72 新生第7分隊〜メイスン2
一夜明けて、シェルダンは隊を率いて国境付近へと向かう。
ドレシア帝国とアスロック王国の間で、国境の明確な線引などされてはいない。頻繁に巡邏を軍にやらせて、両国とも密入国を防いできたのだが、現在ではアスロック王国側がまるで機能していないという有様だ。
(この辺の境目は、一応ラトラップ川とされているが)
シェルダンは眼前の小川を見下ろして思う。その気になれば一足で飛び越せるような幅の狭さだ。ラトラップ川という小川である。
「何か嫌な気配がしますね」
隣に立つメイスンの一言にシェルダンは驚いた。
「そういう勘は、隊で一番、俺が鋭いもんだと思っていたよ」
シェルダンも川向うを睨みつけて言う。確かに嫌な気配が漂っている。
付近ではハンターとリュッグ、ハンスとロウエンという編成で哨戒をさせている。一声あげれば届く距離だ。自分につけているのはメイスンとガードナーである。
「では、隊長も」
メイスンも川向うを見つめたまま、尋ねてくる。支給品の片刃剣の柄に手を置いていた。いつでも戦える、そんな風情だ。
森の奥で何かが動いた。羽音、茶色っぽい体色。
「ちぃっ、まだ、昼間だぞ?」
相手が何であるかを察してシェルダンは毒づいた。
「抜剣っ!」
弾かれたように叫び飛来してきた2ケル半(約50センチメートル)ほどの塊を、片刃剣で切り裂いた。
コウモリ型の魔物、バットである。取り付いてきて齧りついたり、爪で引っ掻いたりしてくる、不愉快な相手だ。
「メイスン、お前はガードナーと2人で戦え!俺は他の連中を見てくるっ」
メイスンの剣技を見て、シェルダンは告げた。抜剣した一太刀でもって、バットの先頭を切り裂いていたのだ。剣撃が恐ろしく速い。
(あいつ、訓練では手を抜いてたな)
シェルダンは気付き、任せることにしたのだった。
「実質、一人じゃないですか」
さらに軽口を叩く余裕まであるようだ。
素早く的確な動きで流れるようにバットを切り裂いていく。足元には頭を抱えてうずくまるガードナーがいた。
ハンターたちを視界に捉える。
「うおらっ」
ハンターがリュッグ考案の手袋に噛みつかせては切り刻む、という荒っぽい手法でバットを片付けていた。
考案者本人もハンターに食らいついたバットを一生懸命に切ったり突いたりして奮戦している。及び腰だが必死に戦おうとしていた。
「ああ、あの2人は、バットは初めてか」
呟きつつ、手こずっているハンスとロウエンの元へシェルダンは向かう。
リーチは長いものの大振りのロウエンに、勇敢だがともすれば無鉄砲なハンスである。ウルフ相手ならば有効な戦い方が、バット相手では空振りを連発して噛まれそうになっていた。
「もっと剣を細かく使え」
言いながらシェルダンは、2人にかかっていた3匹のバットを切り裂いてやった。鎖鎌を使うまでもない。
7人で15匹ほどの一団を片付けている。カディスとペイドランがいれば、あっという間に終わっていた戦いだ、とシェルダンはちらりと思ってしまう。
「ありがとうございました」
肩で息をしながらハンスが告げる。ロウエンもコクコクと頷いていた。一見して2人とも大きな負傷はないようだ。
「いい。飛んでくる魔物の中じゃ一番下等だ。落ち着いて、慣れてくればウルフより簡単に倒せるようになるさ」
シェルダンは布で血のついた片刃を拭きながら告げた。
「しかし、こんなところに、なぜこの数の魔物が?」
ロウエンが首を傾げている。
「もう魔塔もないってのになぁ」
ハンスも相槌を打った。
「考えられる理由は1つだが、まぁ良い。とにかく一旦ここを離れるぞ」
シェルダンは告げて、手頃なバットの翼を切り取って回収した。魔物と遭遇した証拠とするためだ。
