8 対談〜聖騎士敗北1
セニア・クラインは『水色の髪の聖女』と呼ばれた聖騎士である。魔物との戦場では白銀の鎧に身を包み、アスロック王国ミルロ地方にある聖教会の総本山、聖山ランゲルの大神官から聖剣の使い手と認められた。
父である聖騎士レナートの死後、アスロック王国の魔塔から溢れ出る魔物と日夜、戦いを続けてきたのだが、幼少期からの婚約者であった王太子エヴァンズの不興を買う。そして断罪され、処刑されかけたために国を出たのであった。
今は美しい緑あふれる庭園の四阿で、居心地の悪い思いとともに座っている。
「セニア様、人に会うというのに、そのようなお召し物で宜しいのですか?」
侍女のカティアが眉を顰めて尋ねてくる。
紺色の髪をした、細身の美しい女性だ。今年で19歳になるという。元々、子爵家の息女であるとのことで、所作の一つ一つが洗練されていて美しい。
(厳しいのよね、カティアは)
今、セニアが身に着けているのは、黒色のお仕着せのようなドレスであり、地味な見た目のものだ。貴族の令嬢であればもっと派手に着飾るべきなのだろう。ただ、もうセニアは貴族でも何でもない。
(もっともクリフォード殿下は嫌な顔をなさるのよね)
修道女の服装に見える、と身元を預かってくれているドレシア帝国第2皇子のクリフォードからは酷評された。ただ、セニアにとっては私服の中では一番落ち着く服装なのである。
(それか鎧を着ている方が気楽なのだけど)
クリフォードから贈られたドレスは全てレースだらけで動きづらい上、派手すぎて落ち着かないのだ。
「えぇ、今日、会う人はあまり服装なんかは気にしないと思うの」
セニアは自らの服装を確認して答えた。地味だがみっともないところも、おかしなところもない。
「まぁ、そうかもしれませんね。弟から聞いた限りでは」
カティアが左手を頬に添えて、セニアの服装を上から下まで何度も眺めて言う。その後、なぜだか自身の服装まで気にかけ始めた。
セニアは落ち着かない心持ちである。カティアの視線のせいばかりではない。
今いるのが、ドレシア帝国西部の大都市ルベントにある豪華な離宮だからだ。現皇帝の次男、第2皇子クリフォードの
別荘なのであった。クリフォード本人は領地の巡察に出掛けて留守である。
「弟さんは軍属だったかしら?」
セニアは思い出して、居心地の悪さを誤魔化すように尋ねた。
「はい、軽装歩兵の分隊で副官をしているそうです」
カティアの実家は子爵とはいえ、没落して領地を失ったのだそうだ。だがあまりに優秀なのでカティア本人は侍女として第2皇子クリフォードに雇われ、更にはドレシア帝国の礼儀作法に通じているため、今は他国人のセニアに付けられている、という経緯がある。
庭園に注ぐ日差しが和やかだ。
半年間ずっと、下にも置かないもてなしが続き、平穏な暮らしに慣れてしまった自分をセニアは危惧する。アスロック王国よりもドレシア帝国は良い国で平和だからか、剣術にしか能のない自分は持て余されているのではないか。
「セニアさまっ」
叫ぶ声と同時にパタパタと駆けてくる音が近づいてくる。
カティアが顔を顰めた。『屋敷内で走るなど、侍女としてはしたない』と言いたいのだろう。いつも注意しているところを見ているのでセニアにも分かった。
「お約束の、シェルダン・ビーズリー様がお見えです!」
まだ13歳の侍女見習いのシエラが庭園の出入り口にやってきて元気良く告げる。黒髪の可愛らしい女の子、という容姿だ。カティアと同じお仕着せを身に纏ってはいても、こちらはどうしても着られている、という印象を受けてしまう。
「シエラ、お屋敷を走ってはいけません、といつも言っているでしょう?」
カティアが落ち着いた声音でたしなめる。
「はい、すいません」
すっかりしょげてしまったシエラがカティアに謝罪する。カティアを怒らせると、本当にひどく恐ろしいのだ。
「ありがとう、お通しして」
セニアはできるだけ優しく、シエラに声をかけた。まだ見習いとしてここに勤めてから短いのである。
パッとシエラの顔に笑みが戻ると、またパタパタと駆け去っていく。
「あぁ、もう、だから走ってはいけません、と」
1人、カティアがプリプリと怒っている。後でお説教かもしれない。セニアはシエラを気の毒に思った。本当に怖いのである。
しばらくして四阿に姿を見せたのは、自分よりいくつか年上と思われる灰色の髪の青年だった。中肉中背、精悍な顔立ちをしており、いかにも軍人というキビキビした歩き方をしている。黄土色の軍服上下に、同色のキャップ帽子を胸に抱えていた。
