9話 青いピアス
ソファーに寝転がりながら青い羽根を光に透かした。
拾ってから何ヶ月も経っているのに、未だに美しいままだ。鮮やかな青い色も艶やかに輝く光沢も、何もかも変わっていなかった。前世のようにドライヤーや保存用の袋がないから保存状態が良いはずはないのに。
「なんでだろうね」
「……最後だけ口にするの、やめてくれないか」
少し低めな声に、疑問を感じてカルフィスを見た。不機嫌そうに細められた彼の目と視線が合う。「その癖直せ」と言う時の目だった。
「いや、だからさ。拾ってから大分時間が経つのに、全然傷まないな、と思って」
「ああ、それは魔術のおかげだろう。その羽根が発する光は、魔法特有のものと似ているからな」
「え!?」
僕は勢いよく上半身を起こした。聞き間違いでなければ、青い鳥が魔法を使っていると言ったように聞こえたのだが。
「魔法を使う動物がいるの!?」
「元々、魔法とは自然の力だ。人間以外が使えてもおかしいことはない。まあ、本にも記載がないから、かなり珍しい存在なのだろうな」
カルフィスがキョトンとした顔で言う。彼の中では当たり前のことだったようだ。驚いている僕に驚いている。
「そう…なんだ。じゃあ美しさを抜きにしても、貴重な鳥なんだね」
「その美しさだって魔法のおかげかも知れないぞ。無意識の内に、惹かれているということも有り得る」
カルフィスが得意げに胸を張った。
確かに魔法が発動する時の神秘的な淡い光はとても綺麗だが、言い換えれば綺麗というだけだ。僕は青い鳥にそれ以上の感情や執着を感じている。魔法の影響というのは納得だ。
「じゃあ何もしなくても綺麗なままなんだ。すごい」
「永遠にではないがな。どんな魔法にも終わりはある」
「ああ、そっか」
僕は時々、カルフィスに魔法を教わっている。教えを乞うたわけではないが、カルフィスが楽しそうに教えようとするから、まあいいかと受け入れている。その教えの中で最も最初に学んだことが、始まりと終わりの設定だった。魔法を発動する前に、術が始まる条件と終わる条件を考えておくのだ。始まる条件がなければそもそも術が発動しないし、終わる条件がなければ術者の魔力が尽きるまで続いてしまう。例外的に、魂縛の術のように魔力の代わりに生命力を使うものもあるのだが、日々生み出される生命力よりも術によって減る生命力の方が少なくなければならないため、軽い術にしか使えない。魂縛の術でさえ、何重にも縛りを設け、更に僕たちがお互いを近しい存在だと認識しているからギリギリなんとかなっているのだ。持ち主から離れた羽根の状態維持など、生命力では発動出来ない。つまり、魔力が無限でもない限り、この魔法には終わりがあるのだ。
抜け落ちてから何日後なのか、持ち主であった青い鳥が死んだ後なのか。いつかは分からないが、いつか朽ちてしまう。
それはとても、惜しいと思った。
僕はソファーから降りて部屋を飛び出る。そのまま屋敷の玄関を抜けて、裏にある井戸まで走った。目当ては井戸の中、遥か下にある澄んだ地下水だ。
太い縄を引いて桶を引き上げる。水がいっぱいに入った桶は子供が持ち上げるには重く、少しずつしか動かない。それがとてももどかしかった。今この瞬間にも羽根の劣化が始まってしまうかもしれないというのに。
後ろから控えめな足音が聞こえた。カルフィスのものだろう。普段、足音を立てない彼にしては珍しいことであった。
「セト!いきなり!いなくなるな!」
肩で息をしているカルフィスが、苦しそうに言った。相当焦っている時の声。僕が突然帰ったとでも思ったのだろうか。そんなことするわけないのに。
他に意識が逸れたことで、少し力が抜けてしまった。半分ほどまで上がっていた桶が落ちてしまう。
「カルフィス、カルフィス!手伝って!」
僕の姿を見て安心する前に、縄を引くのを手伝って欲しかった。井戸の水を汲むというのは意外と力作業で、体力のない僕ひとりでは厳しいものがある。
状況を理解しきれていないカルフィスは、困惑しながらも僕を真似て縄を掴み、力一杯引いてくれた。あんなにも重かった桶が途端に軽くなり、驚くほど簡単に持ち上がる。少し溢しながら地面に置いた桶の中には澄んだ水が入っていた。
「喉が乾いたのなら一言何か言ってから行けばよかっただろう。何をそんなに急いでいたのだ」
カルフィスは僕が飲むために水を汲んだと思ったらしい。口を尖らせて拗ねながら文句を言ってきた。
