86 新生第7分隊〜ロウエン3
聞きたいことは聞けた、とカディスは満足した。
もう十分だ。
「あぁ、そうだ、あとはペイドラン」
あとは礼を言って帰宅させてやればいい。もしかしたら例の『イリスちゃん』に会う時間も作れるのではないか。
「はい?」
ペイドランが無邪気な顔を向けた。
つい、カディスの悪戯心が頭をもたげる。
「イリスちゃんには、イリスちゃんという名前があると言っていたが、イリスちゃんは『ちゃん』までが全部名前なのか?本当にものすんごく可愛いじゃないか」
我ながらよくもまぁ、憎まれ口がすらすらと出てくるものだ、とカディスは感心した。
結果、怒ったペイドランから、飛刀の要領で放たれた鉛筆を額に喰らう。なかなかの痛みに、カディスは机に突っ伏してしまった。削っていない鉛筆だ、というのが最後の温情だ。
「もう、知りませんっ!絶交ですっ!」
16歳の副官はよほど腹が立ったようだ。部屋を出る足音までいつになく荒々しかった。
素直に礼を言ってやれないところが、姉のカティアにそっくりだ、とカディスは反省する。次に会うのは明日の訓練だが、そのときにはちゃんと謝ろうと思った。
(しかし、あの顔。ものすんごく、真っ赤だったな)
無理かもしれない。クック、と笑みが込み上げてくる。
翌日、カディスはなんとかペイドランに平謝りに謝って。さらに『イリスちゃん』とのことを悪ふざけの材料にしないと、守れるわけもないことを約束させられた上でようやく許してもらえた。
皇都グルーンにて、ロウエンともう一度会ったのは、その3日後、リュッグの研修が終わった当日の夜である。
軍営にほど近い居酒屋。カウンターで酒とつまみを頼める店だ。少し高いワインと果実酒をそれぞれ頼む。
「カディスさん、妹との婚約、前向きに考えてくれましたか?」
ロウエンが期待と確信に満ちた眼差しで尋ねてくる。
「そのことなんだが、ロウエン」
頭の中で何度も繰り返してきた想定を思い出しながらカディスは切り出した。
「妹さんはまだ10歳だろう。少し焦りすぎだ。妹さんにとっても、焦りは良くない」
妹自身の幸せを盾に論破する方針だ。
「今は10歳でも、いずれ大人になります」
また年齢の話かとロウエンがうんざりした表情を浮かべた。
「まだ10歳のうちに結婚相手を探すなんて、大事に思っているのもわかるし。その相手に私を選んでくれたのは友人として光栄でもあるが」
カディスは言葉を切った。すらすらと想定通りの話をできている。一口だけ果実酒を口に含んだ。
「まだ10歳だぞ。これから成長して、どうとでもなる年頃だ。他に同世代の男の子を好きになる可能性だってある。今からその可能性を潰すのか?」
ペイドランやリュッグを見ても同じだ。同い年ぐらいの子たちで好きあって、デートもして、実に楽しそうである。そういう未来がロウエンの妹ロッカにだってあるはずだ。
「ですが、カディスさんほどの人は」
ロウエンの舌鋒が鈍った。
「それを決めるのはお前でも、私でもない。妹さん、本人であるべきだ」
強い口調でカディスは言い切った。
ペイドランの妹シエラがリュッグを選んだように、ロウエンの妹ロッカが、ロウエン本人にとって不本意な相手を選ぶこともありえる。
(それでも、妹の幸せを第一に考えるのが兄というものだ)
ロウエンが思い悩んでいる。
「でも、もし、変な男に引っかかったら?ロッカもいずれ都会で暮らしてみたいっていうんですよ」
やはりそんなことだろうと思っていた。ここまでは怖いぐらいに順調で予想通りのやり取りだ。
「そこは、兄としてしっかり見守ってやるんだ」
カディスは微笑んで告げた。友人として力付ける笑顔である。
しばしウンウン唸ってから、ロウエンがついに頷いた。
「分かりました。その上で、妹が成人して、他の誰でもなくカディスさんを選んだなら、いいですよね?」
ロウエンが真剣な顔で想定にないことを言った。
「ん?あ、まぁ」
