6 商隊救援
押収した地図と元々持っていた詳細な付近の地図とを照らし合わせながら、シェルダンは隊を率いて西へと向かう。
月明かりに照らされて、ぽつねんと森の中に巨大な黒い塔が立っている。まるで闇そのものが1つの塔となっているかのよう。
魔塔だ。
「でけぇな」
思わず漏らしたハンスの呟きがシェルダンの耳にも届いた。
他の隊員も一瞥し、一様に圧倒されたような表情を浮かべてから視線を逸らす。
「あれでも、アスロック王国のものより随分と小さいし、アスロックより広いドレシア帝国の国土に対して、あれ1本しかないんだからな」
ポツリと呟く。大きさに圧倒される隊員たちとは、違う感想をシェルダンは抱いていた。
魔塔の数や大きさは人心の乱れに比例する、と言い伝えられている。小さいものが1本しかない、ということは祖国よりも良い国に今、自分がいるのだと改めて実感できた。
(そして、大してデカくもない)
シェルダンがいた当時、ドレシア帝国より国土の狭いアスロック王国に3本もの、あれより大きな魔塔があったのだから。更に1本、増えた、とも聞く。つまり、エヴァンズ王子が立太子されてから一挙に3本も増えた、ということだ。
「小休止」
シェルダンは短く命じた。全員で足を止めて水分を補給する。兵糧までは取らない。
東の空がほんのりと白み始めている。
そろそろ商隊と出会ってもおかしくない頃合いだ。呼吸を整えておく必要がある。
魔塔の近くを通っている古い街道。草もかなり生えているのが見て取れた。あまり丁寧に管理されていない。
魔塔が現れる前まではよく使われていたようだが、アスロック王国との国交も頻繁ではなくなったことも相まって、今では滅多に通るものがいない。
「行くぞ」
シェルダンは告げて、隊員を立たせた。
商隊は荷車を引いているので、どうしても開けた太い道を進まざるを得ない。人も馬も多いようなので、近づけば気配でわかる。
更に街道を進む。魔塔が大きく見えてきた、と感じる位置まで来て、シェルダンは血の匂いに気付く。
続いて争闘の気配を感じた。
「駆け足、抜剣もしておけ。近いぞ」
シェルダンの言葉に隊員たちが一様に緊張する。
小物の盗賊たちを相手取るのとは違う。魔塔の魔獣と戦うのだ。
街道を走って進む。
剣を持った数人と商人の一団を、ウルフの群れが襲っている。狙われているのは置いてある荷車の積荷ではなく人間の方だ。既に数人が負傷して倒れている。
ウルフは魔塔の第一階層に多い、青い毛並みをした犬型の魔物である。人間よりもやや小さく、敏捷で鋭い牙を持つ。剣も魔法も効く上、耐久力もないので、きちんと武装している集団であればさほど脅威ではない。
襲っているウルフは20頭ほどか。決して多くはないが、商人の護衛も少ない。自分たちの分隊も7人だけだ。
「積み荷を、何としても物資を守れぇっ」
商隊の隊長と思しき、白いバンダナを頭に巻いた男が叫んでいる。自らもウルフに当たってはいないが、短い剣を振り回していた。
(狙われているのはおたくら人間の方で積み荷じゃないぞ)
冷静に心のうちで指摘する。シェルダンは手頃なウルフを切り倒しながら、白いバンダナ男に近づいていく。
「人間に組み付いている奴から優先して倒せ。リュッグは照明弾を」
シェルダンは分隊員に指示を飛ばし、自らも目の前で商人に噛みつこうとしていたウルフを背中から切り殺した。
後方ではリュッグが赤い円筒形の照明弾を地面に置いて魔力を籠めている。直後、赤い発光体が木々よりも高く上がって、シェルダンたちの位置を周囲に知らしめた。
ウルフの数が当初よりも増えている。まだまだ増え続けるだろう。応援が来てくれないとだいぶ厳しい戦況だ。
カディス、ハンス、ロウエンらもそれぞれウルフに斬りかかっていた。
「こちらはドレシア帝国第3ブリッツ軍団の軽装歩兵隊第7分隊だ。この商隊を率いているのはあんただな」
シェルダンは白いバンダナ男に尋ねた。
