92 水色の髪の聖女2
ルフィナの宣言通り、午前中の内からひっきりなしに怪我人がセニアの元へ運び込まれるようになった。
人は実に些細なことで怪我をする。
油で滑って腰を強打した者、狩猟をしていて獲物に反撃された者、工場で器械を使っていて操作を誤った者、竈門で火傷した者など。
(助けなくちゃいけない以上は、全力で集中して)
セニアは心を込めて治療するよう自分に言い聞かせる。
始まりはクリフォードからの回復光の実践訓練であった。だが、怪我人たちそれぞれには、そんなセニアの事情など関係ない。
(当たり前のことだわ。みんな私の技の練習台じゃないのよ)
片端からセニアは回復光で傷を治癒していく。セニアの使う回復光は本職の、魔力依存の回復術と異なり、鎮痛効果がかなり強いとのこと。相手が痛みを感じずに済むことが素直にセニアにも嬉しかった。
「痛みを訴えている人ほどセニアさんに治してもらうのがいいかもね」
途中、言い置いてルフィナが事務方へ注進に向かった。
しばしばゴドヴァンがルフィナと話したくて入室しようとしては怒られて、悄気げてしまう。
微笑ましく思う間もないほど、セニアは神聖術回復光の行使に忙しかった。
何人治癒したのかの記憶すら飛んだ頃、負傷者の波が途絶える。
「お昼にしましょう。治療院も一旦閉めるから。午後の再開まで休憩よ」
ルフィナに言われて初めて、既に昼時であることにセニアは気付く。思っていた以上に疲弊している自分にセニアは驚いた。が、思えばここまで長い時間、神聖術を使い続けたことはないのだ。
「大したもんだ。何度か俺は、てっきりルフィナがやってるのかと思ったぜ」
ゴドヴァンが部屋に入ってきて笑顔で告げる。
「あら、魔力と法力の違いも分からないの?根本的に治り方が違いますよ」
気を悪くした風にルフィナが、言う。本職としての誇りもあるだろうところへ、不用意に踏み込んでしまったゴドヴァンの発言である。
聴いているセニアもひやりとしたほど。ルフィナと回復の技術で張り合うことなど出来ようはずもないのに。
「す、すまねぇ」
流石に、怒られる、と自分でも分かったのか、ゴドヴァンが縮こまった。
「私たちは外から傷や病気に働きかけて傷を塞いでから治すの。でも、セニアさんのは、力を内側に流し込んで中から治して、そのあと傷を塞ぐ感じね」
ルフィナが冷静な口調で言う。
とりあえずは怒っていないようだ。セニアはゴドヴァンと顔を見合わせてホッとする。
「でも、だいぶ燃費が悪いみたい。セニアさんの体力で、見るからに疲れてるもの。私達だって1日やってもそこまでは汗かかないんだけど」
言いながら、ルフィナが先に立って部屋を出る。
ゴドヴァンとセニアも後に続く。
「ご飯はお弁当3人分作ってあるから」
頬を赤らめて、ルフィナが言う。
「おぅっ、ルフィナの手料理か、最高だ」
自分に向けられるルフィナの視線に気づかぬまま、ゴドヴァンが心底楽しそうに告げた。
「け、結婚っ、したら、ま、毎日でも、食べさせて」
ルフィナが真っ赤になって何か言おうとし始めた。立ち止まって振り返る。いつもの凛とした佇まいとは打って変わって可愛らしい。
(が、頑張ってください)
なぜだかセニアは応援したくなった。
気づくと廊下の陰に治療院の職員たちがズラリと並んでルフィナを見守っている。二人からは見えない位置だ。
「食べさせてあげるから、あげるんだからっ、これぐらいで」
おそらく『これぐらいで喜ばないで』と言いたいのだろう。
受けているゴドヴァンもひどく緊張した面持ちだ。本当はゴドヴァンも言い終わるのを待つ必要もない気はするのだが。
(も、もう少し)
セニアも胸の前で拳を握る。
不意にルフィナが自分の方を向いた。
「これぐらいで勘弁しておいて下さる?」
ルフィナが珍妙なことをセニアに向けて告げた。
