7 商人〜聖騎士の回し者
エヴァンズは自らの執務室にて、いつもどおり膨大な量の書類と格闘していた。恋人であるアイシラも一緒だ。
聖騎士セニアが国外へ脱走し、東方のゲルングルン地方に第4の魔塔が現れてから、既に半年が過ぎた。いま、脱走犯にして反逆者セニアは隣国ドレシア帝国の皇室に保護されているという。迂闊には手を出せない状況だ。
「殿下、アンセルスという商人が面会を求めております」
侍従のシャットンが告げる。待ちに待った来訪だった。先触れも先日来ていて、荷車数十台分の物資を運んできてくれたという。
アンセルス自身は以前から王宮にも出入りのある商人で、利を求める一方で義侠心にも厚い好人物だ。
「そうか、通せ」
民の疲弊はひどくなる一方だ。数十台分の物資を見て、民も湧いたと聞くが無理もない。エヴァンズ自身も久方ぶりの朗報を手放しで喜んでいるぐらいなのだから。
「ご無沙汰しております、エヴァンズ王太子殿下」
いつもの白いバンダナを脱ぎ、日焼けした禿頭を晒してアンセルスが頭を下げた。
「良い、よく物資を集めてきてくれた。心から礼を言う」
アンセルスが集めてきてくれた物資を買い取り、民には無料で配給する。これで一時的にでもアスロックの民は息を吹き返すことができるだろう。足元を見るような商人でもない。適正な価格を提示してくれるはずだ。
「しかし、我が国の状況は苦しくなる一方ですな、まさか魔塔が4本とは」
アンセルスが悲痛な面持ちで言う。
各地の魔塔をハイネル自らが騎馬隊を率いて巡回し、機動力を活かすことで何とか魔物の数を抑えてはいる。が、そのための兵糧に馬の秣代、武器にかかる費用が甚大だった。しわ寄せは増税、という形で民に重くのしかかっている。
「あぁ、人心を乱す魔女がいたからな。そなたのような誠実な商人には助けられてばかり。頭が上がらない」
エヴァンズは言い、頭を下げた。
父が健在であれば、軽率な行為と咎められたかもしれない。その父も病から立ち上がれない日々が続く。
隣りにいるアイシラが身じろぐ気配も伝わってくる。
「や、やめて下さい、殿下。商人が商品を売るのは当然のことです」
痛ましい表情をしていたアンセルスも慌てて言うので、エヴァンズは頭を上げた。かえって驚かせ、気を使わせてしまったようだ。
それから2人で荷車数十台分の物資について、一つ一つ買値を決めていく。
アンセルスが提示してくるのはどれも驚くほど安い値段ばかりだ。本来の値の、半額程度ではないか、とエヴァンズは感じた。
「困るな、アンセルス。これではそちらにまるで利がない。むしろ損をさせている。寄付と誹られても仕方ないくらいだ」
さすがにエヴァンズも指摘せざるを得なかった。
今後もアンセルスには他国での物資買取を担ってもらいたい。損をして商売の元手を失われても困るのだ。
「いえ、良いのです。既に半額をお支払い頂いておりますので」
迷ったような顔でアンセルスが言う。
エヴァンズには他に支払いをしてくれる人物に心当たりがなかった。ハイネルやワイルダーはそれぞれの分野で有能な同志だが、物資や政治には疎い。アイシラも自身や父親の男爵は貧しく、父の属する派閥の筆頭であるマクイーン公爵は吝嗇である。
「一体、誰が半分をあらかじめ払ってくれたというのだ?」
エヴァンズは不思議に思って尋ねる。場合によっては国が補填すべきことだ。苦しい財政状況ではあるが、まだそこまで落ちぶれてはいない。
「いや、あの」
アンセルスが額に汗を浮かべて言葉を濁す。何か企んでいる。嫌な感じだ。
嫌な報告をエヴァンズは思い出した。ハイネル率いる騎士団は清廉だが、マクイーン公爵が元締めである軍隊は賂の温床であると。
「まさかアンセルス、賂として何者かから受け取ったのではあるまいな」
エヴァンズは長い付き合いである禿頭の商人をじろりと睨みつけた。当然、そんなことではないと思いたい。
