6話 赤月の魔法
「それで、どうして遅くなったんだ?」
カルフィスはソファの肘掛に肘を付き、顎を手で支えながら聞いた。眉を限界まで寄せて、目は虚ろ。カルフィスにとって精一杯の不機嫌アピールである。
「遅くなってはいないよ。僕がこの屋敷に着いた時にはまだ雪が降っていたんだ」
「嘘をつくな。私は何日も前から門の前にいたんだぞ。お前が来て気付かないわけがない」
「いや、本当に何してるの」
当たり前のように言うカルフィスに、僕は頭を抱える。
真冬の雪空の下で門から片時も離れず、いつ降るかも分からない雪を待っていたのだという。心待ちにするにも程がある。適度というものを知らないのか。
「それならカルフィスが気付かなくてもしょうがないよ。僕は門から入っていないからね」
僕もまた、当たり前のように言った。門や扉から入るのが基本的なことは知っているし、公の場ならばその常識に従うつもりはあるが、今は友と二人だし、ここは友の家だ。友の家は僕の家。どうしようと僕の勝手だろう。
「門以外に入る場所などないだろう」
「あるよ。遠くに大きな木が見えるだろう。あそこさ」
カルフィスが首を傾げる。まったく理解できない様子だ。
「木がなんだというのだ。今は出入りする場所のことを話していたのだろう」
「だから僕は、あの木から入ったんだ。登りやすいんだよ」
カルフィスが先程とは違う方向に首を傾げる。今度も理解できなかったようだ。同じ言葉を話しているはずなのだが。
カルフィスはなんとか理解しようと思考を回らしている。しばらく沈黙して考えたあと、ひとつ頷いて言う。
「町の人々は門を使わずに建物に入るんだな」
屋敷にある本に記載されてはいなかったが、町の習慣のようなものなのかもしれない。国や地域によって、独自の文化があるというし、これもその一種なのか。
そう聞いてきた。
「何言ってるの。門から入るに決まっているでしょう」
「なるほど、お前は知識に行動が伴わないタイプなんだな」
カルフィスは諦めたような目で言った。
♢♢♢♢♢♢
「赤い満月が昇る丑の刻に、体の同じ場所に傷を付ける魔法があるらしいんだ」
カルフィスが唐突に言った。手には書斎にあった怪しげな古書が握られている。学んだ事を何の疑いも持たずに信じてしまう彼のことだから、古書に影響されての発言なのだろう。
そうでなければ、あの優しいカルフィスが故意に傷を付けようなどと言うはずがない。
ところで、例え親友の願いであったとしても、否、親友だからこそ嫌だと思ったことは言うべきだ。良好な関係の構築においてお互いに譲歩することは必要だが、思ったことを全て心の内に留めておくのは精神衛生上よろしくない。無理のある気遣いは長く続かないもの。親友との友情を大切にしたいのならば、嫌なことは嫌だと言わなければならない。
僕はうん、と頷いてペーパーナイフを取りカルフィスを見返した。
「傷、どこにしようか」
まあ、まったく嫌ではなかったので、問題はないのだが。
魔法に夢中になっているカルフィスは、目を輝かせて傷を付ける場所を提案した。手首の裏、血管が密集している部分である。そこが一番目に付きやすく、尚且つ魔法的に力が強い場所らしい。詳しくは知らないが。
ちょうど今夜はブラッドムーンだ。魔法を試すには絶好の機会であった。
僕とカルフィスは本に書かれた通りの手順で魔法の準備をしていく。本を信じきっているカルフィスと違って、進んだ時代の知識を持っている僕はブラッドムーンがただの皆既月食による現象であることを知っていたが、それを口にすることなくカルフィスに付き合っていた。実際に魔法などなくただのごっこ遊びであったとしても、親友が楽しんでいるのだからそれは大いに意味のあることだ。
カルフィスはワクワクとした様子で本にかじりついている。楽しそうで大変喜ばしいことである。
複雑な形の文字を書いた紙の上で、お互いの手首に傷を付ける。事前に話していた通り、跡が消えないように深く抉った。
鋭い痛みと共に、鮮血がナイフを染める。骨折すらしたことがない僕にとっては、初めて感じる強い痛みだ。痛いということしか考えられなくなるが、それすらもカルフィスとお揃いだと思うと楽しくなるのだから、何処かおかしくなってしまったのかもしれない。
僕とカルフィスは顔を見合せて笑った。同じ気持ちを抱いている確信があった。
流れ出る血を器に垂らして軽く混ぜた後、紙を器に入れて赤く染める。お互いの両手を組み合わせ額を付けた状態でしばらく待つ。その後、血に濡れた紙を燃やして勢いよく燃えたら成功。燃えなかったら失敗らしい。
二人分の血を吸った紙は、火に触れた瞬間勢いよく燃え上がり、数秒も経たずに消えた。成功してしまったのである。
僕は目を見開いてその光景を見ていた。
通常、濡れた紙は燃えない。濡れていることで発火温度に到達しないのだ。それは血であっても同じなので燃えるわけはない。
歓喜するカルフィスに合わせて笑いながら、冷や汗が背中を伝って落ちていくのを感じる。
僕はよくこの世界が前世とは違うのだということを失念することがある。思い違いだけで済むこともあるが、今回のように取り返しのつかない間違いを犯すこともあった。
「ところでさ、この魔法ってどういうものなんだ?」
カルフィスに限ってそんなことはしないとは思うが、禁忌とされるようなものだったら困る。
僕に問われたカルフィスは上げていた腕を下ろし、赤らむ頬はそのままに僕と向き合った。
「魂縛の術というらしい。お互いの魂の居場所と状態がわかるようになるんだ」
「こんばく…」
僕は言葉を反芻しながら胸を撫で下ろす。嫌な響きの言葉にしては害のない魔法だった。
心臓の上に手を当てて感覚を確かめてみた。確かに、カルフィスの存在を感じる。自分の中に他者がいるのに違和感はなかった。温かくふんわりとしたそれがとてもカルフィスらしくて、思わず笑ってしまう。どうやらカルフィスも同じようだった。
「君は今、すごく嬉しいと思っているね。安心もしている。そんな感じだ」
「ああ、そうだな。正解だ。お前はあまり喜んではいないな。感情が落ち着いている。…嫌だったか?」
「嫌ではないよ。成功するとは思わなくて驚いているだけさ。やってみたら結構不思議な感じだな。悪くない」
「ああ、同感だ」
カルフィスの感情が心に染み込むような感覚がする。より一層お互いを近くに感じるようになった。魔法とは面白いものである。
「これがあれば離れていても寂しくないだろう?」
まったくどこまで寂しがり屋なのだ。呆れながらも嬉しくなって、首を縦に振った。
「そうだな、ずっとここに君がいるみたいだ」
やはり、友とはいいものだ。




