98 新生第7分隊〜ハンス1
聖騎士セニアの治療院での活動がすっかり広まって話題となっている。ルベントで暮らすシェルダンの耳にも届いていた。
今、シェルダンは副官のハンター、分隊員のハンスとともに軍営近くの居酒屋トサンヌで酒を飲んでいる。
「いやーっ、完全に見直しましたよ、俺は」
酒を煽ってハンターが言う。だいぶ酒が回っているようであたりを憚らぬ大声である。周りの客も似たようなものなので、シェルダンもハンスも気にもとめない。
シェルダンも同感ではあって、ウンウンと頷いている。
(きちんと、回復術もモノにしようとは。成長されたじゃないですか)
レナートの回復光を思い出すにつけて、懐かしいような嬉しいような気持ちを抱く。
ただ、最古の魔塔での自分は当初、かなり生意気だったのではないか、とも思っていて、あまり思い出さないようにしていた。
「魔塔を壊した、美人の聖女さんですよね」
元来は色白の頬を酒で赤く染めてハンスが言う。あまり酒に強くないくせに同席するからだ。
仲の良いロウエンが旅行に出て、カディスも異動してしまった。遊び仲間がいなくなって退屈なのだろう。
「なんだ、そのゴチャ混ぜは。元アスロック王国の聖騎士セニア様が、修行のため回復術を学ぶべく人助けもされているわけだ。聖女はあくまで俗称だ。時勢ぐらいはきちんと頭に入れておけ。所帯を持つんだから」
シェルダンもシェルダンで、自分が滅茶苦茶を言っている自覚はあった。酔っているのである。ハンターがなぜだか隣で馬鹿笑いをしていた。
「すいません、最近、忙しくて。結婚するって一大行事だから大変ですね」
ハンスが悄気返って言う。コップ半分ほど残した麦酒をじっと見つめている。
「隊長の方はカティアさんへのプロポーズ、準備はバッチリなんですか?」
真顔で他意のない反撃をされてしまった。
ハンスから先日デートしていたナイアン商会のお針子ニーナ嬢にいよいよプロポーズをするつもりであり、受け入れて貰えたら同棲予定との身上報告を受けている。寮を出る出ないの関係があるので、個人のこととはいえ、聞かないわけにはいかないのであった。
「馬鹿野郎、ハンス。鎖鎌を良いの買ったって喜んでる人がプロポーズの準備なんしてるわけないだろ。今頃カッツカツだよ、隊長の財布は」
ハンターが横槍を入れてきた。確かに高額の鎖鎌を買っている。だが、大金を故あって手にしたシェルダンだ。
「一応な、指輪の準備はした。場所も決めてる。あとはいつするか、だな」
シェルダンは辺りを見回しながら言う。トサンヌにもカティアは姿を見せかねない。
「ほーっ、なんだい、隊長はやっぱりカティアさんには、惚れ込んでるね、まったく」
ハンターがニヤニヤ笑って言う。嫌な酔っぱらいである。
「俺も、前に言った通り、今回の遠征前に、ビシッと決めようと思うんです」
ハンスが意気込んで言う。
次の遠征は長くなる、とシェルダンも読んでいた。ゲルングルン地方の魔塔への対処となるはずで。場合によってはアスロック王国に攻め込むぐらいのこともするだろう。
(そうすると、相手はアスロック王国の魔塔の魔物かアスロック王国の軍勢か)
どちらに転んでも長くなる。
一介の兵士としては恋人に誠意を見せるなら今なのだ。
シェルダンもハンス同様、そのつもりで準備はしていて、給料3か月分の婚約指輪を購入し、次のデートを明後日約束している。
(ここに来て、フラれることもないと思いたいが、果たして)
自分に向けてくれるカティアの情愛が嘘だとは思えない。それでも思わぬ返しを受けるかもしれず、シェルダンも不安を抱く。
「隊長、どうしたんですか?深刻そうな顔をして、可愛いところもあるじゃねえですか」
からかうように唯一の既婚者、ハンターが言う。
