65 聖騎士の従者1
ドレシア帝国の皇都グルーン。広大なドレシア帝国の国土、そのちょうど中心付近に建てられた都であり、周囲を広大な平原に囲まれている。
グルーン中心にそびえる皇城の、敷地北側にある高い塔の一室。窓から見渡すと赤煉瓦で作られた風情ある家々がどこまでも広がるような感覚をペイドランは覚えた。
(みっともないなぁ)
うんざりしながら豪華な部屋の床で大の字になった。
なぜ、カディスとともに、皇都の第2ディガー軍団の軽装歩兵連隊に勤めることとなった自分が、聖騎士セニアと第2皇子クリフォードの『愛の巣』に呼ばれているかも分からない。
(まぁ、愛の巣、なんて言ってるのはゴシップ雑誌だけなんだけど)
実際は『愛の巣』などとは程遠い、殺伐とした空気が喧嘩のせいで流れている。まったく甘い雰囲気などない。
「なんで、皇帝陛下の御前で、あんな勝手なことを言ったのです?」
もう何度目かになる質問を、またセニアが硬い声でぶつける。
(もう、いい加減にしてほしい)
ペイドランは耳を両手で塞いでゴロンと寝返りを打った。だれもペイドランの大の字を咎めるものなどいない。
ルベントの街から凱旋して、現皇帝陛下の面前でクリフォードが高らかに、セニアを妻としたい旨を宣言したのだ。なんと本人には一切の下話もなく寝耳に水だったらしい。
(俺でも呆れちゃう)
ペイドランは横になったまま思う。
唯一の救いは父の皇帝陛下も次男の先走りと察して、場を取り繕ってくれたとのことだ。
「いいだろう?それだけ、あなたを愛している、ということだ」
涼しい顔でクリフォードが言う。魔塔攻略で自信を取り戻して良くなった部分と悪くなった部分。たぶん、今のは悪くなった部分だ。
視線は魔術書に落としたまま。
「君だって良くないよ。周りの都合や気持ちも考えず、勝手な書状をアスロックになぞ送りつけて。しかも、使いに出したのはあのイリスだろう、まったく勝手な」
返す言葉の刃でクリフォードも切りつける。確かにそこはそこでクリフォードの言う通りであった。セニアもセニアなのだ。
「私は、アスロック王国の罪もない人々を助けたいだけです」
セニアが顔を真っ赤にして告げる。
(見え透いてら。ほんとは2人とも満更じゃないんだから)
セニアはセニアで魔塔攻略の勇姿のせいでクリフォードに好意を抱きつつある。クリフォードもクリフォードで、炎魔術をまた振るうことに本音は前向きなのだ。
『やはり、兄上、私は物を燃やさないと駄目なようですっ』
酒の勢いとはいえ、祝宴の場でとんでもないことを絶叫していた。
『私は皇帝になどならない!燃やしたいのだ!』
確かに物を燃やしたがる皇帝など民の方から願い下げである。兄上だという第一皇子シオンも苦笑いしていた。
ただ、イリスと言う人はペイドランも知らない。
「シェルダン殿のおかげで積めた、魔塔での経験を私は活かさないと」
更にセニアが言う。
ペイドランとしては1番、シェルダンの名前を使われたくないやり方だ。
「そのシェルダンはドレシア帝国に亡命し、この国の民のために命と引き換えに尽力したんだ。捨てていったアスロックのことで引き合いになんて出されたくないだろうよ」
あのシェルダンの性格からして、クリフォードの言うこともあながち間違いではないかもしれない。それでもペイドランは、お互いの意見を通すためにシェルダンの名前を使わないで欲しかった。
「いい加減にしてください。2人とも」
大の字で横たわったままペイドランは告げた。
「シェルダン隊長の名前を下らない言い争いに使わないでください」
もうルフィナに使われている密偵ではない。皇都所属の軽装歩兵の分隊員となり、カディスの副官に抜擢されている。
(ただ、それにしても床が、ふかふかで気持ちいいな)
頭の中では関係ないことを考えてはいても、礼儀を守りつつも言うべきことは言おうと思っていた。
シェルダンの前では、2人ともつまらない言い争いなど出来なかった。軽蔑されるのが恥ずかしいと思わせるものをシェルダンが持っていたからだ。
沈黙するセニアとクリフォード。
「ん?」
驚くほど速い足取りが軽快に近づいてくる。廊下側だ。床に寝ているためペイドランにはすぐ分かった。
(速い)
起き上がる間もなく、ドアが開く。
「ちょっと、何でこんなとこに寝てるやつがいるのっ!?」
高い声とともに足蹴にされて、ペイドランは無様にふかふかの床を転がる。
転がった先ですかさず立ち上がった。青い短い丈のスカートを穿いた少女が立っている。スカートから覗く白い脚が細く眩しい。
人形のように整った顔立ち、プラチナブロンドの短い髪型に青みがかった大きめの瞳。上着も白く清廉な印象をペイドランは受けた。腰には細剣を一振り差している。
「くそ、かわいい」
思わずペイドランは口に出していた。足蹴にされて怒るべきところ、つい見惚れてしまう。あのまま足蹴にされていなかったら、スカートの中が見えたかもしれない。
「はあっ!?」
きれいな眼を見開いて、少女が呆れた顔をする。
「あら、イリス、お帰りなさい。どうだった?」
セニアが柔らかく微笑んで尋ねる。アスロック王国へ使いに出ていた人の名前だ。セニアのおかげで美少女の名前がイリスと判明した。
「セニア様はお馬鹿なの?あの、エヴァンズ、バカ王子なのよ?聴くわけ無いじゃないの?バカな書状、なんとか渡してきた、ていうよりも置いてきたけど。無事に帰ってきました。さぁ、褒めて」
イリスがセニアをも睨みつけて言う。声すらも鈴の鳴るようでかわいい。罵倒している内容でもペイドランとしては耳に心地良かった。
確かにセニアが亡命してきた経緯からして、『魔塔を攻略してやろう』などという書状は無礼な挑発と取られかねない。届けに行くのは危険だったはずだ。
「そうね、エヴァンズ殿下の人柄を忘れてたわ。いつも苦労をかけてごめんなさい。でも、魔塔を倒すためにやれそうなことは全部しておきたいの」
申し訳無さそうに言うセニア。
素直な態度のせいでかイリスが毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。
「はあぁっ、もうーっ、クリフォード殿下っ!」
ため息をついてイリスがすがるような声を出す。
「とっとと、この魔塔馬鹿の聖騎士をちゃんとした常識人にしてください。苦労するのはいつも従者の私なんだからっ」
どうやらセニアの従者をしているらしい。口ぶりからしてアスロック王国のときからの付き合いなのだろう。
(こんなに可愛い娘だったんだ)
ペイドランは生まれて初めての感情にドギマギしながらイリスの横顔を見つめる。
「そうしたいのはヤマヤマなんだがね。セニア殿は寝ても覚めても魔塔のことばっかりだ。本当に魔塔をすべて攻略しない限り、ダメかもしれないよ」
苦笑いしてクリフォードが言う。
「えぇ、私は元よりそのつもりです」
先程からの言い争いの影響もあって、硬い声ですかさずセニアが言う。
「まったく、いつもながら。ほんとにだめね、これは」
大袈裟にため息をついて見せてイリスが言う。
ため息をつく様にすらペイドランは目を奪われてしまうのだった。