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独りの雪に鳴く鳥よ  作者: 由狸 ゆり
1章 過去編
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4話 雪が降ったら


 雪の森で遭難してから三日。僕はまだカルフィスの屋敷にいた。

 理由は一つ。居心地が良過ぎたのだ。

 話したいことを話し、思い付いた遊びを片っ端からやった。お腹が空いたら森に出て、二人で必死に頭を働かせて罠を作り、冬眠に遅れた獣を狩る。苦労して火を起こした時にはもう背中とお腹がくっつきそうなほど空腹で、やっと食べた鹿肉は今まで食べたどんなものよりも美味しく感じた。

 昔にスープを飲んでから数十年の間何も食べていないと言うカルフィスに、どこから驚いたらいいのか分からなくなりながらも、まあでも空腹がないのはいいなと思う程度で聞き流す。試しに色々なものを食べてみようと、食べられるか分からないものまで食べてみたりもした。

 初めての友と語らい遊ぶ日々はとても楽しく、時間があっという間に過ぎていく。貴族の子供が森で遭難したらどういうことになるのかという考えは、僕の頭には欠片もなかった。


 夢のような時間に溺れていた僕たちが我に返ったのは、夜の森が明るく照らされているのを見た時だった。

 この時代、電気というものはない。夜の光源は蝋燭のみである。遮るものが殆どない冬の森とはいえ、遠目から見ても充分に明るい風景は異様だった。

 それを屋敷の二階から見た僕とカルフィスは、目を見開いて顔を見合わせる。


「山神様の祟りかな?」

「何故そうなる」


 この状況を見ても自分が探されているのだという発想が出ないあたりが、僕が僕たる所以だと、後にカルフィスに言われた。



♢♢♢♢♢♢



「僕を探しに来たのか」


 「そうかそうか、予想外だ」と呟いた僕に、カルフィスはため息をつく。

 子供が雪の森で遭難して数日間帰ってこなかったら、普通は死んでいると考える。この時代、口減らしに子供を売る家庭もよくあるのだ。諦めて死んだことにする親もいるだろう。例え、愛する子供の命を諦めきれず、まだ生きていると希望を抱いたとしても、森に探しに行くなどという無謀なことはしないし、夜の森を蝋燭で照らして探すような資金も持っていない。しかし、幸か不幸か、僕の親は子供を愛する心と森を照らす資金の両方を持っていた。

 僕に帰って欲しくないカルフィスにとっては、この上なく不都合なことだろう。


「話を聞いて薄々気付いていたが、セトは親に愛されているのだな。溺愛と言っても過言ではないほど」


 いい景色だなと夜景を眺めていた僕は、カルフィスの言葉にハッとした。

 数日前まで、カルフィスは友情に飢えていたと同時に、親からの愛情にも憧れを持っていた。こんなにも強烈な親の愛を見せられたのなら、僕に嫉妬してもおかしくない状況である。しかし、僕を見返すカルフィスの表情は穏やかだった。まるで仲間でも見つけたかのような顔をしている。

 

「お前は変わった奴だ。恐れを知らず偏見を持たず、無警戒で無防備。子供らしく目を輝かせて危険なことをした直後に、酔いも甘いも噛み分ける老人のような達観した目をすることがある」

「…そうかな」


 急に言い当てられて驚いた。共に過ごした時間は数日しかないのに、長年の友のように僕を理解している。転生者であることも知っているかのような口ぶりだ。


「そしてセトは、優しく穏やかで、温かい奴だ。私の無知を嗤ったりせず、根気よくいろいろな事を教えようとしてくれるし、私のために家に帰らず側に居てくれた。お前のことだから、単純に家に帰るのを忘れていただけかもしれないがな」


 カルフィスは僕の目を真っ直ぐに見て続ける。


 「所作は洗練されているわけではないが品があるし、傲慢でもなく汚過ぎもない言葉遣いは話しやすい。コロコロ変わる表情は親しみやすさがあるし、時折見せる笑みは繊細で美しい。お前は、関わる全ての人に愛される奴だな」


 顔が火照ってきた。運動したわけでもないのに暑くて汗が滲む。

 カルフィスは穏やかに微笑んでいた。少し前までは幼子のようであったのに、今は大人の余裕に似た雰囲気がある。


「そんなことないよ。だって僕、友達いなかったもの」

「きっと自覚しなかっただけであろう。お前はそういう奴だ」


 何故か否定したくなって言い訳のように言うも、間髪入れず言い返されてしまった。

 まったく、そんな風に言わないで欲しいものだ。僕は人に好意を寄せられて気付かないほど鈍感ではない。

 

「親に愛されているお前を見て少しの嫉妬もないのは、きっと親の気持ちが分かるからだろう。私も、セトを愛しているから」


 他者との関わりが極端に少なかったからか、カルフィスは恥ずかしい台詞を平気で言う。友情としての愛なのは分かりきっていることとはいえ、普通、友達に"愛している"なんて言うか。