つい曖昧にうなずいてしまう。
ロウエンがニッコリと笑った。
「妹が成人して別のしっかりした男と好き合ってればそれでよし。自分を選ぶのならそれもよし、ですか」
ロウエンが更に言う。
何か若干違う気がする。
「待った上で自分が選ばれなくてもいい、だなんて婚約するのよりも凄くないですか?」
なぜか感動した面持ちでロウエンが言う。
(あれ、どうしてそうなった?おかしいぞ)
内心で慌てつつも、カディスはどう訂正していいかわからない。話を振り返っている間にロウエンが更に話を進めてしまう悪循環だ。
「父母にも言っておきます。カディスさんは、ロッカが成人するまで、独身で待つ。そしてロッカの未来を狭めないよう、あえて婚約という形は取らないと」
なぜかとんでもない方向で話がまとまってしまった。
(それじゃあ、結果的に婚約してるのと同じじゃないか)
カディスは思いつつも、頭の中で訂正した。婚約よりも、遥かにタチが悪いのだ、と。
「本当にありがとうございます。次は父や母、ロッカ本人も連れて遊びに来ます」
カディスの手を痛いぐらいに握って、ロウエンは帰ってしまう。支払いもカディス任せだ。
翌日、リュッグとともにルベントへ戻るロウエンを見送りにかこつけて、最後の説得を試みるも失敗する。
婚約より上の、謎の約束をした、というロウエンの中での事実は揺らがなかった。
ロウエン達と入れ替わりに郵送で、カティアとシェルダンからの手紙が届く。2人とも仲良く同じ封筒に、それぞれの手紙を1通ずつ同封していた。仲睦まじさが感じられて、先程までの自分の苦境を忘れて微笑んでしまう。
「2人とも、うまくいってるなら良かった」
丁寧にそれぞれの手紙に目を通す。
意外にも事務的な用件はカティアの方だった。
両家の顔合わせには何が何でも休暇を取って、出席せよと。場のセッティングから、お互いの両親たちへの通知まで全部カディスに任せる、と書いてある。なお『シェルダンの両親にカティアの心象が少しでも良くなるよう、配意せよ』と理不尽な要請まで末尾にあった。
(よーし、破ってやろうか)
カディスはカティアからの手紙を睨みつけて思った。
一方、シェルダンからの手紙は、自分が第7分隊から異動して寂しさを感じつつも、皇都への栄転を改めて祝ってくれてもいて。ハンターの新副官としての働き、旧・新隊員たちの人柄や近況などが温かく綴られていた。更にペイドランの様子なども心配し、知りたがっている。聖騎士セニアら貴人を押し付けたので、苦労しているのではないかと。
(苦労どころか、奴は絶賛恋愛中ですよ)
クスリとつい、カディスは真っ赤になったペイドランを思い出して笑みをこぼした。
興味深いのは、シェルダンの書いて寄越した国境の状況だ。
(アスロック王国からの魔物、か)
カディスは思いつつ、顔をしかめる。
シェルダンの見立てではかなり深刻な状況であり、ゆくゆくは何らかの大きな戦いに繋がる可能生が高いという。
(兄上が言うのならば余っ程だ)
なお、カディスはこの手紙を読んで、シェルダンを心の内ではもう「兄上」と呼ぶことに決めた。
皮肉にも、破り捨てたいカティアの手紙にではなく、情のこもったシェルダンからの手紙の方に、軍の機密を盛り込んでしまったから燃やすように、との指示があった。
カディスは泣く泣く、シェルダンからの手紙を燃やし、カティアからの手紙を喜んで燃やすのであった。
いつも、閲覧、応援ありがとうございます。
今回はロウエンと題して、視点人物はカディス、という場面でした。ペイドランのこともだいぶ描いてしまいました。そして、散々ペイドランをいじったカディスは、頭を抱えてばかりいるという。天罰ですかね。
各話へ感想をくださる方もいらっしゃり、いつも励みになります。思いついた以上のことはなかなか書けず、ご期待に添えるか不安に思う部分も常にありますが、始めた以上、終わるまで書こうと思います。今後とも宜しくお願い致します。