88 聖騎士の焦り1
「ま、参りました」
ペイドランがイリスに木剣を突きつけられ、地面に尻餅をついた。ペイドランが黄土色の軍服、イリスが灰色のボタンシャツに、紺色の半ズボン姿である。
皇都グルーンの皇城にある訓練場だ。主に儀杖兵達が訓練に使う場所なのだが、ここ最近はセニア達が借りて使わせてもらっている。
「何よ、もうっ!全っ然、強くないじゃないのよ」
勝ったイリスのほうが不満げである。
再会を楽しみにしていたイリスに、ペイドランの有能さを昨夜も幾らか吹き込んでおいたことを、セニアは申し訳なく思った。良かれと思ってやったのだが。
しかし、ペイドラン本人は負けたのになぜかご満悦で、頬を膨らませる金髪美少女にすっかり見惚れているのである。
微笑ましく思い、セニアはクスリと笑みをこぼしてしまう。
「ペイドラン君は正面切って、剣で手合わせをするのが強いわけではないのよ」
魔塔での動きを思い出してセニアは口を挟んだ。
イリスが不満げに自分の方を向く。初めて見せる顔だ。なぜだか、カティアをセニアは思い出す。聖騎士の教練書の1冊目を貰ったぐらいのときの、怖かったカティアの顔と今のイリスがどこか似ている。
「飛刀っていう短剣投げがすごかったのよ」
特にフォックスウィザードとの戦いでは、隙を突いて、実にうまく当てていたものだ。
「ふうん」
曖昧な顔でイリスが頷いた。振り向いてペイドランを見る。
「って、あんた、何、セニアに見惚れてんのよっ!」
なかなか物理的に理不尽なイリスの怒りである。
セニアとペイドランの間にはイリスが立っていた。もし、セニアに見惚れていたなら、それはイリス越しということになるが。
(イリス、そんなわけないじゃない)
頬を赤らめてセニアは思う。ペイドランが見惚れていたのはもっと別のものだ。
「ち、違うって。俺、目の前にある君の、そのっ」
慌てたペイドランが失言をしかけて言い淀む。馬鹿正直に言っては駄目なものである。セニアでも分かる程度の。
イリスも何を見られていたのか気付いたようだ。
「バカッ!スケベッ!」
ズボン越しに尻を押さえつつ、イリスが尻餅をついたままの、ペイドランを足蹴にしている。器用なものだ。
ペイドランが平謝りに謝って、ようやく許しを得ていた。謝った程度で許しているのだから、イリスも満更では無いのである。
(イリスが、あんな、感じになることもあるのね)
ペイドランがイリスに手を貸してもらって立たせてもらう。
再び、木剣を構えて対峙する。
ごく普通の軽装歩兵としての片刃剣を遣う戦い方しか知らないペイドランと、セニアとともに育ち、一流の剣術を叩き込まれてきたイリス。
(やっぱり、ペイドラン君、剣技では勝ち目がないのね)
少し離れて、二人の様子を眺めてセニアは思った。
「うわっ」
細かい突きの連撃で、ペイドランが木剣を取り落とす。
実際、イリスは実戦では細剣をよく遣う。素早い身のこなしで相手の攻撃を避けて、鎧の間を抜くような戦い方を得意としていた。
「ま、参りました」
また、尻餅をついてペイドランが降参した。なぜいちいち尻餅をつくのか。今回は木剣を跳ね飛ばされて負けているのだ。転ぶ要素はない。
「もうっ、私の稽古にならないじゃないの」
勝てて内心、満更でもないイリスがまた手を引いて、立ち上がる手助けをした。
(ペイドラン君、いちいち尻餅ついて。まさか、イリスの手を握りたくて?)
