64 聖騎士からの申し出
「なっ、そ、そんな馬鹿なっ!」
報せを受けて、アスロック王国皇太子エヴァンズは思わず叫んでしまう。傍らには深刻そうな顔で婚約者のアイシラが控えている。
「ド、ドレシア帝国が、魔塔攻略に成功しただとおっ」
偽りの聖騎士セニア・クラインがドレシア帝国第2皇子クリフォードとともにドレシア帝国の魔塔を攻略したという。
第1皇子シオンからの全面的な援助があってのことであり、皇帝になるのはシオン、異母弟であるクリフォードはあくまで卓越した魔術師という関係は崩さないという。功績を挙げたクリフォードの増長も期待できない情勢だ。
(これでは付け入る隙もない)
アスロック王国にとっては考えうる限り最悪の展開である。
「嘘だっ!嘘だと言えっ!」
報せを取り次いだシャットンを何度も蹴り飛ばしてエヴァンズは叫ぶ。
「う、嘘ではありませんっ!それにセニア・クラインは皇都グルーンにクリフォードとともに凱旋し、婚約の予定であるとの情報もありますっ」
シャットンが涙を流して報告する。この忠義な若者が嘘をつくはずもない。
「事実、なのか。この世に神は、いないのか」
茫然としてエヴァンズは呟く。
聖剣を取り戻すことも、セニアの処刑も、魔塔攻略に失敗し弱体化したドレシア帝国への侵略も、全て白紙に戻された格好だ。
「神がいるならばなぜ、悪であるセニアにとって、こうも都合よくコトが運ぶのだ」
絶望が肩から全身を気だるく自分を包み込む。不条理がいつまで自分たちを苦しめるというのか。
「シャットンよ、すまなかった。取り乱して見苦しい真似をした」
まずエヴァンズはシャットンに侘びた。エヴァンズの激高を危惧して、わざわざ報告を、情報を持ってきた本人から代わってやったらしい。
「だが、ドレシアの偽情報あるいは間違いということはないのか?攻略したと噂だけのことで、実はまだ立っているのではないか?」
極力、気持ちを落ち着けてエヴァンズは尋ねる。冷静になってはみても、にわかには信じられないのであった。
「殿下、ドレシアの帝国の魔塔、それ自体については崩れていることを見た上で、こちらの手の者が報告してきました。セニアらがやった、というのは確かにあくまでドレシア帝国の広報ですが」
忠義なシャットンは蹴られてなお、耳の痛い話もあげてくれる。一時の激情で蹴り飛ばしてしまった自分をエヴァンズは恥じた。
ドレシアの魔塔が崩壊したことは信じざるを得ないようだ。気まずい沈黙が漂う。
ノックの音が響いた。
「殿下、ハイネルでございます。ワイルダー殿も一緒です」
ハイネルが扉の向こうから名乗る。
「入ってくれ」
遠慮などすることはないのだ。思わずエヴァンズは笑みをこぼしてしまう。ハイネルもワイルダーもセニアの悪行を阻む同志なのだ。
「殿下、大変なことになりましたな」
きらびやかな銀色の鎧を着込んだハイネルが険しい顔で告げる。
「どんな詐術を用いたのやら。とにかくドレシアに魔塔がなくなったのは事実のようです」
続いて入ってきた黒いローブ姿のワイルダーも渋い顔だ。
2人の友人にして忠臣とエヴァンズは話し合うこととする。アイシラとシャットンには退出してもらう。
「して、2人ともこちらの魔塔攻略はどうなのか?」
エヴァンズはハイネルとワイルダーを交互に見やって尋ねる。こちらも実力を国の内外に見せつけてやれるならそれに越したことはない。
2人とも揃って申し訳無さそうな顔をした。
「それが、第2階層より上は、あまりに瘴気が強く、通常に戦うことすら出来ません」
瘴気は人間を一様に蝕む毒気だ。屈強な2人であっても例外ではなかったらしい。
「最古の魔塔か?」
エヴァンズは尋ねる。全ての魔塔が同様なのか知りたかった。
「いえ、1番新しい、ゲルングルン地方のものです」
ハイネルからの回答にエヴァンズはううむ、と唸ってしまう。
「殿下、考えたのですが」
ワイルダーが遠慮勝ちに口を挟む。
エヴァンズは頷いて見せる。忌憚なく聞かせてくれということだ。
