2話 新しき友よ
(なるほど、今世には吸血鬼がいるのか)
僕は驚きの中で納得した。
今世での経験から、タイムスリップしたわけではないだろうとは予想していた。世界が違えば常識が違うのも当たり前。今世は吸血鬼のような魔物がたくさんいる世界なのかもしれない。
僕は目の前の少年に手を伸ばした。牙が見え隠れしている口の近くで彷徨わせる。僕の脳内では興味と理性が戦っていた。殴る蹴るの大喧嘩だ。触りたい。いや、逃げた方がいい。どんな奴なんだろう。危険だ逃げろ。
少年は身じろぎもせずに、僕の手を受け入れている。
「僕の血を飲みたいの?」
戦いの勝者は興味であった。好奇心旺盛で後先考えない悪癖が、また出てしまった。
首を傾げながら問う僕に、少年は困惑している。隠し事があるというよりも、何を言っているのか理解できないというような表情だ。
「…え?血を…何…?」
少年が初めて口にした言葉は、そんな陳腐な台詞だった。予想外の攻撃を喰らった鳩のように狼狽えている。頭上にクエスチョンマークが大量に浮かんでいるのが見えた。
「だって君は吸血鬼だろ?」
「きゅうけつき?」
「うん、そう。吸血鬼。君、見るからにそれじゃない」
幼い子供のような会話に、僕は少し笑ってしまう。今世では十歳前後であるし少年も同じぐらいの年齢なので、こういう会話でいいのだろうが、何故か違和感が拭えなかった。
ただ慣れていないだけかもしれないが。何せ僕には、前世でも今世でも友達がいない。
「お前は私を知っているのか」
少年は半ば呆然とした様子で問う。
「私は私が何者なのか知らぬ。どうしてここから出てはいけないのか、どうして私は独りでいなければならないのか。私は何も知らぬのだ。どうか教えてくれ。私は私を知りたい」
少年が前のめりに一歩踏み出したことで、元々近かった距離がより近くなる。僕は脳内で猫に追い詰められた鼠の絵を思い浮かべながらも、実際には緊張することなく立っていた。
「どうすれば私は、独りではなくなる?」
独りが怖いと叫んでいる。誰かと共にありたいと泣いていた。
(なんだ、そうなのか)
僕はため息をついた。どうやら吸血鬼が当たり前にいるわけではないらしい。それか少数しかいないのか。
少数派が迫害されるのは、前世でも今世でも変わらないみたいだ。
少年が僕の袖を摘む。引っ張るでもなくただ摘んでいるだけだ。それでも潤む赤い目が、行くなと訴えてくる。
孤独を怖がり救いを求める少年に、僕は笑った。この少年は、世界のことを何も知らぬ幼子だ。何事も分からないから怖いのであって、知って慣れてしまえば怖さなど薄れてゆくもの。年長者として、幼子に物事を教えるのも面白そうだと思った。
「うん、まずは自己紹介からしようか」
知ることの第一歩は、社会人としてのマナーである。
♢♢♢♢♢♢
「僕はセト。雪と甘い物が好き。得意なことは木登りと剣術。どんな木でも登れるよ。よろしくね」
戸惑う少年に構わず、僕は自己紹介を始めた。自己紹介において大事なのは簡単に分かりやすく、短時間でいかに自己を表現するかだ。その点において、この自己紹介は百点満点の合格である。
僕に促すような視線を向けられた少年が、手本を真似ながら続ける。
「えっと、私はカルフィス。好きなものは…ええっと、なんだったか…」
「なんだよ、そこからなの?好きなものぐらいパッと思い浮かぶだろ」
「…好きという感情が、どんなものなのか分からない」
カルフィスと名乗った少年は、世界の理も知らなければ自分自身のことも知らないようだ。それどころか生物としての欲にも無知。想像よりも酷い状態だった。
僕は現実逃避気味に遠い目をしていたが、深くため息をついて気持ちを切り替える。面倒事は嫌いであったが、友達居ない歴が三十年を超える僕にとっては、そう易々と逃せるチャンスではないのだ。
「好きっているのはね、例えば誰かに会ってワクワクしたりそわそわしたり、何かをして楽しくなったり幸せだなぁって思ったり、そういう事を言うんだよ。経験あるだろ?」
カルフィスはハッとしたように僕を見た。
「ああ、ある。というか、あった。今がそうだ。ワクワクして、楽しい」
頬を赤らめて興奮気味に言うカルフィスに、僕は苦笑いを返す。
「それは良かった。でもさ、一番最初に思い浮かぶのが今ってどうなのよ」
「何か問題があるのか?」
「問題はないけど…だって今は特別なことをしているわけではないし」
「二人で話しているではないか。特別だ」
「ええ…?」
僕は困惑した。まさか口説いてあるわけでもあるまいし、話すだけで特別とはどういう意味だ。
(もしかしてそのままの意味だったり…?)
