90 聖騎士の焦り3
「はぁ、ところで、『千光縛』以外の神聖術についてはどうなんだい?この冊子には回復系の術についても記載があるようだけど?」
大きくため息をついて、クリフォードが話題を変えた。
これ以上、追い詰めても仕方がない、と手心を加えられた印象をセニアは抱く。
「軽い傷や打ち身に使ってみましたがおおむね良好です、『千光縛』に比べれば順調です」
セニアは話題の変更に応じた。
魔力と法力、元としている力が別なだけで、人の治癒力を活性化させる治癒術を、聖騎士も使用することが出来るという。
項目の名前としては『回復光』となっていた。
どうやら一冊目にあった閃光矢が攻撃術の基礎、オーラが回復系の術の基礎であったらしい。法力を使うイメージが似通っているのだ。
「じゃあ、今度はグルーンの街の外の平野に出ましょ。おっきい牛がいるの。そいつを飛刀で狩ってみせてよ」
イリスの話す声が聞こえてきた。声が弾んでいる。
「魔物じゃないみたいだけど、そいつ、倒してもいいヤツなの?」
ペイドランが危惧している。魔物ではない野生動物がドレシア帝国東部には多い。中には保護されている種類もいた。
「ラッシュオックスっていうんですって。凶暴で危ないから駆除対象よ」
イリスとペイドランが仲睦まじげに顔を寄せ合って、話している。いつの間にか木剣は地面に置いていた。
武術稽古に続く、次のデートは『牛狩り』にするつもりらしい。随分、独特なデートを心底楽しそうに計画し合う2人である。
「ルフィナ殿のところで、実践訓練をしてみたらどうだい?」
クリフォードも2人を見て微笑んでいる。
「はい?」
すっかり2人のやり取りに気を取られていたセニアは驚いて訊き返してしまう。
「傷の回復術ならば、ルフィナ殿の治癒院が1番、使う機会があるだろうと思う。良い訓練にも人助けにもなる。一挙両得じゃないか」
クリフォードの申し出はとても理に適っていて、渡りに舟のはずだった。
だが、なぜだか気が乗らない。
「ありがとうございます。でも、まずは千光縛を」
答えて、セニアは自分の気持ちを覗く。
自分は聖騎士なのだ。聖剣でもって魔物を倒すのが役目のはずで。回復系の術はあくまで補助なのだ。
(それよりも攻撃術よ。私にしか出来ない攻撃を身につけないと)
セニアの思いとは裏腹に、またクリフォードの顔つきが変わった。
「セニア殿、魔塔最上階でのことを、もう忘れたのかい?」
思いの外、厳しい口調でクリフォードが切り出した。
ペイドランなども巻き込んで、クリフォードが魔塔攻略の反省会をしていたことは、セニアも知っている。
「一体、なんだと言うんですか?」
セニアは挑むような気持ちをそのままクリフォードにぶつけた。
「あのとき、ルフィナ殿一人に回復を押し付けて、ギリギリの勝負をする羽目になった。もし、セニア殿も法力で回復役をこなせたのなら、消耗戦であっても勝ちきっていたかもしれない。君はあのとき前衛に徹していて、ほぼ神聖術を使っていなかったからね。回復光が使えたら、シェルダンだって死なずに済んだかもしれない」
シェルダンの名前を引き合いに出された。まして、死んだ責任にまで言及されている。
いかに分析が正確なのだとしても認められるものではない。あと付けだ。
セニアの頭にカッと血がのぼる。
「あのときはまだ、2冊目が無かったのですよっ!」
回復術を聖騎士が使えることも知らなかったのだ。責めるなら、もったいぶって渡そうともしなかったルフィナなのではないか。
「そうじゃないよ、そういうことがあったから、同じ轍を踏まないように、次はしっかり修得してくれたまえってことさ」
呆れ果てた、という顔でクリフォードが言う。
「私が、次は父のように一刀両断してみせます。そうすれば、誰も傷を負うことはありません」
自分でもなぜ、ここまで攻撃のほうにこだわるのか分からなかった。
「君はそっちは向いてないんじゃないか?回復役をしてもらえたほうが、私は次のときは良いと思うね。しかも順調なら尚更良いじゃないか」
クリフォードも若干意地になっているようだ。先程もアスロック王国に潜入するしないで揉めたばかりである。
「いっそ、聖剣より聖杖でもどこかから探してきて、そっちで活躍してほしいかな」
せせら笑うように言うクリフォード。らしくない物言いだ。それだけ、すっかりセニアは、クリフォードを怒らせてしまったのだ。だが、この言葉にはセニアも本気で腹が立った。
(私に、戦うなとでも言うのっ!?)
