97 アスロック王国の奸計
アスロック王国の王都アズル、王城の一角にある自らの執務室にて、王太子エヴァンズは頭を抱えていた。
連日、神経に障るような報告ばかりが続く。
「くっ、ドレシアめ、こちらの善意を踏みにじるようなことばかりしおって」
エヴァンズは毒づいた。
今、執務室にいるのは騎士団長ハイネル、魔術師ワイルダー、婚約者アイシラの3人である。気のおけない、もっとも信頼のできる仲間たちだ。
「まったく、ドレシア帝国の愚かしさはもはや普通ではありませんな」
騎士団長ハイネルが端正な顔を歪めて言う。今日は白を基調とした騎士服姿だ。まるで、本人の清廉な人柄をあらわしているかのよう。
つい先日も、ドレシア帝国の皇帝が、直々にセニアに聖剣を返還したのである。魔塔攻略の功績に報いるのだとか。
(だからあれは、詐欺だと教えてやったというのに)
思い出すだけでも忌々しく、エヴァンズは歯ぎしりした。ただ、返すだけではなく壮麗な式典まで催したのだそうだ。
(そもそも、我が国の聖剣を勝手に取り上げ、勝手に返還するなど、どういう了見なのだ)
アスロック王国への返還要求は当然のように無視され続けている。
近日では言うに事欠いて、ゲルングルン地方の魔物をどうにかしろ、と親書を寄越してきた。
(魔塔1本、攻略したぐらいで偉そうに。我が国には4本もあるのだぞ?手が回らなくて当然だろうが)
過酷な環境に身を置いたことのない者どもに何が判断出来るというのか。下らない親書は当然に細切れにしてから燃やして灰にしてやった。
「本当に忌々しい女ですが、悪知恵だけは大したものです」
もう1人の腹心である魔術師のワイルダーが言う。こちらは黒いローブ姿である。落ち着いた性格を体現しているかのような服装だ、と常々エヴァンズは思う。
ワイルダーが言っているのは、つい先程、侍従のシャットンが取次いでくれた知らせだ。なんでもここ数日、セニアはドレシアの皇都グルーンにある治療院にて、怪我人を癒やしているのだという。
「まったく、治癒術士の真似事までして、そこまでして節操なく、人心をたぶらかそうとするとはな。見下げ果てた女だ」
エヴァンズも相槌を打った。強がりだ。
誰の入れ知恵か。あるいは自分で思いついたのかもしれない。実に上手いやり口だとは思う。治療行為によって分かりやすく人民に恩を売り、人気と支持を得るのだ。
(我が国でやられる前に追放できて本当に良かった)
そういう観点からは、エヴァンズはホッと胸をなでおろすのであった。
「しかし、嘆いてばかりもいられません。実際、ドレシアの人々は欺かれ、『水色の髪の聖女』などとセニアを崇めているのだとか。それを利用して彼女がいかな悪事をまた働くのか。想像もつきません」
ハイネルが吐き捨てるように言う。もどかしさがどうしようもなく、言葉の端々からにじみ出ていた。
隣国のことだけに思うようにいかない。エヴァンズも同じ気持ちである。
「それではまるで、やつを追放する前の我が国と同じではないか」
悪夢のようだった、かつてのアスロック王国を思い出して、エヴァンズは吐き気をもよおした。
セニアのせいで4本に増えた魔塔は未だそのままで、人民も近付けず、小麦と魚で飢えをしのいでいる状態だが。欺瞞に満ちた希望のどこに救いがあるというのか。今のほうがマシな状態だ。
また、実際には処刑しようとして脱出されたのだが、国にいられなくしてやったのだから、追い詰めてうまく追放したのだ、と最近では思うようにしている。
「いずれ、ペテンしか出来ぬ女だ。そもそも治療行為などというのも怪しい。実のところ、誰一人、癒やしてはいないのではないか」
エヴァンズは言い、いかにもセニアのやりそうなことだ、と1人頷く。
「実際、そうかもしれません。場所が治療院というのがいかにも怪しい。治癒術士たちに実際の治療はやらせて、自らは遊んでいるのでしょう」
実に的確な分析をワイルダーが披露してくれる。
遊びの内容を思うにつけて、エヴァンズは吐きそうになった。美しいのは顔だけで、貞操観念の欠片もない、淫らな女なのだ、ということは誰よりもエヴァンズがよく知っている。
「聖騎士が回復術を使うなどとは聞いたこともない。間違いなくペテンなのだ」
力強く断言するエヴァンズ。ハイネルとワイルダーも重々しく頷いた。
「しかし、一度は自らの聡明さでペテン師を駆逐しかけた国が。たった一本の魔塔攻略でこうも変わってしまうのですね」
ハイネルも天を仰いで、嘆いて告げた。
惜しかったのだ、とエヴァンズも思っている。
「さぞ周りに剛の者が揃っていたのだろう。なまじ能力が高いだけに、美貌の餌でつられて、攻略に成功してしまった」
もう少しでドレシア帝国が自ら、セニアの身柄を引き渡すはずだった。そうすれば後は民の面前で処刑するだけだったというのに。
「本当に、もう少しだったのだが」
重い沈黙が執務室内に立ち込める。