「緊張しますよ、誰だって。見合婚のハンターさんにはわかんないでしょうけどね」
シェルダンより先にハンスが皮肉たっぷりに答えた。
「見合婚でもプロポーズはしたぞ。俺も通った道だ」
なぜだかハンターが胸を張る。確かにそれはそのとおりであり、見合婚だからプロポーズをしないというものでもない。ハンスも酔っ払っていて、思考が鈍っているのかもしれない。
「じゃあ、なんて言ってプロポーズしたんすか?」
ハンスが更に尋ねる。
「お前は明日から俺の嫁だっ!」
ハンターがバンッと卓を叩いて告げる。一瞬、プロポーズの文言はそんなものでいいのか、とシェルダンは思ってしまった。
「よくフラれなかったすね」
呆れたようにハンスが言う。
どうやら一般的には駄目らしい。
「なにぃっ」
ハンターがハンスをにらみつける。本人としては会心のプロポーズだったのだろう。
「グダグダ言葉を並べるよりな。男らしくズバッと言ったほうがいいんだよ」
一応、ハンターなりに考えがあっての言葉だったらしい。人によって向いている向いていないの、話し方の違いはある。
「いやぁ、俺、真似したくねっす」
言い争いを始める2人を尻目にシェルダンは考え込んでいた。
すでに休暇は明けていて、今ではルベントの軍営にて通常の軍務についている状態だ。3日ほどは経っているだろうか。
小隊長から5日後には、また国境にいる第1ファルマー軍団の応援に向かうように言われている。その前には私事のいろいろを進めておきたかった。
プロポーズを受け入れてもらえれば、いよいよ両家顔合わせの上、入籍をする予定である。先代聖騎士レナートへの義理立てから、当代聖騎士のセニアを助け、アスロック王国を捨てた。他国に来た自分に今のような状況が訪れるとは思っていなかったのだが。あまりに幸せ過ぎる。
「隊長、またカティアさんのこと、考えてたんすか?なんだか、らしくないですね」
ハンスが笑って告げる。こういう失礼な軽口はなかなか、何度言ってもなおらない。
「お前の頭だって、ニーナって娘さんのことで一杯だろうが」
酒の席での軽口である。言い返すだけにシェルダンは留めてやった。
「本当に良い娘なんですよ。真面目で働き者でしっかりしてて、可愛いし。俺にはもったいねぇって」
ハンスが嬉しそうにのろけ話を始めた。
「おいおい、そういうのは本人に言ってやれ」
ハンターがうんざりした顔で言う。
「本人には照れくさいんで無理っす」
しばらく酒と料理を楽しんだあと、3人はトサンヌを後にする。
その晩、軍営の執務室に戻り、シェルダンは新調した鎖鎌を改めて眺めていた。
アダマン鋼という、黒く、鉄よりも遥かに硬い鉱石を利用して作ってもらった特注品だ。腹に巻いたときの防御力も鎖分銅による打撃力も、鉄製のものとは段違いである。
こちらは、父母に与えられた金貨で支払いをした。
シェルダンはふと思い立って、カティアへのプロポーズ用に準備した婚約指輪を並べる。
慎ましくサファイアをあしらったプラチナ製の指輪だ。こちらは給料3ヵ月分をまるごと注ぎ込んで購入した。
サファイアの青さが、カティアの紺色の髪とよく合いそうな気がしている。デートで宝石店の前を通るたび、それとなく、仄めかされてきたことを思い出し、シェルダンは微笑んだ。
「この指輪で結婚を申し入れて。それが成れば俺はいつか、カティア殿との子供にこの鎖鎌を引き継げるのかな?」
口に出してつぶやく。気の早い夢想だ、と自分でも思った。
アダマン鋼の鎖鎌。とても値段は張ったが、それだけの価値はあり、自分以降の子供に家伝としていくのに恥ずかしくない逸品だ。
魔塔での実績に続き、また功績を上げてしまった。
(悪い癖だ)
功名心が強い。苦笑いをして、シェルダンは鎖鎌を腹に巻き、指輪を大切に机にしまった。