冷静な進言を理不尽に跳ね除けようとしている、という自覚はあった。それでも、ことごとくクリフォードもクリフォードで、自分の心の琴線に触れてくる。
「私は、かつてシェルダン殿を納得させた父のような光刃を操ってみせます」
半ば叫ぶようにして、セニアは背を向けた。
「いま、ここにシェルダンがいたら、魔塔はそう甘いものではありません、と言っていたと思うよ」
クリフォードの声が追いかけてくる。
実際、そのとおりだろう、とセニアにも思えた。
一度はシオンやクリフォードの言うとおり、アスロック王国への侵攻から魔塔攻略の流れに納得はしていたのだが。
神聖術の修得がうまくいかない。それが自分に冷静な判断をさせていないのだ。
また、クリフォードに惹かれつつも、シェルダンに認めてもらいたい自分がいる。シェルダンへの思いは恋ではない。父や、或いはもし兄がいたら抱く気持ちに近いだろうか。
(認めてもらう前に死なせてしまった。だから、せめて納得できる強い自分になりたい)
父のレナートがシェルダンに光刃を認めてもらえたのなら、自分も同じことがしたいのだ。
(なんて、子供っぽいのかしら、私。人の命が私達の選択にかかっているというのに)
夜になって寝る準備を済ませる前にもなると、さすがにセニアは少し反省していた。
ちょうどそこへ、イリスがクリフォードからの通知を持ってきた。ルフィナの治療院への参加要請だ。
正式な第2皇子としての通知であり、聖騎士とはいえ一般人のセニアにも拒むことは難しい。
クリフォードからは『君のためになるなら憎まれ役でもやるよ』との紙片が添えてあった。
セニアはため息をついて、手紙とにらみ合う。
(やります、やればよいのでしょう)
顔をあげると、まだイリスがいて複雑な顔をしていた。昼間、ペイドランと楽しそうだったときとは大違いだ。
「どうしたの?」
心配になって、セニアは尋ねた。
「セニア、あんた、ペイドランに気があるの?」
どうしてそうなった。
完全に驚いてセニアはとっさに答えられずにいる。
「なんで、あいつが鎖の人って言ってくれなかったの?昼間、腹に巻いて私の木剣防いだの、鎖でしょ?あいつ、元密偵だし。影からいかにも助けてくれそうじゃない」
とんでもない誤解である。
「最初はさ、私も馬鹿よね。鎖の人だったんだって。しかも私を好きであんな勇敢なことしてくれたんだって、舞い上がってた」
イリスが悲しそうにセニアを見る。
「でも、よく考えたらあいつ、あんたを助けたわけでしょ。で、あんたも私に隠してた。もう、そういうことで確定じゃない」
一体、どういうことで確定したのかセニアにもさっぱり分からなかった。
とにかく誤解を解かなくてはならない。
寝台の隣にイリスを座らせた。
セニアはそもそも鎖の人がシェルダンであることから、ペイドランとの関係、ドレシアの魔塔での出来事をイリスが理解するまで根気よく語った。
「そんな、鎖の人、死んじゃったんだ」
イリスが寂しそうに言う。漠然とした憧れだけの相手だ。取り乱すことまではなかった。
そっと、セニアはイリスの肩を抱く。
「でも、シェルダン殿は、ペイドラン君を後継者として見立てて、仕込んでから亡くなったのよ」
2人の連携はただの軽装歩兵とは思えないほどだった。
「そっか、あいつ、すごいやつなんだ」
少し嬉しそうにイリスが言う。
ペイドランの好意は鈍いセニアから見ても露骨過ぎるぐらいだ。しばしば繰り出す殺し文句はもうほぼプロポーズである。
実は憧れの人が亡くなっていてもなお、その後継者から好意を寄せられている喜びがあるのだろう。
「いっか、ペイドランでも」
イリスが小さく呟いた。
いつの間に『密偵』呼ばわりを止めたのか、とセニアは首を傾げる。
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焦りの場面は一旦ここまでとなります。
セニアの回なのか、イリスとペイドランの場面なのか。両面作戦で描いてみました。それにしても一体ペイドランはこの手管をどこで覚えたのやら。
こんな若い二人を交えつつ、話をウネウネと展開していければと思います。
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