93 水色の髪の聖女3
不意に治療院の入り口の辺りが騒がしくなった。落ち着かない気配がここまで伝わってくる。
「ちょっと、止めてよ、ペッド!」
セニアは聞き覚えのある声に、我が耳を疑った。
ここにいるはずのない人間の声と話し方だ。
奇しくも今日は、イリスとペイドランが『牛狩り』デートをしている日でもある。
「ねぇ、全然、痛くないの!大丈夫だから!恥ずかしいからおろして!お願いっ!」
間違いなくイリスの声だ。何があったというのか。切羽詰まった声で人に何か頼むところなど初めて聞いた。
「ごめんっ!イリスちゃん、俺がついていながら!誰かっ、イリスちゃんを、治してあげてください」
ペイドランの声も聞こえてきた。こっちも妙に切迫した物言いだ。
今日、楽しく牛を倒しているはずの2人に何があったというのか。
(まさか、イリスが重傷を?)
心配になって、セニアはルフィナを見た。
「多分、何も無いと思うわよ。ペイドラン、あの子、大事な相手にはとてつもなく過保護なのよ。シエラにもそうだったわ」
苦笑して言いつつも、ルフィナが治療受付のほうへと向かってくれた。ゴドヴァンも既に行っているようで姿はない。
しばらくして、騒ぎはおさまった。
イリスをお姫様抱っこしたペイドランが、ルフィナとゴドヴァンに連れられて治療室にやってくる。半べそだ。
「すいません、セニア様。俺、イリスちゃんに、怪我を」
ペイドランが心底申し訳無さそうに言う。
憮然とした顔のイリスがお姫様抱っこをされたまま、ペイドランの上腕をペチペチ叩く。
「セニア、ホント、何でもないの。大丈夫なの。ペッドがこのとおり、大袈裟すぎるのよ」
確かに一見して、イリスに外傷は見当たらない。声の張りからして元気そうだ。
一体、何があったというのか。また、ペイドランの呼ばれ方がまた更に砕けたものへと変更されている。
ただ、いちゃついているのを見せつけられているだけの気がしてきた。
「じゃあ、その、ペイドラン君のお姫様抱っこを止めさせればいいかしら?」
苦笑してセニアは尋ねる。
問うと、ペイドランが口をへの字に結んで一歩退がった。イリスも微妙な表情を浮かべる。なんだというのか。
「あら、野暮なことを言ってはだめよ、セニアさん」
ルフィナが心底おかしそうに言う。ゴドヴァンも隣でニタニタ笑っていた。
「でも、受付の子たちも困ってたわよぉ?どう見てもイリスにはろくな怪我はなくて、本人も嫌がってるのに。ペイドランったら、治してください、の一点張りだもの」
それはたしかに困るだろう。
ペイドランをセニアは見るも、拗ねたようにそっぽを向かれてしまった。
「しかも、ペイドランじゃなぁ。つまみ出そうにもすばしっこくって、俺でも捕まえられないときたもんだ。ハッハッハッ」
ゴドヴァンとペイドランの受付での追いかけっこを思い浮かべ、セニアは受付の人達に同情した。さぞや受付周りは散らかり、その片付けは余計な仕事だったろう。
「まぁ、大人しくお姫様抱っこされてるイリスも可愛かったわよ?やっぱり女の子なら、憧れちゃうわよね?」
からかう対象をペイドランからイリスに移したルフィナ。
大いに裏目に出ることとなる。
「なんだ、ルフィナも、してほしいのか。それぐらい、いくらでも」
ゴドヴァンがヒョイっと身をかがめる。
「ちょっ、およしなさい。キャッ」
可愛い声を上げて、軽々とゴドヴァンにお姫様抱っこされるルフィナ。
こうして、セニアは2組の男女のお姫様抱っこを見せつけられてしまう。
(私、一体、何を見せられているのかしら)
セニアは首を傾げる。少なくとも自分がクリフォードにお姫様抱っこされる場面は想像も出来なかった。腕力なら細身でも、自分のほうが強いぐらいなのだ。
「で、その、イリスはどこに怪我を?」
セニアはペイドラン達の方を向いて尋ねる。真っ赤になってゴドヴァンのたくましい腕に顔を埋めるルフィナでは、もう会話にならなそうだからだ。
「ねぇ、ペッド、もういい加減おろしてよ。私、もう一生分は恥ずかしいんだから」
しおらしくなったイリスが言う。
『ペッド』というのはペイドランの愛称らしい。どんなやり取りの末、そう呼ぶこととなったのかも、セニアには興味深かった。