「嘆いてばかりもいられません。愚痴はこれぐらいにしましょう。我々には大義があります。ドレシア帝国の目を覚まさせ、アスロック王国を救うのです」
ワイルダーが言い、エヴァンズたちを現実に引き戻してくれた。
「うむ、しかし、親書をいくら送っても信じず、この有様では、な」
エヴァンズは腕組みをして言う。納得させるなら、本来、証拠を突きつけるのが有効だ。
しかし、セニアという情けない現物が、現に証拠として眼の前にいるのに信じようともしない。かえって厄介な状態だった。言葉を尽くす以外に有効な手段を思いつけない。
言葉で、かつ親書より有効な手段を、エヴァンズは1つしか思いつけずにいる。
「私が自ら、ドレシア帝国の皇帝陛下を説得しに赴こう」
書いて駄目なら口で言うのだ。
自ら危地へと乗り込み、誠意を見せることで説得力も増すだろう。
「駄目です、殿下、危険です。来訪を知っただけでも、セニアにたぶらかされた者が刺客として襲い来ることでしょう」
ハイネルが青ざめた顔で言う。
「殿下に何かあったら、誰がこの国を支えるのですか?」
ワイルダーもすがるように問いかけてくる。
アスロック王国の現状はいまだ厳しい。
しかし、少し離れただけのところにある隣国で、セニアが他人の手柄を総取りにして、のうのうと暮らしていると思えば、腹が立ってしょうがないのである。
「直接、この目でセニアのヤツを見据えて、糾弾してくれる。なに、直接向き合えばどちらに正義があるか一目瞭然だ」
一国を統治する者同士、最後の最後では分かり合える、誠意は伝わる、とエヴァンズは信じていた。
悪しき聖騎士から国民を護る義務があるのだ。
「殿下はご自分の価値を自覚されるべきです」
ハイネルがなおも言う。
民あっての国なのだ。そのうえで初めて王族に価値が生じる。
「この国はエヴァンズ殿下のおかげで辛うじて保っているのですよ?」
ワイルダーも言い募る。
既にかなりの苦労を民に強いているのだ。思い切った手を打つしかない。
「ドレシア帝国がセニアを渡さないのならば、セニア自らがこの国へ来るように仕向けてはいかがですか?」
不意にずっと口を閉ざしていたアイシラが言う。こういう場で口を開くのは珍しいことだ。今日も地味な焦げ茶色のドレスを着ている。奥ゆかしい、控えめな人柄を体現しているかのようだ。
「どういうことだい?アイシラ」
懸命に考えた上で、口を開いてくれたのだろう。ハイネルやワイルダーも微笑んでアイシラを見つめる。
「こちらが頭を下げて頼めば、図々しいセニアのことです。調子に乗ってアスロック王国へ戻ってくるのでは?そこを捕らえるのです」
アイシラの言うとおり、セニアの図々しさは折り紙付きだ。
案外と鋭い意見なのかもしれない。
「しかし、何を頼むと?我々にはヤツに頼むようなことなどない。ヤツはペテン師なのだ」
エヴァンズはセニアに頭を下げると考えただけでも吐き気がするのだが。こらえて尋ねた。
「あの女の方から言ってきたではないですか。魔塔を攻略してやると。それを改めて頼むと言えばノコノコやってくるのではないですか?」
アイシラがうっすらと微笑む。今まで見せたことのない、とても蠱惑的な笑みだ。
「殿下、これは名案かもしれませんよ」
ワイルダーが興奮して言う。
「現在、ゲルングルン地方の魔塔をどうにかしろと、ドレシアがうるさい状況もあります。そこも逆手に取ってやれるでしょう」
婚約者と腹心2人が言うのだ。確かに成功する可能性は高いとエヴァンズにも思えてきた。
「殿下がドレシアに乗り込むよりよほど安全ですしね」
ハイネルも同感のようで頷いている。
「しかし、もし拒んだら?」
エヴァンズは懸念を伝える。
はっきりとアイシラが笑顔を見せた。
「拒むなら、魔塔に怖気づいたエセ聖騎士であると、自ら立証しているようなものではないですか。拒めませんわ、セニアには」
つくづく万全の策なのだ、とエヴァンズも理解した。
「あとは単独に近い格好で、この国に来るよううまく仕向けるだけですわ」
アイシラの言葉にハイネルもワイルダーも頷いている。
エヴァンズは素晴らしい献策をしてくれた婚約者を強く抱きしめるのであった。
いつもお世話になります。
応援や閲覧を賜り、それをエネルギーにだいぶ書き進められてきました。ここまで読了下さった方々には頭が上がりません。本当にありがとうございます。
アスロック王国側から見た、ドレシア帝国の状況を書きたく、また物語を進めるのに入り用な場面なので描かせて頂きました。
立場と視点が変われば同じ人を見ていてもがらりと評価が変わるものですね。エヴァンズの視点で書いているときは、私もセニア嫌いです。ちなみにシェルダンの視点のときはとんだ青二才に見えてます。読んでくださっている方々にも、そんな風に見えていると嬉しくも思いつつ。技量が追っついてなくて、言うほど変化が出ていないかもですが。
ただ、懸命に書き進める所存です。お付き合い頂けると幸せです。