「いや、まさか!滅相もない!そのようなことは一切ありません。殿下も私のことはよくご存知でしょう!」
アンセルスが叫ぶ。
確かに見た目によらずアンセルスは豪胆であり、曲がったことが嫌いだ。不正を行おうとした部下の腕を切り落としたこともあるという。
「では、誰なのだ。別に悪い話ではあるまい。謝辞も述べたいし、支払いを立て替えてもらうほど、この国は落ちぶれてはいない。私財を投げ売ってでも当人に支払ってやりたいのだ」
苛立ってエヴァンズは告げる。
伏せようというアンセルスがそもそも失礼なのだ。エヴァンズを何だと思っているのか。逆恨みをするような人間ではないと自分では思っている。
「はぁ、本当にそのようにされますか?」
アンセルスが顔色を窺うように尋ねてくる。もはや確認されるのも不愉快だ。
「くどい、申せ」
エヴァンズの言葉にアンセルスが意を決したような顔をする。
本当に、恩人の名を聞かされるだけでなぜこうも大袈裟なのか。エヴァンズは疲労をすら感じていた。
「セニア様にございます」
予想だにしなかった名前を聴き、エヴァンズは頭が真っ白になった。ひゅっと横でアイシラも息を呑んだ。
「な、なんだと」
かろうじて聞き直す声を発することが出来た。
もう一度、聞き直せばきっと違う名前が返ってくるに違いない。
「ですから、現在、ドレシア帝国に身を寄せている聖騎士のセニア様が、祖国の窮状を見かねて、私財を投げ売ってこの国を援助して下さったのです。仰っしゃりましたな。礼を言うと。これを機会にぜひ」
アンセルスが、まだ、何事か戯言を言いかけている。
間違いない、ということだ。
「う、だ」
エヴァンズは言葉をすぐにははっきりと言うことができなかった。
「は、なんでございますか?」
アンセルスが訝しげな顔をしている。
その顔にエヴァンズははっきりと言葉を叩きつけてやった。
「没収だ!」
買い取りなどと言っている場合ではない。
「貴様っ、アンセルス!国賊にして反逆者、人心を乱した罪深き魔女から賂を受け取るなど何事だ!」
言葉が波のようにすらすらと出てくる。
セニアの罪深さを未だ自分が忘れていないことにだけは満足できた。
「いや、しかし、セニア様は」
アンセルスが何事かを言いかける。
「くどい!やつは貴様を通じて私に恩を売り、特赦でも受けて、この国に舞い戻ろうという魂胆なのだ!これを不正、賂と呼ばずしてなんと呼ぶ!」
エヴァンズは正確に状況を読み取っていた。
要するにアンセルスが浅知恵に溺れたのだ。今回の仕事でセニアをアスロック王国に戻せれば、名誉を回復してやったとしてセニアに、物資供給の面ではエヴァンズに恩を売れると。
あまりに薄汚く卑劣な思惑に、エヴァンズは吐き気までも覚えていた。
「お前は今、困窮し、それでも国を支えている国民に対して何も思わないのかっ!この状況を作った張本人である悪女から受けとった金で助けてやったなどと、胸を張って本気で言えるのかっ!?」
回り回って義憤は悲しみへと変わっていた。アンセルスのことは信用していたのだ。同じく真に国を思う同志であると。
「シャットン」
低い声で、エヴァンズは扉の前で控えているであろう自らの侍従を呼んだ。
「剣をもて。残念だが、私自らアンセルスを処断する」
立ち上がり、静かにエヴァンズは扉の方へと向かう。
扉を開けたシャットンがしずしずと剣を差し出した。
「で、殿下、何を」
アンセルスが動揺もあらわに尋ねてくる。汗がいよいよ止まらないようだ。
法に照らしても、国家への反逆罪は死刑である。エヴァンズの行いはどういう向きから考えても正しかった。
「良いか、あの女は聖騎士ではない。この国を乱した反逆者なのだ」
すらりと剣を抜き、エヴァンズはアンセルスを見据えた。
エヴァンズは気付いていなかった。
アイシラの琥珀色の瞳が怪しく魔力光を放っていたことを。