7人で集合し無事を確認してから移動を開始した。
「隊長もすげぇが、メイスンさんもすげぇや」
走りながらハンスが言う。
メイスン一人で5匹ものバットを切り倒していた。隊では一番多い。上申してやれば軽装歩兵隊長から賞状ぐらいは出るだろう。
「大した相手じゃなかったし、組んだのがヘタレだった。一人で倒すしかなかっただけだ」
謙遜しているのか、ガードナーを誹りたいのか、分からない話し方をメイスンがした。多分、両方なのだろう。
「リュッグ君なんかの方が頑張っていたな。最初に腰抜けと言って悪かったと思う」
更にメイスンがリュッグの方を褒める。周りをよく見る余裕もメイスンにはあったようだ。
ガードナーの方を見ると謗りには慣れているのか無表情である。無言のままだ。
「こいつぁ、一回落ち着けりゃちゃんとやろうとはする。魔塔じゃ横湧きされると驚いちまって駄目なんだけどなぁ」
ハンターもリュッグの肩を叩いて言う。
メイスンが全体には良い雰囲気を作ってくれてはいた。ただ、最初からガードナーが疎外されつつもあって。
(まぁ、ガードナーのやつが不甲斐なさすぎる)
シェルダンとしてもガードナーに、歯がゆさを覚えつつあった。言い返すことも奮起することもしない。最初から嫌われているメイスン以外とも親しくしようともしないのだから。
(リュッグのほうは、ああ見えて根性もあって真面目だから
な)
今、習得しようとしている念話の他にも、通信具の取り扱い資格を全て網羅している。小隊全体でもリュッグ一人ではないか。
(あぁ、そうだ。近々、リュッグは皇都で研修もあったな)
シェルダンは思い出して、一度はルベントに戻らねばならない、と考えていた。
国境から少し離れた森の中で休憩する。
「全員、ちょっと近くに寄れ」
水分を摂らせてからシェルダンは集合をかけた。
本格的な休憩に入る前に事態についての推測を伝えておかねばならない。
シェルダンを中心に6人が円になって座る。
「さっきのバットだが、魔物は魔塔からしか出ない。俺は、アスロック王国側の魔塔からあふれた群れじゃないかと思う」
シェルダンの言葉にハンターやメイスンが頷く。国境の向こう側から飛来してきたことを、冷静に見て取っていたのだろう。他の面々はただ驚いている。
「ちょうど、この付近、アスロック王国側のゲルングルン地方に魔塔が立っているはずだ」
シェルダンは付近の地勢を思い出しながら説明を続けた。
「ゲルングルン地方の魔塔ですか。新しいと聞きますが、かなり離れているのでは?」
付近に領地を持っていた貴族の息子だけにメイスンも詳しい。
(どんな、返事が来るかも分かってるだろうに。良いやつだな)
シェルダンが話の進行をしやすいように、敢えて訊いてくれたのだろう。
「あまり、手が行き届いていないのだろうよ。あちらの国情はこちらよりもずっとひどい」
肩をすくめてシェルダンは言った。
アスロック王国での軍務を思い出すにつけて、状況の悪さが理解できてしまう。
「他国に迷惑をかけるほどですかい?あっちの軍は何をやってんですか」
珍しくハンターが苛立ちをあらわにする。実際に血を流すのは自分たちだ。
「賂がまかり通って腐りきってる。正論が通じる相手じゃないな」
出身者は端的に状況を教えてやった。
分隊員一同が露骨に嫌な顔をする。賂など、ドレシア帝国では考えられない概念だろう。
「それで国境にいる軍はいま、大変なんですね。魔物をずっと警戒しなくちゃいけないから」
リュッグが暗い顔で言う。
「死亡者ではなく、負傷者が多いという話だった。流石に他国で距離もあるから、まだ弱い魔物しか姿を見せていないのだろうよ」
シェルダンは言いつつ、思っていた以上に深刻な流れかもしれない、と感じていた。