89 聖騎士の焦り2
『ペイドランの戦いに関する考え方はどことなくシェルダンに似ている』とセニアは思って眺めていた。かつて、自分もシェルダンに鎖鎌で一杯食わされて敗れたことがある。
(不思議な人だった。本当は最初から流星鎚を使われていたら。私、今だって勝てるか分からないのに)
ケルベロスとの戦いでも、束の間とはいえ魔塔の主を圧倒していたのだ。ここぞという時まで温存していたのである。
飛刀を安売りしようとはしないペイドランの姿がセニアにシェルダンを思い起こさせた。
「ははっ、ペイドランの殺し文句にはイリスも敵わないね。完全に女の子の顔だ」
いつの間に訓練場にやってきていたのか。クリフォードが笑い声をあげて言う。
「素敵で微笑ましいとは、思いますけど」
もっと自分にはするべきことがある、と感じてしまい、セニアは歯切れが悪い答え方をした。
「おや、意外だね。セニア殿もそういうことが分かるなんて。私ももっと耳元で愛を囁いたほうがいいのかな?」
クリフォードが耳元で言う。
(それは、止めてください)
心が揺れそうになる。魔塔での戦いぶりや、攻略後の動きにもセニアは心惹かれるものを感じていた。
ただ、今はセニア自身が頑張るべきときであり、その頑張るべき修行が上手くいっていないのだ。たとえ、クリフォードを好いているとしても、ペイドランのように一直線に進んではならない。進んできてほしくもなかった。
「そんな余裕が、ないんです」
あえて、硬い表情を作り直し、身を離した。
「新しい神聖術の修得が、まだうまくいかないんだね?」
寂しそうに笑ってクリフォードが言う。
黙ってセニアは頷いた。
ヒョイッと教練書をつまみ上げてクリフォードが読み始める。
「密偵だったくせに気障すぎるわよ、あんた。私にだって、その、恥じらいってもんが」
さすがに耳元で愛を囁かれたのは効いたのか。イリスがうつむいてモジモジしながら言う。
「うん、ごめん。すんごく可愛いから、つい。花も恥らうっていうらしいよ。君みたいに可愛いの」
また、ペイドランが殺し文句を無自覚に放る。
イリスがますます真っ赤になった。
「ほら、また言った。もう〜〜っ」
イリスもここまで露骨に可愛い少女扱いされたのは初めてなのだろう。人形のように整った容姿とは裏腹に、剣の実力と走力により男の人より激しく生きてきたのだ。16年、恋とは無縁だった。
「昨日はイリスだって、ペイドラン君に会うの、楽しみにしてたんですよ」
セニアはつい、微笑ましくて修行と関係ないことを自ら告げてしまう。
昨夜も魔塔での戦いにおけるペイドランの働きを語ることとなったのだった。
「うん」
集中していると、全く話を聞かないクリフォード。
無視された格好だが、自分のためを思って調べてくれているのだ。
隣に腰を下ろしてセニアもじっと隣から同じ頁を眺める。
「やはりなぁ」
クリフォードがため息をついて顔を上げた。パタン、と教練書も閉じる。
「はい」
見ていた頁から、言いたいことは予期できる。
「セニア殿、焦っているのだろうが、教練書に焦りは禁物と書いてあるよ。特に、鎖の環が大きくなりすぎるのは、まさにそういうことらしいと」
クリフォードが話しているのは、セニアも幾度となく目を通した箇所だ。
「焦っているから法力を一気に込めすぎる。それで必要以上に鎖が、膨らんでしまうとあるよ。これは魔術とも通じるものがあるね。私にもよく分かる」
焦っている自覚もセニアにはあった。
焦った現状でなお、努力して会得したいのである。セニアは首を横に振った。
「やはり、アスロック王国攻めの話が、君の重荷になっているのかな?」
いたわるような笑みをクリフォードが浮かべた。
「それは」
なっていないとは言えない。
どうしても自分により大きな力があれば、要らぬ戦争ではないかと思ってしまう。戦争なしでもゲルングルン地方の魔塔ぐらいならどうにかできるのではないかとも。
