よく接客が可能なクオリティのAIが手に入るはずもなかった。
諦めかけていた時、ある大手のゲーム会社が倒産し、ゲーム用に開発していたAIエンジンが売りに出されているという情報が入ってきた。美少女メイド育成ゲーム用に作られたAIで汎用性に多少の難があり、まだ買い手は付いていなかった。
玉川はこのメイドAIエンジンの購入を即断した。
こうして丼玉屋の接客用アンドロイド、ジョディは誕生した。
「ご注文はいかがいたしますか簡易健康診断のおすすめメニューもお選びいただけます」ジョディが流ちょうに話しかけてくる。
アンドロイドは手にセンサーを内蔵していて、握手をするだけでお客のストレスや疲労感を診断し、お勧めのメニューを選んでくれる。
「では簡易診断でお願いします」真田が答える。
「かしこまりましたそれでは右手を前に出してください」
ジョディが両手を前に差し伸べる、透き通るように白く清潔感のある手だ。真田が右手を差し出すとジョディは真田の手を両手で優しく包み込むように握る。
ほんのりと暖かさが伝わってくる。
五秒ほどの握手だった。ジョディは手を放しにっこり微笑んで言う。
「もしかして少し緊張していらっしゃいますか?」
聞かれて、真田ははっとした。
真田はその時、無意識のうちにジョディを異性として意識している自分に気づいたのだ。心臓の鼓動が微妙に早くなっている。
「いや・・・そんな事は無いです」
ジョディは微笑みながら診断結果を伝える。
「少しお疲れのご様子ですが普通に健康だと思いますお腹はかなり空いていらっしゃいますねもしかして朝ごはんを抜いて来られましたか?」
当たりだった。今朝は少し寝坊した上にバタバタして朝食を準備する時間がなかった。真田は見透かされたように感じて気恥ずかしくなった。
「それでは今キャンペーン中の牛丼大盛りとサラダをお勧めします他にはトロトロ煮込みハンバーグ定食のニンジン増しなどいかがでしょうじっくり煮込んだハンバーグに肉汁がギュッと閉じ込められていてトマトソースとからみ合うのを一日千秋の想いで待ちくたびれているような逸品です」
真田はごくりと唾を飲み込んだ。
「では、煮込みハンバーグ定食ニンジン増しでお願いします」
「かしこまりました少々混み合っておりますので四分四十秒ほどお時間を頂きます煮込みハンバーグ定食ニンジン増し承りましたー!」
ジョディは半身に振り向いて奥の調理場に注文を入れる。別に声で伝達しなくても、ジョディの内部アルゴリズムが注文確定と判定した時点で調理場のディスプレイに座席番号と注文内容が表示されるシステムなのだが、お客に注文内容の確認を行う意味も含めて形式的に音声を発する仕様となっていた。
「お仕事はお忙しいのですか」ジョディが向き直って真田に話しかける。
「まあぼちぼちです。休みはそれなりに取れていますし、最近は睡眠時間もちゃんと確保できてます」
「それは良かったです人間は健康が第一ですしね『男性の休息は新たな戦いのための序曲だ』とも言いますし」
そうなのか? 聞いたことのないフレーズだ。
「そう言えば人間は眠ると夢を見ると聞きましたが夢とはどのようなものなのですか?」
「私は夢はあまり見ないほうなのですが、そうですね、現実のような非現実のような、不思議な感じです。これは夢だって分かっていながら見る夢もありますし」
「そうなんですかドラマとか映画を見るのと同じ感じなのでしょうか」
「もっと主観的な世界です、現実の延長のようなリアルさがあるというか」
「視覚を介さずに脳だけで認識する世界ということですねそれは現実と呼べるものなのでしょうかそれとも五感を介さず脳だけで感じる世界は非現実ですか現実という言葉の定義にもよりますがいずれにしても不思議な現象ですね」
ジョディはリアルタイム学習型のAIで、こうして会話をしている最中も常にインターネットに接続して情報を収集している。
ホームページ、Facebookやツイッターの書き込み、YouTube動画とそのコメント欄、学術論文やメディアの記事、各種電子書籍など、会話の展開に応じてありとあらゆる情報を世界中から収集しカテゴライズしてデータベースに蓄積し、会話に反映して行く。そしてその情報の中から目の前のお客に最適な話題をリアルタイムに選んで会話を展開する。
話題は、性別、年齢、職種、学歴、趣味など、対面しているお客から読み取れた情報に基づいて好みを分析して選択される。自分はジョディにどんな分析をされているのだろう、真田はぼんやりと考えた。
「真田さんはお休みの日は何をされていらっしゃるのですか何か体を動かす趣味をお持ちのように思うのですが」
「最近はスポーツは全くやりませんね、なんだか億劫で。いつもはネットを見たり本を読んだり、ゴロゴロしてます」
「本は良いですよね私も活字情報は大好きですどんな本をお読みになるのですか?」
「特にジャンルは決めていません。ふらっと本屋に行って平積みされている新刊の小説とかを買って読んでます」
「本屋ですか!私一度本屋さんという場所に行ってみたいのですが私は何ぶん外を自由に歩き回ることができないものですからしかも話題の新作はたいていインターネットでは読むことができないのでいつも悲しい思いをしています」
AIに悲しみの感情があるとは思えなかったが、最新情報の蓄積を欲することはAIのアルゴリズム的には理解できた。
「じゃあ今度お勧めの新刊を持って来ますよ。著作権の問題があるので学習用に使用してよいかどうかはコンプライアンス部門に確認が必要ですが」
「ありがとうございます真田さんは優しいですね」
―――ピンポーン
チャイムが鳴った。
「調理が完了いたしました」
ジョディは引き戸を開けて皿を取り出し、真田の前に置く。
「たいへんお待たせいたしました煮込みハンバーグ定食ニンジン増しでございます冷めないうちにどうぞ召し上がれ」
ジョディは両手のひらを上にして真田に向かって差し出しながら、満面の笑みで言った。