「違うよ、飲む用じゃあない」
僕は胸を張ってカルフィスを見た。前世の記憶を持つ僕だからこそ思いついた名案を、彼に披露したくてたまらなかった。さぞ驚いて、僕の柔軟な頭脳を褒めてくれるだろう。
「吉兆の羽根を洗うんだ!」
「……は?」
カルフィスは眉を寄せて、理解できない生物でも見るかのような目で僕を凝視している。
思った反応と違った。
♢♢♢♢♢♢
「本当に帰るのか」
カルフィスは子犬のような顔で僕の服の袖を掴んだ。帰る話をする度にこれだ。また会いに来ると言っても、魂縛の術でお互いの存在を強く感じるようになっても、寂しいことに変わりはないらしい。
「帰るよ。そうしなければならないのは知っているだろ」
僕は呆れて言う。何度目かの会話に飽き飽きしているのだ。僕と出会うまで独りであったことを念頭に置いて考えても、寂しがり屋がすぎる気がする。
カルフィスは言葉にもなっていない呻き声をあげながら抗議をしていたが、僕のまったく揺るがない態度を見て押し黙った。心変わりする可能性がないことを悟ったらしい。相変わらず、不満顔はそのままであったが。
「君は本当に雛鳥のようだね。巣から出ず、親鳥が帰って来るのを鳴きながら待っているところとか、特に似ている」
「馬鹿にしているのか?」
「いや?可愛がっているんだよ」
子供か弟に対するような温かい目で見てしまっている自覚がある。それを見て、カルフィスはムッと眉を顰めた。生きている年月はカルフィスの方が長いのに、僕が子供扱いすることが気に入らないのだ。
彼を宥めるために、彼の左の耳についているピアスに手を伸ばした。青い鳥の羽を魔法の結晶に閉じ込めたものだ。
魔法のおかげか、羽根はまだ綺麗なままだった。
「私はお前の友だぞ。子供扱いするな」
「あはは、ごめんごめん」
カルフィスはくすぐったそうにしながらも、僕の手を受け入れている。もう怒っているようには見えなかった。
ふと、視線を逸らした窓の向こうの木に、鳥の巣が見えた。高い位置にあるために中は窺い知れないが、それなりに大きい巣だった。思わず笑いが溢れる。
「ほら見て、カルフィス。あそこ」
僕が笑いながら指さした先を見たカルフィスは、「あっ」と声をあげて目を見開いた。
「きっと中には雛鳥がいるよ。覗きに行く?」
「行かない」
「なんで。面白そうじゃあないか」
「いきなり覗いたら、雛たちが驚いてしまうだろう」
嗚呼、そうだった。カルフィスはこういう奴だった。外の世界では見たことがない程のお人好し。彼の心には優しさと思いやりしかないに違いない。そこまで考えた後、脳裏に雪景色が浮かんだ。降り積もる雪と同化してしまいそうな白髪。触れた肌は冷たく凍っていた。
心の奥から湧き上がる罪悪感を抑えるように、僕はひとつ頷く。やっぱり、カルフィスの心には寂しがり屋も住んでいるな。
「そもそも、雛鳥がいるか分からないではないか」
なんの話だと疑問に思って、直前に話していた内容を思い出した。思考に溺れてしまうのは、僕の悪い癖だ。
「いるよ。だってあれは、青い鳥の巣だもの」
「そうなのか。なぜ分かった?」
予想外のことを聞いても当たり前のように信じるカルフィスに、僕は苦笑した。そういうところが雛鳥のようだと言うのに。
「あの巣、この前来たときはなかったから。最近作られたってことだろう。鳥が巣を作るのは卵を産む前なんだ。こんな真冬に卵を産むなんて、青い鳥しかいないじゃない」
「なるほど」
キラキラした目で見てくるカルフィスに、僕は気分が良くなった。かの有名な名探偵が助手を求めたのも、きっとこういう目が好きだったからだろう。読んだことがないので想像でしかないが。
「まったく、これぐらい、常識を組み合わせれば簡単に思いつくことだろうに」
楽しくなってきた僕は、意地悪く笑いながらカルフィスの頬を突いた。もちもちの感触。気持ちいい。
しばらく彼の頬で遊んでいたら、やんわりと手を離された。叩き落とさないところがカルフィスらしい。
「お前に常識を語られるとはな」
「なぁに、その言い方。まるで僕が変わり者みたいじゃあないか。僕ほどの常識人は、どこを探しても滅多にいないよ」
カルフィスがふっ、と笑った。僕の肩に両手を置いて、爽やかな笑みを浮かべている。
「では、今度はちゃんと門から入って来るのだな」
「いや、木から入るから部屋にいて」
「お前は常識というものを学び直した方がいいぞ」




