71 新生第7分隊〜メイスン1
アスロック王国との国境付近にあるミズドラ砦。第1皇子シオン麾下とされている第1ファルマー軍団も、本営を置いている場所だ。着任した挨拶のため、シェルダンは指揮官のもとを一人で訪れていた。分隊員たちは、ハンター指揮のもと、林で野営している。
(ゲルングルン地方との境、か)
正門をくぐり案内を受けつつ、シェルダンは国境の向こう側のことも気になってしまう。アスロック王国側はゲルングルン地方といい、セニア追放後に魔塔が立った土地だ。
「第3ブリッツ軍団軽装歩兵隊第7分隊、ただいま到着しました」
直立し、指揮官に告げる。
砦の指揮官はアンス侯爵という貴族だ。偏屈そうな初老の男である。ギョロリとした目が印象的だった。
「全く、本来なら第3ブリッツ軍団が全軍で来て、我が軍と交代するのが筋ではないか?ん?」
憎々しげにアンス侯爵が返事もせずに切り出した。
「ここは、クリフォード皇子の管轄だろう?なぜ、シオン皇子殿下直属の我らがこんな辺境におらねばならんのだ」
ぶつぶつと文句を言い始めた。
独り言とはいえ、上官の言葉を遮るわけにはいかない。
黙ってシェルダンは聞いていた。ドレシア帝国では珍しいが、アスロック王国にはもっとたちの悪い上司が山程いた。管轄違いで文句を垂れるくらいなら可愛いものだ。
「とにかく、貴様らっ、軽装歩兵の1分隊になど構ってられん。とっとと自分の仕事をしに行けっ!」
文句だけを聞き飛ばし、具体的な指示を一切受けることなく、シェルダンは指揮官の前から退出した。
ふと歩いていて、ミズドラ砦がさほど堅牢ではないことに気付く。ここに居着いて動こうとしないあたりにアンス侯爵の軍才も垣間見えるのだった。
「隊長、どうでしたか?」
砦を出た林の中で分隊と合流する。早速、副官のハンターが尋ねてきた。
「特に具体的な指示はなかった。自由にやれ、ということだ」
良いように解釈して、シェルダンは端的に告げた。細かい指揮官殿からの不平は割愛である。
「つまり、本営がロクに機能してないってことですか」
呆れたように言い、ハンターが苦笑した。なんとなく、どんなやり取りがあったのか察したようだ。
「まぁ、そうとも言えるかもしれん」
シェルダンは笑って言い、やはり詳しいことは言わずに置いた。また、直接アンス侯爵と会って、自分のここでの仕事がだいたい分かったのだ。もし、ああいう形で意図的に伝えた、というのなら、とんだ食わせ者だが。
任務を受けて着任すること自体が、第1皇子シオンの軍も含めた、この地の実情への偵察なのだろう。
「小隊長殿を通じて、実情を上に報告するしかないな」
シェルダンが言うとハンターも頷く。
厄介なのは、ルベントの第3ブリッツ軍団の指揮官が一応はクリフォードだということだ。
(まぁ、案件としてはシドマル伯爵どまりかな)
シェルダンの名が、あまり軍務にかかわずらっていないクリフォードに漏れることはないだろう。
翌日から国境付近の偵察をすることとして、今日は近くの森で夜営し、一晩越すこととする。
「魔塔ももう無いし、アスロック王国の連中は自分とこの魔塔で手一杯だ。攻めて来れるわけもない。いまの状況で国境付近で戦う相手なんていないだろうに」
焚き火を囲う雑談の中でハンスが忌々しげにミズドラ砦の方を見やっていう。闇の中にかすかに暗く大きな影が木の向こうに見える。
ガードナーだけが離れて座ってぼんやりしていた。あとの隊員はシェルダンも含めて皆、雑談に興じている。
「なんだ?憎まれ口を叩いて。ニーナって娘と喧嘩でもしたのか?」
シェルダンも軽口を叩く。こんな時くらい肩の力を抜こうと思ったのだ。
