9 対談〜聖騎士敗北2
「セニア殿!」
ドレシア帝国第2皇子クリフォードが、視界に飛び込んできた。巡察に行くと出掛けたときの服装のままだ。公務に行くときの礼装である赤いローブ姿だった。本人にとっては正装らしい。
赤髪に緑がかった瞳の持ち主である。まだ20歳と若いながらも炎属性魔術の使い手であり、端正な顔立ちと相まって女性に人気があった。
「あっ、クリフォード殿下、どうされましたか?」
驚いて思わずセニアは問うてしまう。
悲しげなクリフォードの視線がシェルダンの上を素通りし、ひたとセニアに据えられた。
ちなみに『殿下』と聞いて、既にシェルダンが平伏している。一瞬の早業であった。
「セニア殿が私に内密で男性を連れ込んでいると聞いてね」
とんだ誤解である。ただ、既に平伏しているシェルダンがまた、本当に紛らわしい。まるで謝罪する間男だ。
ぷっ、とカティアがまた吹き出した。シェルダンが来てからずっと楽しそうである。半年間で初めて見せる笑顔だ。
クリフォードがカティアの反応に困った顔をする。
「殿下、シェルダン様はセニア様の数多い恩人の一人に過ぎませんわ」
カティアが笑いながら説明する。
「殿下、カティアの言うとおり、先日お話した鎖を遣う軽装歩兵の方です」
セニアもカティアの介入に感謝しながら言う。数多い恩人という表現に若干の悪意を感じたが。
(それじゃ私、誰かのお世話になってばかりみたいだわ)
内心でこっそりと反論するのだった。
「え、あぁ、彼がその軽装歩兵か、失礼した」
クリフォードが二人がかりで責められて、バツの悪そうな顔をした。
セニアはゆっくりと頷いて見せる。
「あー、シェルダン殿、すまなかった。頭を上げてもらいたい」
クリフォードが頭を軽く掻きながら、平伏するシェルダンの後頭部に告げる。
「殿下、シェルダン様のこれは貴人に対する病気のようなものですわ」
クスクスと楽しそうに笑いながらカティアが言い添える。
珍しいカティアの様子にクリフォードも驚いた顔をした。
「クリフォード第2皇子殿下に申し上げます。第3ブリッツ軍団軽装歩兵小隊第7分隊長のシェルダン・ビーズリーと申します」
また、平伏したままの姿勢でシェルダンの後頭部が自己紹介をした。
困った顔でクリフォードがセニアの顔を見てくる。
「これは、アスロック王国式の挨拶なのかな?セニア殿」
クリフォードが尋ね、優雅な仕草で自分の隣に腰掛けてきた。普通、女性の横にわざわざ腰掛けるのは馴れ馴れしいことだ。
出会って半年が経つものの、いまだクリフォードの見せる親愛の情にセニアは慣れることができずにいる。少しだけ椅子の上で身体をずらして距離を取ろうとしてしまう。
クリフォードが寂しそうな顔をした。
「いえ、ここまできちんとなさる方はアスロック王国でもほとんどいません」
セニアは首を横に振ってクリフォードに言った。きちんと、というよりもむしろ大袈裟に、と心のなかで付け加える。
シェルダンがまた、カティアに何事かを囁かれ、慌てて立ち上がっていた。
「ふむ、きちんとした人物が我が国に流れてくれるのは有り難いな」
満足げにシェルダンを見て、クリフォードが言う。
「もちろん、セニア殿のことでもあるよ?」
クリフォードが冗談めかして告げてくる。
軍務に勤しむシェルダンはともかく、ここ半年間、セニアはまるで世間の役には立てていない。
国を出てすぐに魔物と交戦していたクリフォードらに助勢した。その時の活躍をいたく感謝してくれて、今も自分をこの離宮に住まわせているのだ。
ドレシア帝国ではまともに魔物の討伐にも加われていない。ただ、聖剣を持っているだけの女に成り下がってしまった。
「ところで、丁度いい機会だ。シェルダン殿は」
あわてて、シェルダンが手振りでクリフォードを遮った。皇族の話を遮った、ということにえらい覚悟が要ったらしく、ものすごい形相だ。
「おそれながら殿下。私のことはシェルダン、と敬称など、私にはどうかご容赦を」
据わった目のままでシェルダンが告げた。
自決しかねない勢いである。
気圧されたようにクリフォードが苦笑した。
「ではシェルダン。君を若いながらも経験豊富な兵士と見込んでいくつか聞きたいことがある」
シェルダンに対して、クリフォードも用件があるというのはセニアにも意外だった。
「実は、ここにいる聖騎士セニア嬢は未だにアスロック王国の民を覆う苦境が忘れられず。何とか国へ戻って、4本の魔塔を討滅したいというんだ」
クリフォードの言葉通り、折に触れてはセニアはアスロック王国を救いたいのだと言い続けている。