「あ、ごめん」
ペイドランがイリスを下ろす。
ゴドヴァンたちの方はまだ始めたばかりだからか継続している。
「もう」
イリスがパコン、と背伸びしてペイドランの頭をはたく。
「で、どこを怪我したの?」
セニアは重ねて尋ねた。
イリスが無言で右足の脛を指さした。透けるように白い脚が剥き出しだが、一見して傷が見当たらない。
首を傾げつつ、セニアは顔を近づける。
「ほんとにね。ペッドが飛刀で倒したラッシュオックスの蹄が少しかすめただけの、かすり傷なのに」
とても恥ずかしそうにイリスが言う。
確かに、言われてからよく見てみると、少しだけ赤くなって擦りむいている箇所があった。
「でも、万が一、毒とかばい菌とか入ったら大変だよ」
ペイドランが口を挟んだ。なお、ラッシュオックスに毒はない。セニアでも知っている。
「だから、その場で消毒してくれたじゃない。それだけで十分だったのに」
イリスが両手で顔を覆う。
聞けば倒したラッシュオックスの場所から治療院に至るまで、ずっとペイドランがお姫様抱っこをして連れてきた、とのこと。
(皇都中の人に見られているわね)
セニアはイリスの心中を慮り、内心で手を合わせた。
「イリス、本気でペイドラン君が嫌ならむりやり降りちゃえばいいのよ。あなたなら簡単じゃない」
セニアはイリスに助言した。身のこなしは極めて軽快なのだ。
「バカッ」
イリスが主人である自分の脛を蹴ってきた。
「アイタッ」
地味に痛い。うずくまって蹴られた箇所を押さえる。
「ペッド、もう行こう。気分転換の買い物に付き合ってよ」
プリプリ怒りながらイリスが、ペイドランの手を引いて治療室を後にする。
「もう、女の子なのに女心が分からないんだから」
呆れた声でルフィナが言う。
「ゴドヴァンさん、もういいから、おろして」
言われるまま、ゴドヴァンがルフィナを降ろす。
ルフィナがゴドヴァンに向き直る。
「こ、今度、ふ、二人っ、あっ、だめだわ、恥ずかしい」
挙げ句、ルフィナが勝手に一人で悶え始めた。年甲斐もないとはまさにこのことだ。改めて婚約するだけでも、この二人には大いに勇気のいることだったのだろう。
その後も夕方まで治療行為をセニアは続けた。
1日を終えて、セニアはため息をつく。今日の反省と明日の計画を話し合うとのことでルフィナは一時、席を外している。
「私、こんな調子でいいのかしら」
手が空くと初心が胸に戻ってくる。
回復光の修練に1日を費やしてしまった。平時であれば良いのだが。人の役には立てたのだから。
(でも、やればやるほど、戦う技術ではないと思うのよね)
自らの掌を見つめてセニアは思う。
「あら、素晴らしい腕前だったし、今日一日でだいぶコツも掴んたのではなくて?」
また、ルフィナが部屋に戻ってきていた。
「でも、回復術ならルフィナ様がいらっしゃます。私がそっちをできるようになっても。シェルダン殿だって、父の光刃を見て、実力を認めたのでしょう?」
父のようになりたいのだ。あの癖の強いシェルダンが認めるほどの聖騎士に。シェルダンがもし今の自分を見たら「聖騎士がそんなものを出来るようにして正気ですか」と言いそうだ。
「あら、レナート様も回復光は使っていたし、素晴らしい腕前だったわよ。それこそシェルダンも当てにしてたぐらい」
ルフィナがセニアの考えと真逆の真実を告げた。
「えっ?」
思わずセニアは声を上げる。
「クリフォード殿下から、回復光の修得を軽視してるって聞いてたから。今日はその辺の話を私からしようかしら」
ルフィナが微笑んだ。
「最古の魔塔、第2階層を攻略したときの話をね」
お世話になります。いつも、閲覧や応援等ありがとうございます。なかなか書きづらいところもあって、筆が鈍りがちだった本作もここまで進められたのは、励みになる材料をいろいろ頂けたからと思っています。
ただ、今回はちょっと勢い余って書いてしまった場面で。書きたかった反面、ちょっと惚気により過ぎたかなと反省もしてはいて。魔塔や聖騎士、軽装歩兵のストーリーを読もうと手を取ってくださった方には申し訳のない場面となりました。
主人公不在のまま書き進めていく所存ですが、今後ともぜひ宜しくお願い致します。