99 新生第7分隊〜ハンス2
翌日もシェルダンは軍営で雑務をこなす。
大した仕事は残っていない。ただ、小隊長と次の遠征について下話があった。おそらくは、アスロック王国の国境を犯し、アスロック王国側を偵察することになるだろう、と。
もちろん、アスロック王国軍が出張ってくれば、本格的な戦争であり、偵察どころではない。交戦するのだ。
(いよいよ、やる気か。だが)
大体のところはシェルダンも察してはいたが、本格的な人間同士の戦いとなるかは微妙なところだ、と思っていた。
(なにせ、アスロック国内には、魔物が多すぎる)
軍営の廊下を練兵場に向けて歩きつつ思う。
魔物が多いということは、人の手が入っていないということ。つまり、付近にアスロック王国の軍隊がいないということでもある。
(主に魔物との戦いになるかもしれんな)
魔物を駆除し、制圧地区の領有を宣言。そのうえでもし、アスロック王国側が取り戻すべく攻めてくれば、そのとき初めて人間同士の戦争、となるかもしれない。そんな流れではないかとシェルダンは読んでいた。
「俺がいたときですら、他国と戦う余力はほぼ無かったからな、あの国は」
シェルダンは呟いた。分隊員たちにはある程度、何と戦うのか覚悟を決めさせてから、戦場入りさせてやりたい。
午前の時間を使って、シェルダンは魔物のバットとの戦い方を繰り返し、若い隊員らに教え込んだ。午後になると、ロウエン、リュッグも皇都から帰還し、合流した。
2人とも、しばらく離れていたから午後の訓練は勘を取り戻すのにはちょうどいいだろう。
他の分隊員の動きも見逃せない。
メイスンの動きは相変わらず水が流れるかのように淀みなく滑らかだ。ガードナーも一時期より随分落ち着いたように見える。わけのわからない悲鳴をあげる回数も減った。
レンドックに確認したところ、シェルダンはとても怒鳴られたのだが。雷魔術をいくつか使えるようになった、とのこと。
驚くシェルダンを、レンドックが微笑んで眺めていた。まだ訓練を初めて数日のはずだ。
「やはり、ブロング家の子供じゃ。才能はあったのだがなぁ。教えて、伸びてくれればくれるほど、惜しいと思ってしまう」
そこだけはしんみりと、レンドックが言っていたのが印象的だった。そして、ガードナーの覚えがよく、気合が入りすぎた、とのことで追加授業料を取られてしまったことも思い出す。
訓練終了後、ハンターとの反省や話し合いも終わったシェルダンの執務室を、ハンスが訪ねてきた。
「どうした?例のプロポーズの話か?」
椅子に座ったまま、シェルダンは神妙な顔をしたハンスに尋ねる。
あいまいにハンスが頷く。
「ちょっと、相談したいことというか。悩んでるんですよ。でも、しょうもねぇことな気もして」
どちらかというと剽軽なハンスに悩みとは珍しい。
「気にするな。言ってみろ」
促すと、ためらうような素振りを見せてから、ハンスが口を開く。
「俺、ニーナと本気で所帯を持ちたくて、それはもう、そうするつもりなんですけど」
ニーナとの結婚そのものについて、悩んでいるわけではないらしい。
「それは良いことだと思うが、どうした?」
話の行く先が見えなくて、シェルダンはさらに尋ねる。
「前にメイスンさんが言ってたこと、覚えてますか?俺が勇敢だ、どうだっての」
メイスンに限らず、ハンスの勇敢さは分隊の皆が認めている。前に出て一歩も引かない戦いぶりをよく見せてくれるのだ。だから、相棒のロウエンが通常時、半歩ほど下がれるのである。
「それがどうしたんだ?」
今度はニーナとの結婚とハンスの勇敢さがどうつながるのか分からない。
「ニーナと結婚するって思ったら、今回の戦に出るの怖くなっちまって。こんなの初めてです。メイスンさんですら、勇敢だって認めてくれてるのに。おじけづいちまったら、俺」
言いたいことがようやくわかった。勇敢さを買われている自分が怖気づいたとなれば、どうなってしまうかわからない。周りを失望させるのではないか、など、漠然とした不安に駆られているのだろう。
