58 ドレシアの魔塔〜第5階層1
十分に体力、魔力を回復してから転移魔法陣に乗り、シェルダンは他の5人とともに6人で第5階層へと至る。先行しなかったのは、セニアの言うことを受け入れたのではない。最上階では先払いをする意味がないからだ。
一見して開放空間ではない、屋内。黒い松明の燃え盛る黒い壁が左右にそびえる。正面には緩やかな階段が伸びて、捧げ物をするような空間だ。
(変わらない、どこも同じだ)
シェルダンは壁を見回して、逃げ回るのに十分な広さがあることを確認する。
ドレシアの魔塔第5階層は祭壇であった。
「懐かしいわね」
正面でうごめく魔物を鋭く睨んでルフィナが告げる。少しずつ後ろに退がっていく。
「ええ、ここが最上階で間違いないようですね」
シェルダンも相槌を打った。初めて上る3人には分からないやり取りだろう。
魔塔の最上階は大概、祭壇である。祭壇に集まる瘴気を吸い取って、魔塔の主は強さを保つのだ。そして他の魔物は棲息していない。後衛は分かりやすく後ろに退がるべきなのだ。
正面にいるのが魔塔の主である。
(やはり獣型か。黒雷羊あたりで察してはいたが)
鎖分銅をいつでも投げられるよう、小さく回しながらシェルダンは思った。
ゴドヴァンとセニアもそれぞれ武器を構えて前に出る。
こちらが臨戦態勢をとったことで、魔塔の主が立ち上がった。
三首の大犬が咆哮を上げる。空気が震えた。大きさは7ケルド(約15メートル)ほどか。
「うわっ」
思わず、というように、ペイドランが声を上げる。腰が引けているようだ。
「ケルベロス。三首の大犬だ。気を付けろよ、速くて強いから」
シェルダンはペイドランの背中を叩いて説明した。
熱気が肌を打つ。
振り向くとクリフォードが火炎球を放っていた。
「クリフォード殿下っ?!」
セニアが驚いて声を上げる。
別に間違った判断ではない。話の通じる相手のわけはないのだから先手必勝だ。
「ドレシア帝国第2皇子クリフォードだ。魔塔の主ケルベロスよ、私がこの炎でもって灰にしてくれるっ」
ゆえに話の通じる相手ではないのだから、名乗りを上げる意図は不明だが。
黒いケルベロスの巨体に火炎球が続々と叩き込まれていく。
「来るぞ」
シェルダンは短く告げる。いかに強力でもファイヤーボールでは仕留められないだろう。
ファイヤーボールで生じた煙から、ケルベロスが飛び出してきた。
無傷である。
「うおおっ」
「くうっ」
ゴドヴァンとセニアがそれぞれ噛み付いてきたケルベロスの首1つずつを受け止め、勢いをうまく捌いた。半ケルド(約1メートル)ほどの幅と1ケルド(約2メートル)の長さがある大きな頭部だ。捌くだけでも体力が要る。
余った1つにシェルダンは鎖分銅を叩き込んだ。ペイドランも飛刀を放つ。
(なるほど)
火炎球の直撃を受けてなお、無傷だった理由が分かった。
「隊長、回復してますっ」
ペイドランが叫ぶ。
鎖分銅の当たった箇所も飛刀の突き立った箇所もたちどころに傷がふさがったのである。
「見りゃ分かる、めったにこんなのはいないぞ」
シェルダンも怒鳴り返した。
瘴気を吸収することで肉体の傷を治癒できるらしい。かなり珍しい特性だ。先のファイヤーボールも無傷だったのではない。たちどころに回復してから襲ってきただけだ。
「頭だけに気を取られぬように!」
シェルダンは前衛の2人に告げる。
頭だけを抑えても両前脚の鋭い爪があるのだ。巨体の突進もまともに受ければ致命傷となる。
「おうっ」
ゴドヴァンの野太い返事。セニアと2人で力を合わせ、ケルベロスを押し返した。セニアも華奢な見た目によらず、かなりの力がある。
しかし、息をつく暇もない。すぐにケルベロスが襲いかかってくる。
「ぐおっ」
ゴドヴァンの肩をケルベロスの爪がかすめる。騎士団の青い制服に、赤い血が滲んだ。