 気恥しさやいたたまれないなどの感情を、教えた方がいいのだろうか。

 不自然に固まった笑顔を真剣な表情に変える。カルフィスの曇りのない澄んだ目を見つめた。


「…それにしても、困ったね。あの様子だとここまで探しに来るかもしれない」

 

 別に逃げたわけではない。この純粋な心も、カルフィスの長所だと思っただけだ。


「君は誰にも見られたくないんだろう?じゃあここまで来る前にこっちから行かないとな」


 僕は呟きながら踵を返して部屋の中を動き回った。帰る準備をしているのだ。準備といっても、遭難時の持ち物は今も着ている服だけ。屋敷に滞在した数日間で作った玩具や気に入った間食などを小袋に入れただけで終わってしまう。

 僕の荷造りを呆然と見ていたカルフィスが、ハッと我に返る。僕の肩を掴んで引き留めた。


「帰ってしまうのか?今すぐに?何もこんなにいきなり帰らなくてもいいではないか」


 カルフィスがひどく焦った声で言う。いつかは来ると思っていて、見たくなくて目を逸らしていた現実が、突然目の前に迫ってきていた。

 心の準備をしていない。今僕に去られてしまったら、心が孤独に耐えられない。言外にそう言っている。

 カルフィスはただ、独りになりたくないのだろう。つい眉を寄せた僕の顔を見て傷付き下を向いて、それでも離したくなくて僕の小袋を取り上げる。

 これがなければ帰れまい。そう願って。


「僕もいきなり過ぎるなとは思っているけど、仕方ないじゃあないか。ここまで来られてから見つかったのでは遅いだろ?君が僕を攫ったとか言い掛かりを付けてくるかもしれない。僕の親、愛情深いけどすごく過保護なんだよね。ほら、愛情を免罪符にすることを知った親ほど怖いものってないじゃない」


 フラッシュバックのように蘇る記憶から目を逸らして、なるべく平然とした声を出した。

 カルフィスには悪いが、僕は別れが惜しくない。だって会おうと思えば会えるもの。

 その僕の態度にさえ傷付いてしまうカルフィスが、とても脆く綺麗なものに見えた。


「セトは私が"好き"ではないのか。私はお前がとても大事だが、セトにとっての私は、自分を慕う大勢の内の一人にすぎないのか。だから帰ることを躊躇わないのか。別れを惜しまないのか。惜しむような存在ではないのか、私は」


 今まで見たことがない暗くて重い感情が、カルフィスの赤い目の中で渦巻いている。早くなる呼吸はとても苦しそうで、心臓の上の服を掴む手は力が入り過ぎて赤くなっていた。

 カルフィスは忙しなく視線を動かしながら、思考に沈んでいる。これ以上引き留めたら嫌われてしまうかもしれない。嫌な顔で自分を見るかもしれない。そんなことを考えているのだろう。

 僕が身動ぎをしたことでようやく思考から脱したカルフィスは、掴んでいた僕の肩を押し返す。力加減が出来ていなくて、危うく転びそうになった。

 突然の強い拒否。でも、拒否しているのは僕ではないのだろう。だって、僕がよろけながらも転ばなかったのを見た時、安心したような顔をしていた。


「最初から分かっていたことだ。期待などしていない。何処へなりとも行くがいい」


 カルフィスが僕を睨みながら言った。言葉は単調で冷たく響くのに、カルフィスの潤んだ目が熱く見つめてくる。

 嘘が得意そうで、実はとても下手な子だった。


「嗚呼、もう。そんな顔で言うことではないだろうに」


 僕はため息をつく。それにさえもビクリと肩を揺らすカルフィスを見て、また漏れそうになったため息を苦労して飲み込んだ。


「なんでそんなに怯えるんだよ。僕が君を拒否するわけないだろう。まったく、少しは信じてくれてもいいんじゃあないか」


 僕の言葉に、カルフィスは俯きがちだった顔を勢いよく上げた。希望を見つけた人の顔だ。


「では、ずっとここに居てくれるのか?」

「いやまあ、帰るけど」


 カルフィスは再び絶望の底に突き落とされた。今度は直前に上がっていた分、落ちた時の衝撃が強い。カルフィスの心はボロボロだ。

 僕はカルフィスの分かりやすい様子に、思わず吹き出してしまった。ここまで来ると面白い。

 笑う僕に、カルフィスの怒りは着実に積もっていく。


「そう怒んなって。必ずまた来るよ。そう遅くならずに会える。そうだなぁ…じゃあ、次の雪の日にしようか」


 僕は笑いながら、優しく言った。


「雪が降ったら、会いに行くよ」


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