「アスロック王国は既に国境では軍を展開することすら出来ていない。むしろ魔塔から溢れた魔物との戦いになるだろう。人間同士という意味では大した戦闘にならないと思うよ」
クリフォードが言うことも頭では分かるのだ。
「聖騎士の力を私がもっと修得していれば、聖騎士単独でも魔塔踏破は可能なはずなんです。誰かが魔塔まで案内してくれれば。あとは中だけなら私一人で」
自分と少人数ならば、ゲルングルン地方の魔塔までたどり着けるのではないか。
「シェルダン殿なら。シェルダン殿さえいてくれれば。魔塔の入り口どころか最上階まで、案内してくれたはずなのに」
シェルダンの名前をセニアが出したことで、クリフォードの表情が固まった。
「シェルダンが君にどうしてああいう態度だったのか、よく分かったよ。そんな無茶をさせられては堪らない」
クリフォードが辛辣な物言いをした。
「最後は何でも自分になる。そしてレナート殿のような無茶をさせて、セニア殿を死なせることにもなる」
父の名前を出されて、セニアもカッと頭に血がのぼる。
「そんな言い方はっ」
食ってかかろうとして、クリフォードに頭を下げられた。
「すまない、言い過ぎた。でも、君の中で、失ったせいもあってか。シェルダンの存在を惜しんでは、その度に大きくしすぎてる気はするんだ。実際はむしろ、そんな簡単ではありませんよ、と冷たく言われて終わりじゃないか?」
たしかにいかにもシェルダンらしい物言いだ。
セニアも冷静さを取り戻す。
「自分一人で、なんて悲しいことは考えないでくれ。私もゴドヴァン殿もルフィナ殿もいるんだから」
クリフォードが更にいう。
ふと横をセニアは見た。
「とにかく、勝てなかったんだから。今度、飛刀の技、見せなさいよ」
イリスがペイドランに声高に言う。口調と反して、少し頬を赤らめている。
(あらあら)
セニアもついつい微笑んでしまう。イリスの方から、次に会う約束の話を取り付けようとしている。
「魔物とか相手ならいいよ」
ペイドランが譲歩して言う。イリス相手に使うのではなく、技を見せる分には構わないということだ。
順調に距離を縮めている2人を見ていると、つい微笑ましくなって口元が緩んでしまう。
顔を寄せ合って話すペイドランとイリスの姿は、当然クリフォードの視界にも入っている。
「あの2人なら例えば、隠密行動もお手の物だろうね。あの2人に案内してもらえれば、ゲルングルン地方の魔塔へたどり着けるかもしれない。そして、単独か3人かで、魔塔にも挑めると思う。挑むだけならね」
クリフォードが更に続けて言う。言われてみれば、身近に最適の人材が2人もいるのであった。
「だが、君はあんな様子の2人を見て、そんな危険に巻き込めるのかい?無理をさせられるのかい?」
尋ねてくるクリフォードをセニアは睨みつける。卑怯な言い方だ、とセニアはなんとなく感じた。
「そんな言い方はっ!」
全部を言うことはできなかった。
眼の前にいるクリフォードが、とても真摯な眼差しをしていたからだ。闇雲に護ろうとしていたルベントのときとは違う。
「もう、何から何まで感情論で私も反論しているわけじゃない。君にとって不本意でも、私は1番良いと思える方法を提示するよ」
クリフォードがゆっくりとした口調でもう一度尋ねる。
「君は、あの2人に無茶をさせること、出来るのかい?」
セニアは唇を噛んだ。
「それは」
答えられなかった。イリスもペイドランも可愛い妹と弟のようにすら思っている。
(クリフォード殿下の言うようにアスロック王国のゲルングルン地方をたやすく制圧できるなら、確かに)
2人だけに自分の判断で、危険を犯させたくはない。
セニアは自分一人ではどうすることもできない非力さと決断できない不甲斐なさを思い知るのであった。