嬉しそうなペイドランの顔を見て、セニアは気付いてしまうのであった。
「ねぇ、次は飛刀っての、使ってみせてよ」
尻餅の意図に気付いていないイリスが、興味深そうに言う。
本当はイリスも昨日からペイドランに会うのを楽しみにしていた節があった。魔塔での戦いぶりなどもセニアから全部伝えている。
(あっ、でも、そういうのって本人に話をさせてあげたほうが良かったかしら)
ふと気付いて、自分の無粋さを、セニアは申し訳なく思った。だからさっきイリスが怒っていたのだ。
それとは別に、ペイドランの飛刀には興味を引かれる。素早いイリスの虚をついて、どのように当てるのか。自分にとっても勉強になるだろう。
「え、駄目だよ」
意外にも、ペイドランがはっきりと拒んだ。
「なんで?私の稽古にもなると思うの。聞いてるわよ。手強い魔塔の階層主っていうのにも、ドンドン当ててたって」
イリスも拒まれると思っていなかったらしい。怒るというより困惑しているようだ。
「本物なんか当たり前だけど。木製のでも、指に当たれば危ない。骨ぐらい折れちゃうかも。俺、君にだけは絶対怪我させないって決めてるんだ」
さらりと殺し文句を混ぜ込んでくるのがペイドランである。
やはり、素早いイリスにも当てる自信があるのだ、とセニアは思った。見てみたい、という気もする。
「うぅー、何なのよ、もうっ」
すっかり直球の愛情表現に翻弄され、イリスもどう論破していいか分からなくなっているようだ。顔が真っ赤である。こんな姿は付き合いの長いセニアも初めて見る。
「自分の力を見せびらかしたいわけじゃないから」
イリスに魅了されてはいても、言うことはしっかり言うあたりに、シェルダンの後継者らしい風格がペイドランにもあるのであった。
(それに対して私は)
開いたままの教練書第2巻を見て、セニアはため息をついた。
『千光縛』の修得がうまくいかない。
「もう一度」
呼吸を整えて法力を練り上げる。巨大な光の鎖が一環、中空に生じた。
「だめだわっ、こんなんじゃっ。出来損ないの閃光矢と変わらない」
叩きつければかなりの威力があるだろう。だが、千光縛はそういう趣旨の技ではない。無数の鎖でまず敵を絡め取る。相手の大きさによって鎖の大小を操作して動きを封じるのだ。
一度、閃光矢を数本小さいのを発射する感覚で放ってみたのだが。そうするとセニアの場合、千切れた鎖が大量に飛んでいくだけなのであった。
「じゃあ、君に1回、勝ってみせればいい?」
ペイドランがイリスに尋ねている。いつの間にか会話が進んでいた。
「そうね。そしたら、飛刀をやれって無茶、もう言わないであげる」
イリスのことだから、勝てもしないくせに『飛刀で怪我をさせる』などと言われても説得力がない、ぐらいのことを言ったのだろう。
「分かった。今度は寸止めじゃなくて打ち据えてくれていいよ」
ペイドランが言い、2人で木剣を構えて向かい合う。
正直、セニアとしてはこの二人の稽古デートを見ながら修行をしようとしたことを、反省してもいた。見ていて面白くてまるで集中できないのだ。
また、イリスがペイドランの間合いを制圧した。
一方的に突きかかっている。先程から、ペイドランが斬撃よりも刺突を捌くのを苦手としていたからだろう。
「同じことの繰り返しじゃない」
イリスの一際鋭い突きが、ペイドランの木剣を弾き飛ばした。
とっさにペイドランが両腕で顔と胸の前を守るようにする。
腹ががら空きだ。
「恨みっこなしだからね」
自分に言い聞かせるようにイリスが言い、ペイドランの腹を突く。
ガシャンと硬い音がして、イリスの動きが止まる。
全く痛くなさそうなペイドラン。腹にシェルダンの形見である鎖鎌を巻いているのだ、とセニアは思い至る。
「へ?」
驚いた顔のイリス。
ペイドランが、金髪美少女の、木剣を持った細い手首を左手で掴み、右手を背中に回す。抱き寄せると密着して、あえなくイリスが木剣を振れなくなった。
しばし膠着する。鯖折りか何か体術でイリスにとどめを刺すのか。イリスが観念したように目を瞑る。
「あ、どうしよう、困った。こっからは惚れた弱みで、俺、君に痛いこと、なんにも出来ないや。ごめんね、俺の負けでいいよ」
ペイドランがイリスの耳元で囁くように言う。
ボンッと音のしそうなほど、イリスの顔が真っ赤に染まるのであった。
いつもお世話になります。
まだ、今回のシーンは続きますが。
それにしてもペイドラン君はどこでこんなやり口を覚えてきたのやら。書いている私のほうが赤面してダウンしそうでした。
セニア視点ですがほぼ、イリスとペイドランにジャックされております。
こんなペイドランとイリスですが、一つ宜しくお願い致します。