ただ普通に結婚する、というだけでも希望だけではなく、不安もあるというのに。
自分にも通じるところがあって、シェルダンは微笑んだ。
「まず、ハンス。メイスンや他の皆が、お前について勇敢だ、と言っているのは戦い方の問題で、人間性の話じゃない」
思い返せばサーペントのときなど、ハンスも尻込みするときは尻込みしていたものだ。それも、悪いことではない、とシェルダンは思っている。
「でも、俺、今までと同じ戦い方が出来なくなるかもしれません」
ハンスがまだ不安そうに言う。
「結婚して、そういう不安を持つのは、自分で失うものが出来たって感じるからじゃないか?」
シェルダンも考えながら話し始める。
「だが、ハンス。失うものがないから突っ込んでいくような戦い方は勇敢じゃなくて蛮勇とか無謀とか、そういうものじゃないか?」
戦い続けていて、死んでもいいやと投げ遣りな生き方をする仲間も目にする。それを否定しようとはシェルダンも思わないが。
ハンスがハッとしたような顔をした。どうしても一人で考え出すと人間は同じところを思考がグルグル回って苦しくなるものだ。当たり前のことすら見えなくなる。
シェルダン自身、死ね、と部下に命令したことはないのである。
「帰りたい場所や会いたい人がいるから、出せる底力もある。軍人として助言するなら、生き延びられるような戦い方や技術を訓練でしっかり身に着けろ。実戦では慎重によく考えて動け。経験からも一つ一つ学べ」
すべて、ビーズリー家で伝えられてきた言葉だ。
生き延びることに1000年、執着し続けてきた家の言葉だから、参考になる部分もあるだろう。
「ただ、どうしても戦うことが怖くなって、どうにもならなくなったら、誰にも気兼ねすることはない。退役することも考えるんだ」
逃げるのも立派な生存戦略の1つだ。
なぜ、ビーズリー家が軽装歩兵にこだわるのか。いざとなれば逃げられるので、生存確率も上がる。それでいて生涯賃金も悪くない。強かな計算に基づいて軽装歩兵を続けてきたのである。
軍務自体から逃げることも場合によっては必要だろう。
(俺なんか国から逃げたようなものだしな)
シェルダンは自嘲気味に思うのであった。
ハンスが考え込んでいる。軽卒に口を滑らせることもあるが根は真面目な若者なのだ。商家の次男坊であり、自立して早くから生きなくてはならなかった、というのも影響しているのかもしれない。
「ただ、俺が上司としている間は、いたずらに死なせるつもりはない」
シェルダンは微笑んで保証した。
本当は死ぬことも軍人の仕事には含まれる。上長によってはそういう考えを口にすることもあるだろう。
また、ビーズリー家の考え方からしても、いざとなったらハンスを盾にしてでも生き延びろ、というのが基本的な考え方だった。
(でも、それじゃあ、どうにもならないし、俺も辛い)
亡命してきて、ドレシア帝国でついた部下にシェルダンも愛着があるのであった。一人、自分だけが生き延びるのでは寂しい、といつしかシェルダンも思うようになっている。
「ありがとうございます。少し気持ちが楽になりました。ニーナともよく話し合います。あとはしっかりして、そもそも振られないようにしねぇと」
ハンスが頬を緩めて退室した。
「俺もそのことは他人事じゃないからな、お互いにな」
シェルダンは苦笑して一人呟くのであった。
いつもお世話になります。
まだこの場面、途中ですが、次で100話なのですね。映えある100話目はハンス君となりました。なにかハンス君のお話でも書こうかなとおもっています。
ちょっとまだ考え中です。こんなことすると、また200話目でそのときの人の話しなくちゃならなくなりますが(笑)
ちまちまここまで書き連ねてきて、キリ番たどり着けて少し感慨深いです。いつも本当にありがとうございます。




