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09 慰問

 その日、国王夫妻は馬車に揺られていた。災害避難所の慰問に向かっている。

 先日の『プロポーズ』の後、多忙が続いたり、朝方雪が降ってしまい庭園の散歩をしなかったりで、なかなか二人で話せなかった。

 クラレンスの態度は変わらない。無理に押し付ける気はない、と言った言葉を守ってくれている。

 だがこのままという訳にもいくまい。女王は、こういう話は苦手だったが腹をくくり、重い口を開いた。


「クラレンス。先日の話の続きをいいか?」

「持ち帰って検討頂いた件ですか?」

 意外にいたずらっぽい返答をしてくれたお陰で、女王は少し話しやすくなって口許がほころぶ。これもクラレンスの気遣いなのだろう。

「クラレンスは私のどこを気に入ってくれたんだ?実はさっぱり想像がつかないんだ」

 賢く社会的地位が高く、自分の意志や主張を持っている女性を嫌厭する男性は多い。というかそんな男ばかりの男性社会の中で生きてきたので、その統計的事実は骨身に染みて知っている。

 エレインに言った通り、自分がその歪んだ価値観に同調してやる気はさらさらないが。


 クラレンスは少し目を見開いた。

「陛下は国一番に素晴らしい方で、誰でも惹かれずにいられないでしょう」

 本心から意外そうな口調でいう。

 そんな手放しの絶賛では、却って分からんし実感がない、と女王は内心頭を抱える。

「そんな大層でもないぞ。クラレンスこそ若くて能力もあるし、色々な可能性があるだろう。……以前、王配以外の人生も考えてみてくれと話したが、考えてみてどうだった?王配であれ、と周囲が寄ってたかって言うような環境から切り離して考えてもらいたかったんだが」


 その言葉だけで、クラレンスは、彼の恋慕が周囲から刷り込まれた幻想ではないかと彼女が危惧していることに気づいた。

 一瞬ムッとしたが、クラレンスを大事にするゆえとは分かる。ならば、これが狭い価値観で洗脳された子供の思い込みなどではないと、伝えねばならない。

「様々な分野の勉強をさせて頂き感謝しています。しかし……私は身の程知らずな願いをお許し頂けるなら、王配でいたいです。

というより、あなたの伴侶になりたい。人生を共にしたい。それが許されないのならば、肩書きが王配であれ一介の下級文官であれ、あなたを支える一つになれる職務につかせて頂けたらと願います」


「……私が伴侶としてそう魅力的とは思えないんだが」

 遠回しな社交的断りの定型句ではなく、本心から困惑しきっている女王の顔に、クラレンスは、これ程至高の存在が本気で自覚がないのか、と認識を新たにした。

 ここは言葉を惜しまず伝えるべきだ。

「あまりに当たり前すぎて、ちゃんと言ったことがなかったかもしれません。申し訳ありませんでした。

陛下は、聡明で強く、高い倫理観と理性を持ち、それを現実にする判断力と決断力と行動力に優れた素晴らしい方です。

そしてその力は、国や人々に寄り添い救うため、陛下ご自身が不断の努力で身に付けられたものです。

一方で、時に周囲を微笑ませるような、人間味のある気さくな温かさが、あなたを支えたいと人を惹き付ける魅力になっている。

あなたが目指す道を行く姿は、人々に希望や勇気を与えています。私もあなたから沢山の力を頂きました。その力をあなたを支えることに使っていきたい。私もあなたに与える存在になりたいんです」


 女王は胸を衝かれ、瞠目して固まった。そして少し間をおいて絞り出されたのは、子供のように素朴な言葉だけだった。

「……ありがとう。とても……嬉しい」

 彼女は、雪が陽に溶けるような、潤んだ目で喜びに輝く笑顔をクラレンスに向ける。

 クラレンスは何故か一瞬固まって目を逸らした。


 クラレンスの真摯な言葉に、女王は心の底から熱いものが湧き出すような喜びで一杯になった。

 女王は敵が多い。肯定されることも多いが、否定されることもまた多い。

 客観的に公正な批判なら否定的内容でも厳粛に受け止め改善に努める。しかし女性権力者だからと嫌厭されたり、かつてのクーデターの例など、理不尽な理由で苛烈な攻撃を受けることは後を絶たない。

 勿論、それで潰される彼女ではない。彼女は強く逞しく、そんな荒野に生き、すべき治世を行っていくことは当たり前だった。

 自分が他者に理解されないことに、あっけらかんとした諦観があったとすら言える。

 ーーだからこそ、こんなにも理解され受け入れられることに、虚を衝かれるような感動があった。


 彼は、彼女が人生で大切にしてきた価値観を見抜いて、それを評価してくれた。

 ジェラルディンという人間そのものを見てくれて、人格の根底を、人生を丸ごと肯定してくれる言葉だった。

 ーー生きていてよかった、この人生を選んで歩き続けてきて、自分が自分でよかったと、勇気づけられる。

 女王は額に手をやり呟くように言った。

「ーーまったく。クラレンスは私が人生で出会った中で最高のいい男だ。私にはもったいない」

「え?」

「到着しました」

 馬車の外から、目的地へ到着した旨の声がかかり、国王夫妻は一瞬で仕事の顔へ切り替え馬車を降りた。



◇◆◇◆◇◆


 この国は隣国イリヤーナ程の雪国ではないが、それなりに雪が降り、毎年雪害がある。最近あった雪害の被災地の避難所は、義務教育の学校の一部を使っていた。簡素な建物に、国王夫妻が入る。