そしてセニアを目視するなり、青年が芝生の上に平伏した。
「聖騎士セニア様に初めて御意を得ます。ドレシア帝国第3ブリッツ軍団軽装歩兵小隊第7分隊長のシェルダン・ビーズリーと申します」
まるで、後頭部が話しているかのようだ。淀みなく長たらしい肩書きをシェルダンが名乗る。
隣でぷっとカティアが吹き出した。
(え、カティアが吹き出すところなんて初めて見たわ)
セニアはカティアの反応にむしろ戸惑ってしまう。
シェルダンの行動はわからなくもない。自分とシェルダンの祖国アスロック王国では、貴族の権力が強く平民との壁も厚いからだ。シェルダンはまだ、アスロック王国の作法や習慣、意識が抜けていないのだろう。
「あ、頭をお上げください。私ももう、アスロック王国の侯爵令嬢ではありません。聖剣も所持してはいますが今となっては」
改めて、自分が何なのかセニア自身にも分からなくなった。
カティアがわざとらしく、ため息をつく。
「シェルダン様、席の方へお掛けください。ドレシアでは客人には席にすぐついていただくのがマナーなのです」
言われてシェルダンが弾かれたように立ち上がる。
上手い言い方だ、とセニアも思った。見るとカティアがうっすらと微笑んでいる。態度とは裏腹にシェルダンに対し、悪い感情はないようだ。
シェルダンがぎこちない動きで、カティアの引いてくれた椅子に腰掛けた。そして今度は俯いて顔を隠している。どうやら直視するのは恐れ多いと思っているようだ。さすがにそんなマナーはアスロック王国にもない。
「今日、来ていただいたのはいくつか伺いたいことがあって」
セニアは俯いているシェルダンの頭頂部に切り出した。
(は、話し辛いわ)
戦場ではまた別なのだろうが、カティア並みに作法や礼儀にうるさいようだ。いかにも皇族の邸宅であるクリフォードの別荘だから、皇族並みにセニアを扱うと決めているのかもしれない。
カティアがそっとシェルダンの脇に立つ。
「ドレシアでは、俯いて貴人の話を聞くのは非礼ですよ」
また弾かれたようにシェルダンが顔を上げる。
更にカティアがシェルダンのカップにお茶を注ぐ。
「あいやっ、侍女殿、私のような者に」
えらく恐縮してシェルダンが縮こまる。
「これもドレシアのマナーですわ」
しかし、すげなくカティアに返されて、反論できずにいる。
カティア本人は楽しそうで、女の自分でも見惚れるような笑みを浮かべていた。自分やシエラには一度も向けたことのない笑顔だ。
コホン、とセニアは咳払いをする。
「商人のアンセルス殿から聞きました。シェルダン殿が商隊の窮地を救ってくださったと」
つい数日前のことだ。魔塔に近付きすぎて魔物に襲われたものの、ドレシア帝国軍に救われた。更に鎖を遣う変わった兵士についても。
「私のような者でも、聖騎士セニア様のお役に立てたなら光栄です」
シェルダンが恭しく頭を下げた。何度も聖騎士と呼ばれている。
(この人の中では、まだアスロック王国の聖騎士セニアなのだわ、私は)
複雑な思いをセニアは押し殺して微笑む。
「その時、あなたは鎖のついた変わった武器を遣っていたと聞きました」
セニアに言われてもシェルダンの、表情は動かない。カティアの淹れてくれたお茶を啜っている。
「それで、私も思い出しました。私がアスロック王国を脱出するときにも、鎖を振り回しながら追手を蹴散らしてくれた人がいたことを」
ここまで言っても特に何もシェルダンからの反応はない。身分のことは気にしても、それ以外のことには極めて冷静な人物のようだ。何か分析されているような居心地の悪さをセニアは感じた。
「あのときの人はあなたですね?お礼を言いたいの。ありがとうございました」
他に鎖を遣う人物をセニアは知らない。そう多いものでもないだろう。
「もったいないお言葉であります」
シェルダンがカップを置いて座り直し、頭を下げる。
間違いではなかった。確信があったものの、セニアは安堵した。
「鎖鎌は先祖の考案した武器であります。当代に至って、聖騎士様の助けとなったことは大いに誉れでありましょう」
シェルダンが丁寧な口調で述べ立てる。どこまでも、恭しい。が、少し表情が変わった。
「しかし、セニア様の脱出には多くの者の助けがあったはず。私だけが御礼の言葉を頂くのも気が引けますね」
誠実な人柄なのであった。
しばらくシェルダンとアスロック王国の思い出などを語らう内に、ドタドタと騒がしい気配が正門から直接近づいてくる。