「ドレシア帝国軍か、助かった。俺はアンセルス、この商隊を率いている」
あからさまに安堵した表情をアンセルスが浮かべた。
まだ早い、とシェルダンは戒めようか悩んだ。
「とりあえず魔物がウルフだけとは限らない。物資を置いて逃げるぞ」
シェルダンはアンセルスに告げる。自分の部下はともかく、商人側の人間はおそらくアンセルスの言う事しか聞かない。なんとなく、まとまりのいい集団に見えるのだ。
「ダメだ、この物資を運び込まねば、アスロック王国は更に飢える!」
アンセルスの口をついて出た言葉から滲むのが、使命感であることにシェルダンは驚いた。
見れば、物資の殆どは小麦や芋などの食糧ばかりだ。必死で守ってきたのか、商人、護衛ともに負傷者ばかりだが、物資や荷車への損害は少ない。倒れているものが数台見受けられるだけだ。
「だが、死んだら元も子もない。命より大事な物資などありえない」
シェルダンも軍人として、一般人を目の前でおめおめと死なせるわけにはいかない。祖国の窮乏にも胸は痛むが、今の立場での判断を曇らせてはならないのだ。
話している間にもウルフが増える。
飛びかかってきた1頭を、シェルダンは片刃剣で斬り伏せてやった。キャップが戦闘の拍子に脱げてしまう。
「君のその灰色の髪。君だって元はアスロック王国の人間ではないのか。頼むっ」
かえって熱のこもった言葉が返ってくる。魔塔に近い道を選んでしまったのも、アスロック王国の民を思ってのことだったようだ。
シェルダンは舌打ちをした。
よその隊が照明弾に気付いてここへ来るまでにもうしばらくはかかる。
「カディス、商隊の連中が荷車と体勢を立て直すまで、ここで持ちこたえるぞ。隊の奴らにも気合を入れさせろ」
シェルダンはカディスに怒鳴って指示を飛ばす。
すぐにも離脱するべきとカディスも思っていたのだろう。驚きを隠さない眼差しが返ってきた。
「は?隊長、ウルフはまだ増えています。すぐ、生存者たちだけまとめて、離脱するべきかと」
大声でカディスが返答してきた。いつもなら部下からの反論など許さない。自分でもおかしい事態とわかるから不問に付す。
「この商人共は、気骨がありすぎて、物資を捨てない、心中されかねないから守ってやるしかない!」
シェルダンは自らの判断を、祖国が絡んでいるが故であり、祖国への思いで曇らせているのではないのかと一瞬だけ悩んだ。
アスロック王国の窮乏ぶりはここ半年、他国へ亡命したシェルダンにも聞こえている。荷車数十台分の物資であってもかなりの人数を助けられることは想像に難くない。
「しかし、ウルフは」
カディスがなおも言い募る。良い副官だと思うが、今はただうるさい。
「ええい、うるさい!お前らは商人の警護に専念しろっ、前に出たら巻き添えを食わせるからな!」
怒鳴りつけ、シェルダンは腹に巻いていた鎖鎌を解いた。
視界に入るウルフの一頭に鎖分銅を叩きつける。
「ギャッ」
脳天を直撃され、頭蓋を砕かれたウルフが倒れる。
身体能力を強化したシェルダンの鎖鎌は異様な迫力を持つ。風を切る音がウルフたちを圧倒する。
近づきすぎた個体から鎖分銅で撃ち殺していく。
「すげぇ、なんだ、あれ」
呆然とした様子でハンスが呟いていた。戦う手が止まっている。戦闘中だ。
「カディスはボケっとしている奴から、尻を蹴り飛ばして気合を入れ直せ!アンセルスは荷車の修理!」
ウルフたちとにらみ合いながら、シェルダンは指示を飛ばした。カディスが指示通りきちんとハンスの尻を蹴りとばしている。
シェルダンの鎖分銅を恐れてウルフたちは近づいてこなくなった。
鎖を振り回したままにらみ合う。
木々の合間を抜けた個体たちとカディスらが戦っているようだが、数は多くない。
どれだけ睨み合っていたのか。
眼前のウルフたちが背後から別の分隊に襲われて切り倒された。
「第7分隊か?」
先頭にいた髭面の大男が尋ねてくる。第4分隊の隊長、ボーガンスだ。