「逆ですよ、隊長。上手くいってるから遠出させられて恨めしいんです」
愛嬌のあるハンスの物言いに焚き火を囲っている面々が笑う。
「隊長だって、すんごいキレイな恋人、いるじゃないですか」
意外にも言い出したのはロウエンだった。
「何回か会ってるの見ましたし、昨日もトサンヌにいましたよね、紺色の髪の、びっくりするぐらい、キレイな女の人でした」
どうやら思っていた以上に見られていたらしい。ロウエンが淡々と追及してくる。
「あぁ、熱々でしょう。文通はしてるわ、こないだなんか居酒屋に押しかけてきたし」
ハンターもケタケタと笑って言う。
「あぁ、そうだよ、おっかなくてさ。俺なんか睨まれてちびりそうになった」
ハンスもいつぞやのことを思い出したらしく頷いている。
「お前はあのとき、自分の恋人を怒らせてたんだろう」
すかさずシェルダンは指摘してやった。
「でも、隊長、その女の人に、尻に敷かれてそう」
ボソリと口を挟んだのはリュッグだった。失言したと思ったのか口を押さえている。
どこか愛嬌のある仕草であって、思わず皆、微笑んでしまっていた。
「まぁ、そのへんはハンターにでも助けてもらうさ」
苦笑してシェルダンは言った。確かにカティアのほうが実際にしっかりしている気がしている。
「駄目ですよ、うちももう頭が上がらねぇんですから」
ハンターの一言から話はハンター夫妻へと移っていった。
メイスンが気になってしまう。会話にも加わらずガードナーを睨みつけていた。
「こういうときぐらいは、勘弁してやれ」
シェルダンは隣に移動してメイスンに告げた。
メイスンがすっと首を動かして視線をガードナーから外す。シェルダンを見た。
「私は人を評価する立場にはありませんが」
ゆっくりとメイスンが切り出した。
「こういうときに人の輪に加われないというところに、人間性が出ていると思いませんか?」
言うまでもなくガードナーのことだろう。
シェルダンにもメイスンの言いたいことはよく分かった。
「私も何年か軍にいて、分隊をいくつも厄介払いにされてきたのですがね。隊長も、私の経歴はご覧になっているのでしょう?」
メイスンが無表情に尋ねてくる。感情を押し殺しているような、そんな印象をシェルダンは持った。
「あぁ、実家が貴族で、とんだ災難だったな。魔塔の出現なぞ誰にも読めないことで、苦労した家柄だと書いてあった」
あえて、違う部分の経歴にシェルダンは言及した。
「えぇ、家が没落しても、自分はしっかり生きようと。魔塔や災難になど負けるか、という気もあったのですがね。まぁ、それで軍人として覚悟を決めてやってきたのです」
言葉を切って、メイスンが薄く笑った。
「だから許せないのですよ。流されてなんとなく軍隊に入ったような人間は特に。実力がない者も、ですが」
他の面々は焚き火の反対側で穏やかに話し込んでいる。真面目に話しているときには変に入ろうとしない、ぐらいの気は回してくれるのが有り難かった。
「そういう、こだわりも命を縮める」
端的にシェルダンは告げた。
メイスンがハッとした顔をする。
思えばメイスンはシェルダンよりも年長なのだ。人生の先輩に対して助言できることなど元よりさほど多くない。
(ただ、千年、生き延びることに特化して執着してきた家の人間として。生き延びることについてはいろいろ家訓があるからな)
何か拘って頑なになる人間から先に死んでいた、という統計が実家に残っているのである。
「使えるものはなんでも使え。たとえ弱い人間でも最悪、壁ぐらいにはなる。うちの家じゃ、そう言われてる」
返事を待たず、シェルダンはメイスンから離れた。
多少、心配だが、あとはメイスン本人が考えることである。