どうやら何かをこのぐらいで勘弁してほしいらしい。
「あーっ、もうっ!」
治療院の見物していた女性陣が怒り出した。
「なんで、ボケッと突っ立ってたの?あの水色聖女」
「席外すでしょー、普通!」
「滅多に見られないのに、もうっ」
どうやらセニアが近くにいたのが良くなかったらしい。
すっかりしょげてしまうも、セニアは真っ赤なままのルフィナに連れられて、最初の執務室に戻る。落ち込んでいてもなお、ルフィナの作ってくれたお弁当はとても美味しかった。
「うめぇ、さすがルフィナだ!」
手放しで褒めるゴドヴァンと、無邪気に喜ぶルフィナが歳上なのに初々しい。確かシオンの言葉では29歳だったはず。
再び、午後の治療に入る。
「すごいわね、セニアさん、水色の髪の聖女が治療してるって、もう噂になってて。いつになく怪我人が並んでたって」
絶え間なく担ぎ込まれるけが人を見て、ルフィナが苦笑いを浮かべている。
「まったく、ホントに怪我したの?って人まで来てるそうよ。治療院を何だと思ってるのかしら?」
ルフィナがボヤいた。
満足に反応する余裕すらもセニアにはない。ずっと法力を纏って、回復光を使い続けているような認識だ。
(やっぱり、実際やってみないと。無駄が多いものなのね)
数をこなしている内にセニアも要領を掴んできた。
最初に法力で全身を覆うよりも、かざす手のひらに集めたほうが疲れない。それでいて、治癒力は上がる。
流し込む法力の量は一気に流し込むよりも、傷の治りを見ながら徐々に増やしていくほうが治りも良いし、傷口もきれいに塞がる。痛みも比較的に和らぐようだ。
「すごいわねぇ。最古の魔塔でのレナート様を見てるようだわ」
何人目かの治療の後にルフィナが呟いた。
「レナート様もそんな風に手だけ光らせてたわね」
厳密には光らせることは、手段でも目的でもないのだが。そんな揚げ足取りをするより、セニアは父親に近いと言われたことを喜んだ。
「父も回復光を?」
セニアは嬉しさとともに意外な気持ちを抱いて尋ねた。
「ええ、そりゃ、最古の魔塔なんて。みんなで手の内を全部晒してやっと最上階まで行ってきたんだから。それでもみんな怪我して私だけじゃ回復も追いつかなくて」
ルフィナが辛そうな顔をする。最後には父も亡くなっているからだ。
優しくて穏やかな父親だった。女児であるセニアを聖騎士にする踏ん切りがなかなかつかなくて。セニアの訓練を始めるのも遅かった。それまでは、ひたすら優しく接してくれたのだ。
「あ、ありがとうございます。水色の髪の聖女様」
灰色の髪をした老女が拝むように言う。道を歩いていて、倒れてきた材木に巻き込まれたのだという。脚を骨折をしていた。
「や、やめてください。私はそんな大層なものじゃ」
あわててセニアは老女を助け起こそうとする。
「私もアスロック王国の出身です。魔物から救って頂いたこともあるのですよ。聖騎士セニア様、水色の髪の聖女様。異国の地でまで救ってくださるだなんて」
涙を流し、ひとしきりセニアを拝み倒してから老女は帰っていった。
父のことを思い出す。
厳しいところもあると知ったのは、聖騎士としての訓練の前に剣術の訓練をつけ始めてくれたときだ。ただ、剣術の腕前はさほどでもない父のレナートを、剣の腕前ではセニアはすぐに追抜いてしまう。
「ホントに優しかった」
追い抜かれても父は目を細めて喜ぶばかりだった。
(本当に優しくて)
ふとセニアは思い至ってしまう。
(父は私に魔塔の無い国を残したくて、生き急いだんだわ)
実際にセニアを仕込もうとし始めて、娘に魔塔と戦う使命を負わせたくなくなったのだろう。剣術の腕前が自分以上のセニアが負うであろう重荷を、自分で消してやりたくなったに違いない。
「いかにもお父様らしいけど」
先をセニアは口にすることが出来なかった。