10話 愛とは名ばかりの
セトがカルフィスの屋敷を出て自分の家に帰宅した時、真っ先に視界に入ったのは、鎧を着て武器を持った何十人もの騎士たちだった。門から少しだけ顔を出して様子を盗み見る。騎士たちは見るからに屈強で、機械のような統一された動作から精鋭揃いであることが分かった。鎧には紋章が入っており、父親が所有する騎士であることが窺える。
家に着くまでに頭を捻って予想していたが、その何倍も大事になっていた。前回の遭難から過保護に拍車がかかっているように思う。あまりにも大事にし過ぎではないだろうか。屋敷から抜け出したのは今回が初めてではないぞ。
もしや、この騎士たちは僕の捜索と捕獲のためではなく、何か他の用事のために集められたのだろうか。そう考える方が理にかなっているように感じる。
むしろそうであってくれと願いながらそろりと姿を現した。その途端、騎士たちの目が一斉に僕に向く。うん、やばい。
騎士たちは揃って驚きの表情を浮かべ、一斉に膝を付いて頭を下げた。主君に対する忠誠の証だ。僕が直接の主君ではないが当主の息子であるし、何より両親に溺愛されているため、最上級の敬意を持って扱うのだろう。帰属お抱えの騎士というのも大変なものだ。
身長差があり過ぎるので、この状態でも頭頂すら見えないのだが、騎士たちは視線すら下げているので誰とも目が合わない。それでも僕にあまりいい感情を持っていないことは分かった。説教される前のような雰囲気を感じる。
「セト!」
嫌な予感に鳥肌を立てていると、跪いた騎士たちの向こう側から声をかけられた。切羽詰まった声色だ。今世の父親のものだった。
父親は表情を歪めながらこちらに走って来ていた。優雅を強いられる貴族が走るなど、よっぽどのことがない限り見ることが出来ない光景だ。今はそのよっぽどのことが起きたらしい。僕のことでなければいいなあと、何処か他人事のように考えた。
「セト…っ!ああ、セト!」
父親は走った勢いをあまり抑えずに僕に突撃してきた。子供の小さい体はその勢いに容易に負け、父親の腕の中にすっぽり埋まってしまう。足を地面に付けることすら出来なくなった。
自動車にでもぶつかったのかと思うほどの衝撃に目を回していると、父親の顔がすぐ近くまで迫ってきた。僕とはあまり似ていない顔に鬼気迫る表情を浮かべている。体に巻きついた成人男性の太い腕が、強い力で僕を締め付けた。息も苦しいし少しも動けないし、僕は軽度のパニック状態だ。
「何をしているんだ!どうして抜け出したりした!それも窓からなど…!どんなに危険なことをしたのか、分かっているのか!?」
表情全体が見えないぐらい近くにいるのに、とても大きい声で怒鳴られた。
相手に少しの配慮もない怒鳴り声。制御の効いていない感情。自分のしたことを正当化していることが窺い知れる言い方。
全てが癪に障った。
自分を心配していたのなら、こんなにも苛つきはしなかっただろう。しかし、目の前の男のしてきたことや態度で、そうではないことを知っている。自分が部屋から出ないように命令したのに、勝手に逃げ出したことを怒っているのだ。言う通りに動かないことを怒っているのだ。
僕を支配対象としか見ていないのに、あたかも子を心配する親のように振る舞われるのは、酷く不愉快だった。
「分からないな。僕はどんな危険なことをしたの?」
苛立つ感情を抑えて、抑えて。表面上では何事も無かったように子供らしく聞いた。こういう輩に感情任せに言い返しては駄目だ。支配対象である僕が言い返した時点で、それは反抗としか捉えられないのだから、あくまでも冷静に、理性的でもって問わねばならない。
「どんなだって!?お前と言う奴は!自分がしたことも忘れたのか!私はそんな犬畜生に育てた覚えはないぞ!」
感情を押さえ込んだ苦労が水の泡になってしまうところだった。危ない危ない。
僕が嫌いなタイプは、感情制御が出来ない奴だ。昂った感情のままに、どんなことでもするし言ってしまう奴ら。そう、目の前のこいつのように。
嫌悪が表面に出てしまっていることを自覚しながら、親と自称する男を見た。
「だから、僕は何をしたの」
「勝手に部屋を抜け出しただろう!それも窓から!」
「扉が開かなかったからね」
「開かないようにしていたのだ!お前が二度と森へなど行かないように!」