ドレシア帝国から正式にアスロック王国へ人的援助を申し入れ、その中に混じれば協力出来るはずだ。
「4本の魔塔すべてを、今のセニア様が、ですか?」
シェルダンの表情が変わった。おどおどした遠慮が消えている。
「君は可能だと思うか?」
クリフォードが興味深そうにシェルダンを見て尋ねる。
「私の存念としては、極めて難しいと思います」
存外、はっきりとした答えの返ってきたことにセニアは驚いた。
「何だって?アスロック王国の人間は総じてセニア殿を褒め称えていたのだが、なぜだい?」
クリフォードもまた、肯定を予期してぶつけた質問なのだろう。心底、意外そうである。
「少なくとも1本は、セニア様の実力では倒せません」
シェルダンが明快に答える。ただ、答えながらもシェルダンが縮こまっていく。身分にこだわるシェルダンにとっては聖騎士セニアを否定する物言いには、相応の覚悟が必要なのだろう。
「その1本について、詳しく説明してくれ」
ますますクリフォードが興味を惹かれたようだ。身を乗り出している。
現在、ドレシア帝国には魔塔の内情について詳しい人間が少ない。良い治世が逆にそういう弊害を生んだのだった。
シェルダンの眼差しがふと、冷たいものへと変わる。が、すぐに戻った。突き刺さるような冷え冷えとした視線だ。
(この人、表情を作ってたの?おどおどしたのは見せかけ?)
セニアは自ら思い、即座に否定した。
シェルダンが語りたがっていない。逡巡しているようにすら見える。だが、意を決したように口を開く。シェルダンの中で様々なものを天秤にかけていたのだ、と。
「それについては、私の初陣と最古の魔塔について語らねばなりません」
長くなると言いたいのだろう。シェルダンがひどく言いづらそうな顔をした。
「ぜひ、聞かせてくれ」
クリフォードが鷹揚に頷いて見せる。
「私の初陣はセニア様のお父上、レナート侯爵閣下が最古の魔塔に挑み、命を落としたあの戦いだったのです」
もう5年も前のことだ。父がとうとう落とせなかった魔塔。心に傷を負った、まだ13歳だったセニアには多くを語られなかった戦い。
「君は軽装歩兵だろう?それなのに聖騎士と?」
クリフォードが驚いた顔をする。
セニアも従軍それ自体には、納得をしていた。第1階層の攻略には軍隊での攻略が有効と知っているからだ。ただ、第2階層より上には少数精鋭で挑むというのが定石だ。軽装歩兵のシェルダンが同道したのも第1階層までのことだろう。
「はい。第1階層を抜けられたのがレナート様と私を含めて4人でしたので、急遽、私も第2階層以上にも行くことに」
たったの一言だが、今度はセニアにとっても驚くべき内容だ。
通常、第1階層の踏破を出来たのが4人などということはありえない。まして、当時のアスロック王国軍は今のように腐敗していなかったのだから。
質問もない、と判断したシェルダンが続ける。
「それから、我々は綱渡りのような戦いと、紙一重の勝利を重ね、何とか第6階層まで至ったのですが」
また、さりげなくシェルダンが驚かせてくる。
「ま、待ってくれ。魔塔は5階までしかないだろう?6階と今、言ったのか?」
クリフォードも驚きも露わに尋ねる。
話の腰を折られたシェルダンの視線がまた一瞬だけ冷えた。
「いえ、並々ならぬ瘴気を溜め込んでいたあの魔物は、ついに第6階層までの巨塔を築き上げたのです」
シェルダンが語っているのは、アスロック王国でも重要機密とされている内容ではないのか。これだけの冒険に参加してなぜ、シェルダンが下級の軽装歩兵に甘んじていたのか、セニアには大いに疑問であった。
「そして、辿りついた最上階にいたのがヒュドラドレイク。無数の頭を持ち、毒の炎を吐く邪竜でございました」
シェルダンの話に自然、セニアは身が引き締まる思いである。話の流れからして父の仇である魔物だ。
「君は、毒の炎を吐く邪竜と遭遇して生還した、というのか」
倒せなかったことは話の流れで分かる。それでも生還したということだ。クリフォードが驚くのもわかる。
「レナート様が、その場にいた皆の身代わりとなって毒を受けてくださったからです。その前にも痛烈な一撃を与えておりましたから。残念ながらヒュドラドレイクも手傷を負うも死なず、我々は服毒されたレナート様とともに逃げるのが精一杯でした」
痛みをこらえるような顔で、シェルダンが語る。
「毒のせいで、塔を出るなりレナート様は意識を失い、そのまま息を引き取られました」
シェルダンが沈黙した。
聖騎士の敗北、誰も語ってくれなかった父の死である。
しばし、誰も口を開かなかった。再びシェルダンが語りだすまでは。