今までの短い会話でさえ、カルフィスの天然ぶりは伺い知れた。言葉に二重の意味を込められるとは思えない。
「僕と話していたいと思う?」
「うん」
「ワクワクしたり楽しかったりする?」
「ああ、する」
素直に頷きながら答えるカルフィスが幼子のようで、僕は思わず笑ってしまった。
「じゃあ、それも好きって感情だね」
「そうか。では、私の"好き"はセトなのだな」
セトは「うん」と頷きそうになり、微妙に首を曲げたところで停止した。
その言い方は、何か違う。
♢♢♢♢♢♢
僕は首を傾げながら考えた。カルフィスはあまりにも物を知らなすぎる。吸血鬼なので見た目通りの年齢ではないのだろうが、少なくとも十年以上は生きているはずだ。それだけの時間を生きていて、"好き"という初歩の感情の経験すらなかった。
あまりにも不自然すぎる幼さ。
「カルフィス、君、親はいる?」
「いない」
「じゃあ親戚は?」
「いない」
「…じゃあ、世話係とか」
「いない」
僕は片眉を上げて首を傾げた。
「誰でもいいからさ、他の人はいないの。誰か会いに来てくれる人とか」
「いない」
「はい嘘〜!」
僕の細い指がカルフィスの目の前に向けられた。成長途中の子供特有の柔らかそうな手は、カルフィスのそれとは全然違う。僕は女児のような体付きをしているわけではないのだが、同年代の子供たちと比べると成長が遅く、その分だけひ弱なのだ。前世から続くコンプレックスだった。
「誰とも関わりがないなんてあり得ないもんね。いいかいカルフィス君、人は一人では生きられないものなのだよ」
「僕は人間ではなくて、“吸血鬼“なのだろう?さっきお前が言っていた」
「人間も吸血鬼も、変わりはないさ。この世の生き物は皆、他者を通して自身を確立し、他者を拠り所に意思を決定している」
僕は先生を気取って、敢えて難しい言葉で言う。理解してもしなくてもいいと思っているのが分かったのか、カルフィスは少し眉を顰めた。
「でも実際、僕は今まで一人だった」
「じゃあ君は、生きていなかったってことだね。僕と会うまでは、生きてさえいなかった」
僕は身を乗り出してカルフィスの顔を覗き込んだ。カルフィスを揶揄うつもりで口端を上げる。
「おめでとう、カルフィス。今日がお前の誕生日だ」
僕がそう言った途端、カルフィスの端正な顔が歪んだ。眉はこれ以上ないぐらいに寄せられ、目の周りは赤く、口はギュッと結ばれている。感情を抑え込んでいるかのような、幼い子供が泣くのを我慢しているかのような、そんな表情。
初めてみる反応に面白くなってじっと見つめていると、カルフィスの目が潤み出した。彼の心を満たす感情が、綺麗な赤目を溶かしている。
決壊寸前までため混んだ涙が耐えきれずに一粒流れ出てから後は、号泣だった。止める術のない涙たちが我先にと流れていく。
「なんで泣くんだよ」
僕は驚いて目を見開いた。軽い意地悪のつもりで、泣かせてしまうとは思わなかったのだ。
子供のように泣いているカルフィスは何かを言おうと口を動かしたが、言葉にせずに口を閉じてしまった。その仕草に身に覚えがあって、僕はつい笑ってしまう。
(泣き声ぐらい、出せばいいのに)
どこまでも不器用な子供だと思った。