 避難所の人々に別送した支援物資や復興計画について話し、労い励まし、話を聞いた。慰問を終えようとする頃、突然、女王の体が傾いだ。

「!!」

「陛下!」

 隣にいたクラレンスが、体勢を崩した女王の上体を支える。

 護衛の近衛は暗殺者かと殺気じみた目を周囲に走らせたが、クラレンスは女王の視線が足元に向かっているのに気付き、その視線をなぞる。

 女王の右足が、傷んだ木の床の一部を踏み抜いていた。それでバランスを崩したようだ。

「陛下、ご無事ですか?!」

 施設内で夫妻に随行していた領主が駆け寄り、自分の部下に怒鳴る。

「おい!施設管理者を呼べ!陛下を傷つけた責任をとらせる!」

 その怒号は、とにかくまずは責任の転嫁先を確保しようとしているかのように感じられ、クラレンスは眉をひそめる。

 しかし意外にも女王は領主を止めなかった。というより、他のことを考えているようで、王宮から同行した自分の秘書官の一人を招き寄せると、耳打ちした。

 秘書官は頷き、そして女王の足元に視線を走らせる。

「陛下、足を傷めておられませんか」

「まぁ、大丈夫だろう。次のスケジュールが押してるので、悪いがもう行く。後は頼んだ」




 動き出した馬車の中で二人きりになり、クラレンスは尋ねた。

「陛下、秘書官には何を話したのですか?」

 女王は領主達に知られたくないようだったので、あの場では問わなかった。

「あの腐った床はおかしいから調べろと指示した」

「おかしい?」

 陛下は何に気づいたのか。陛下を悪意で狙ったにしては、偶然に頼り過ぎるし、被害が小さい。

「半年前、国内の学校の修繕箇所の調査をして、今避難所として使用しているあの学校へも修繕費の予算をつけた。工事の完了報告書と精算書は先月が締切だった。修繕したばかりで何故床があんな酷い腐り方をしているんだ?横領の可能性を確認させている」

「あの領主が横領を?」

「調べないと何とも言えんが、一番懐に入れやすい立場ではあるな。校舎の他の部分も傷みが目立ったし、給食施設も長く稼働していないようで引っ掛かっていたんだが、試しに弱ってそうな床を踏んでみたらいいきっかけになった。領主が自分から関係者を呼んでくれるから、調査を進めやすいだろう」

 制度は形だけ整えても実態が伴わない。常に緊張感をもち、適切な予算や監査や人事を見直しながら継続しなければならない。

「今回のことは残念だが想定の範囲内だ。今回の問題を対症療法で終わらせるのでなく、報告制度の穴を潰す根治療法の案の作成を担当部書に指示するとしよう」

「陛下、あなたという人は……」


 僅かな時間でやるべき仕事をこれだけ考える力は流石だ。しかし、他のことも考えてほしい。

 クラレンスはため息をつき、先程秘書官が訊いたことをもう一度訊いた。

「陛下、足を傷めていませんか」

 ……彼には隠しても仕方ない。女王は、医師が患部を診るように冷静に、右足首を曲げ伸ばし、回転させて言った。

「打撲だけじゃなく少し捻ってるな。折れてはいない。今後のスケジュールには影響ないだろう」

「スケジュールの話ではありません。陛下のお体の話です」

 クラレンスは焦れたように、けれど心配の方が上回る声音で言った。

「今夜の侯爵家の夜会は欠席させて頂きましょう」

「いや、私が行く前提で来客者も采配も調整されている。主催の侯爵だけでなく、方々に困る人間や損害が出るんだ。私はさっき馬車まで歩いて見せたろう。この程度なら出席に問題はない」

 クラレンスはため息をつく。その通りだ。彼女は王だ。自分の行動の影響とそれに伴う責任を誰より理解しているゆえの判断だ。


 一方で、クラレンスは思う。女王は自分以外の者を思い遣る視点が豊かなのが長所だが、その分自分の痛みに鈍感だ、と。

 捻挫の痛みを堪えたり、徹夜で仕事をして隈を作ったりしても、目指すゴールに辿り着けるなら些末なことなのだ。彼女にとっては。

 彼女に、自分を大切にしろ、と言いたくなったことは今回ばかりではない。


 けれど、それが的外れで、クラレンスの感情をぶつけたいだけの自己満足に過ぎないことも彼は理解していた。

 彼女は、目指すゴールに向け、必要だからやむを得ず自分を傷つけているのだ。

 あたかも、自分を無意味に傷つけたり、それを理解すらできない愚か者であるかのようにすり替え、彼女を中傷する言葉で殴る程クラレンスは愚かではなかった。


 言われるまでもなく、彼女はいつも自分の体の健康に気を配っている。毎朝散歩をし酒を断っていると、クラレンスは知っているのだ。

 彼女は、目指すゴールのために自分の体と秤にかけ、前者を取る。前者を捨てろと言えない現実が確かにある。そしてそれこそが彼女なのだから、支えたいと思う自分がいる。

 なら、彼女の福利も責務も、両方取れるよう自分にできることはないだろうか。

 ーークラレンスはいつもそう考えている。


「陛下、では一つ提案があるのですが」

 クラレンスは、柔らかな笑みを浮かべて言った。

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