「どうして行ってはいけないの」
「危険だからだ!」
「何が危険なの」
男の喉が上下に動いた。考えるように視線をさ迷わせ、言葉に詰まる。
「何がって…。森には獣がいるだろう」
「僕を食べてしまうような大きな獣がいるの?」
「ほとんどは冬眠しているだろうが、眠り損ねた奴がいる可能性もある」
「"可能性もある"」
男の言葉に驚いて、つい繰り返してしまった。
「獣以外にも森にはたくさんの危険がある。一人で帰って来られたのは奇跡なのだ」
「奇跡って二度も起こるんだ」
男の眉間に皺が寄った。俺と同じ色の目は困惑で揺れている。出来の悪い生徒でも見るような目だ。こういう仕草ひとつひとつに軽蔑していることを、気が付いていないのだろうか。
「ああ、違う。森の危険性は知っているんだ。ただ僕は、この話を初めて聞いたなと思っただけで」
不思議なものだ。危険だからの一言で部屋に監禁しておいて、それを正しい事だと本気で思っているのだから。正気を疑う。
「…何が言いたい?」
「一番言いたいのは、部屋に閉じ込めないでってこと」
真実、一番言いたいことはそれだった。根本的な解決にはならないが。
「もう二度と森に行かないし、許可なく屋敷から出ないというのなら考えよう」
「……」
うん。これは無理だ。話の通じないタイプの人間だった。知ってはいたが。
僕が首を縦に振らないのを見た男は、不機嫌そうに眉を顰めた。
「お前はまだ幼いから分からないのだ。全て大人に任せておけばいい」
これは転生してから気が付いたことなのだが、大人が思っている以上に子供は多くのことを理解している。もちろん経験不足が故に浅慮な行動を取ってしまうこともあるが、意外と分からないことばかりでもないのだ。どうせ子供だからと大人にいい加減な事をされた時、子供は言語化できない不快感を覚える。それはきっと大人になっても覚えているものだ。
これは、精神が大人である僕に限った話ではないと思う。再び経験して、そういえばと思い出したことがたくさんあるからだ。昔は曖昧な感情だったもの。何が正常なことなのか知らないからこそ受け入れてしまったもの。そういう苦い思い出は、誰しも持っているのではないだろうか。そして、多くの人は決意するのだ。自分はそんな大人にはならないと。
目の前の“大人”は、その決意をしそびれた結果の産物なのだろう。そう考えると恐ろしく思えてくる。異常だと気付ける側の人間でよかった。どんな親に育てられたのだとしても、そのことに気付ける時点で、気付けない人間とは違うのだから。
「愚かな人」
気が付いたらそんな言葉が口から漏れ出ていた。凡そ子供らしくない冷たい声。蔑むような目。何処か冷静な自分が、これほどまでに心情が態度に出たことに驚いている。
当然、男はもっと驚いていた。何を言われたのか理解出来ず、呆然と僕を見ている。僕と同じ色の目と視線が合っても少しも揺るがない心に、決別を悟った。
ため息を吐く気も起きなくて、男から視線を外して歩き出す。もう意思疎通は諦めた。試みることさえ無意味だ。この人はこういう人なのだから仕方がない。
「待て!セト!私が待てと言っている!」
後ろから怒鳴り声がかけられるも、振り返らずに足を進めた。こういう一つ一つの命令に従ってしまうと、怒鳴れば命令を聞くということを覚えてしまう。犬の躾には細心の注意が必要なのだ。
ああ、ちなみに、人を犬呼ばわりするのは倫理的にアウトだ。良識と品格を持つ大人がすることではない。しかし、まあ、こちらを犬扱いする輩には、その限りではないとは思うが。
要は、因果応報というやつだ。
こちらを尊重しない相手に、敬意を持って接する意味はない。
「教育だと言えば、どんな行為も正当化できるわけじゃない」
置き土産として、本心のほんの一部を置いていく。こんな醜い人だけれど、一応は十年間育ててくれた人だ。なんの変化も期待できないが、まあ、アドバイスの気持ち。
徐々に離れていく距離に、少しの悲しみも感じない。やはり、離れてよかった。もっと早く処理しておくべきだったとは思うが、必要経費だったと思うことにしよう。今よりも幼い頃に反抗していたのなら、勘当された後に生きては行けなかった。
とは言っても、まだ十歳。出来ないことの方が多い。しかし、我慢出来なかったのだから仕方がない。
まったく、世知辛い世の中である。