「何か聖騎士の特殊な術があるのではないですか?聖騎士の教練書について何か進展は?」
いつもワイルダーが冷静な言葉で助けてくれる。
エヴァンズは腕組みをして、首を横に振った。
いまだ、聖騎士の教練書についてはなんの進展もない。
「ドレシアの魔塔も、セニア嬢はその術を手土産に、ついていっただけ。その術をかけるだけかけてロクに戦わず、恩着せがましくも自分の功績とした。いかにも彼女のやりそうなことではありませんか?」
的確な分析を続けるワイルダーにエヴァンズは感心してしまう。いかにもエセ聖騎士であるセニアの使いそうな手口だ。
「しかし、それでは、ドレシア帝国全体が彼女に騙されている、いわば犠牲者ではないですか」
ハイネルが憤りもあらわに告げる。反動もあって、の義憤だった。ドレシア帝国も敵だ、と自分たちは思っていたのだから。むしろ憐れむべき同じ犠牲者ということが分かった。
「ええ、彼女がしたり顔でその術を使うところを思い浮かべるだけで私も腹がたったものです」
ワイルダーが珍しく感情をあらわにした。
「救わねばならんな。ドレシア帝国の人々も、だ」
エヴァンズの言葉に2人がハッとした顔をする。
自身も不明を恥じた。これまでアスロック王国国内が苦しすぎて外に目が回らなかったのだ。
セニアに苦しめられているのはアスロック王国だけではない。大事なことを自分たちは見落としていたのだ。
「まずドレシア帝国には真実を伝えてやらねばならん。あなたたちは、セニア・クラインの詐術にかかっていると。そして、聖剣とセニア、聖騎士の教練書を引き渡していただければ、と。そして、ハイネル」
エヴァンズは信頼する騎士団長の端正な顔を正面から見据える。
「そなたが晴れて聖騎士となった暁にはアスロック王国国内はおろか、他国の魔塔も攻略してやれるのだろう?」
真剣な表情でハイネルが頷く。
これが1番良い解決策だとエヴァンズは想う。
「で、殿下っ、大変ですっ」
ノックもせずにシャットンが乱入してきた。
「落ち着くんだ、シャットン」
カッとなったエヴァンズより先にハイネルが柔らかく落ち着いた口調でたしなめる。
「君はいつも叱責や不興も恐れず、殿下に真実を伝えている立派な侍従で、それも1つの才能だ。ただし、落ち着くんだ。さぁ、息を大きく吸って」
穏やか且つ優しくハイネルが言い聞かせる。武芸だけではなく人柄も聖騎士として申し分ないではないか、とエヴァンズなどはつい思ってしまう。
「殿下、ドレシア帝国に潜伏しているセニア嬢から書状が」
息を落ち着けたシャットンがしっかりと報告する。
「なんだとおっ!」
名前を聞くだけで腹立たしい。一瞬で頭に血が上った。
「内容を読み上げます。アスロック王国の魔塔を聖騎士である自分が攻略してやろう、た、助けてや、る、と」
読み上げるうちあまりの悔しさにシャットンが涙を流して膝から崩れ落ちた。
とっさにエヴァンズも言葉が出ない。
「なんと破廉恥な!」
ハイネルが怒りの声を上げる。
「ドレシアで詐術がうまくハマったので調子に乗っているのですな」
ワイルダーも呆れ顔で告げる。
「しかし、一度は詐術に気付かれ、追放された国だというのになんと浅ましい執念でしょうか」
続けてワイルダーが考え込んでしまう。
「おれ、悔しいです。こんなに国のため尽力しているエヴァンズ殿下たちに、こんなことばかり書いてよこしてくるなんて」
シャットンもポタポタと涙を床にこぼしながら言う。
「やはり、まず一刻も早くドレシア帝国を正気に戻してやらねばならん」
エヴァンズは確固たる決意を胸に宣言する。
「何としてもセニアからアスロック王国にドレシア帝国、両国を救ってみせる」
いつも閲覧、応援等、まことにありがとうございます。
久々のエヴァンズ劇場でした。この人の場面を書いていると何が正しいのか、自分も分からなくなってきます。私もアイシラちゃんの幻術にやられてるのかもしれませんね。