シェルダンは手を振って挨拶した。昇進する前、元々はボーガンスの分隊員だったのだ。つまりは元上司である。
「盗賊の索敵任務だったはずだが」
ボーガンスがアンセルスの商隊を見て言う。
シェルダンは鎖鎌を腹に巻き直していた。
「なぜ商人を守ってウルフと戦っていたんだ?」
もっともな疑問ではあった。
一時的にせよ人間の方が増えてウルフをほぼ殲滅している。離脱、撤退するなら今が好機だ。
「例の盗賊どもが襲撃しようとしていた商隊だ。盗賊どもを制圧したときに押収した旅程表で危機と知れた。助けないわけにはいかないだろ」
シェルダンはボーガンスに説明しつつも油断なく辺りを見回した。
崩壊に至らないまでも、ドレシア帝国は1本の魔塔をうまく抑え込んでいる。ウルフには襲われたが、逆に言うとウルフぐらいしか塔を出てうろついていない。あとは稀にボアという猪が出るくらいか。
それでもアスロック王国軍にいたころの癖で、つい周囲を警戒してしまう。
「俺が聞いても実に適切な判断だが、無茶は程々にな」
ボーガンスが苦笑を浮かべた。
他国出身であるシェルダンに対してもボーガンスの態度は変わらない。公平な男なのである。
「しかし、この道を急いだってことは、行き先はアスロック王国か」
必ずしも友好的ではない隣国の補給物資であることに、ボーガンスが微妙な表情を浮かべた。生粋の、ドレシア帝国の出身者である。
(まぁ、まともな反応だよ)
シェルダンも薄く笑みを返すのだった。
話している間に、アンセルスの配下も既に倒れていた荷車を起こし、物資も積み直し終えたようだ。もういつでも動ける。
「兵士殿、救援、感謝する」
アンセルスが駆け寄って告げる。礼を言って終わりではないようだ。少し迷ってからまた口を開く。
「図々しい願いかもしれないが、国境まで護衛してもらえないだろうか」
図々しいというよりも賛同できない考えだった。
「駄目だ」
シェルダンはアンセルスに告げる。ボーガンスも頷いていた。
「このまま危険を犯して進むより、堅実で安全な道を選んだほうが良い。アスロック王国の民だってそっちのほうを喜ぶさ」
シェルダンの指摘にアンセルスが唇を噛んだ。
このまま進んでも遅かれ早かれ似たような事態にまた襲われるだけである。
(そして、次は助けられないほどの魔物たちかもしれない)
口には出さないものの、シェルダンは思うのであった。
「そうだな、あんたの言うとおりだ」
アンセルスが納得して折れた。
早くなくとも、困窮しているアスロック王国では荷車数十台分の物資は喜ばれるはずだ。確実に届けてやった方が良い。
「しかし、それだけの物資をアスロック王国でどうやって捌くつもりだ?」
シェルダンは疑問に思った。魔塔4本の対応に追われて財政もかなり逼迫し、税も上がる一方だという。民にはもはや購買力がない。
アンセルスが、不敵な笑みを浮かべた。
「こう見えても、俺は王家の御用商人だ。王家に買い取ってもらって、民には配給してもらう手筈だ」
要するに民にとっては無料ということだ。
王太子のエヴァンズも民のために、自分で出来ることはしているらしい。セニアを追い出して自ら墓穴を掘った格好だが、今尚、国の形体を保っていられるのには並々ならぬ努力があったからなのだろう。
「それに既にこの物資の代金は半分をセニア様に建て替えて頂いている。セニア様とエヴァンズ殿下は破談されたそうだが。アスロック王国自体が、よほど困窮しているとか。この、救いの手で、エヴァンズ殿下も思い直してくれれば良いが」
アンセルスが誇らしげに言う。見事な配慮だ。セニアとエヴァンズがこれで和解すれば、アスロック王国は一気に問題解決に向けて動き出せるのだから。
「あんたみたいな商人がいれば、アスロック王国は持ち直すかもしれないな」
シェルダンは心から感心して言った。
「国を捨てたのは早計だったかもしれない、な」