「ゴドヴァンさんっ!」
ルフィナが悲痛な声を上げる。
「まだ大丈夫だ。長丁場になるぞ。まだ回復は温存だ」
ゴドヴァンがニタァッと笑って言う。
強張った顔のままルフィナが頷いた。この2人はとっととくっつけばいいのである。
(だが、ゴドヴァン様の言うとおりだ)
シェルダンも鎖分銅を操りつつ頷いた。
魔塔に瘴気のあるかぎり回復すると考えるべきだ。ということは、魔塔の瘴気自体と戦っているようなものだ。長い消耗戦となるだろう。
「お前も、絶対に急所に当てられるもの以外は、温存しておけよ、飛刀は」
シェルダンは元密偵の部下に告げる。
黙ってペイドランが頷いた。今、剣帯に納めている飛刀が最後の100本だろう。
「前衛2人のどちらかでも回復することとなったら、俺たちで時間を稼ぐしかないんだからな」
シェルダンはさらに説明を補足する。
言っている間にゴドヴァンがケルベロスの頭を1つ切り落とした。まだ血が流れているのに、即座に新しい首が生える。
「キャアッ」
隣でセニアが悲鳴を上げる。腕を押さえて動きが止まっていた。危険である。
すかさずシェルダンは鎖分銅でセニアを引き寄せて逃がす。
「ペイドランッ!」
低く告げると、ペイドランが飛刀で頭の1つを狙い、目を潰した。
「グオーッ」
再生は出来ても痛みの方はどうにもならないらしい。ケルベロスの動きが止まる。かきむしるような動作をした。
「このっ、よくもセニア殿を」
クリフォードも火炎球で牽制する。
「殿下っ!胴体を狙って下さい」
シェルダンはクリフォードに依頼する。まだ胴体に致命傷を与えていない。急所ということはないだろうか。
「分かった!」
火炎球が続々ケルベロスの胴体に叩き込まれていく。が、焼失した先から回復している。
(うん、そう都合のいいことはない、か)
シェルダンは独り納得しつつ、セニアに巻き付けた鎖を解いた。
「くっ、ごめんなさい。電撃をまともに受けてしまって。こんなことまで出来るなんて」
セニアが荒い息で言う。さすがに責めようとも思えなかった。巨体に鋭い牙に爪だけでも厄介なところ、さらなる攻撃手段までは予期できない。
「感電死しないで何よりでした。ルフィナ様に麻痺を回復してもらってきて下さい」
シェルダンに言われて、セニアが後衛の位置にまで、退がる。
じっとケルベロスの様子、戦況を観察した。
セニアに電撃を食らわせたのが雷属性の首だとして、他にもう1種、クリフォードの火炎球がまるで効いていない首がある。
(奴が炎属性なのか?)
思っているとケルベロスとシェルダンの目があった。怒りに燃えている。もし飛刀の痛みに怒っているなら投げたのはペイドランだ。出来ればペイドランを狙ってほしい。
「ヤバい、避けるぞ」
ペイドランに告げて、シェルダンは口から放射される炎から逃れる。
巨体に高い身体能力、回復能力に属性攻撃能力まで備えている難敵だ。同じ獣型といっても、ハンマータイガーなどとは比べものにならない。
「ぐぬっ」
一人で首3つを相手取るゴドヴァンにも負傷が目立ってきた。
セニアの回復が終わったら交代してもらった方が良い。動きも鈍くなりつつある。
「隊長!真ん中が火で左が電撃、右はなんでしょうか」
よく観察している。ペイドランが尋ねてきた。褒めてやりたいが、知らない上にそれどころではない。
「分からん」
言った矢先、その右のケルベロス頭から氷の槍、ツララが飛んできた。しかも何本も、だ。
シェルダンは渾身の力を込め、鎖分銅を風車のように振り回して防いだ。何本かが肩先を掠めて負傷する。
「氷のようだな」
ごく軽傷だ。ペイドランにも怪我はないようだ。
戦況はかなり厳しい。しかし、このケルベロスで最後なのだ。シェルダンとしても、ここで決めてカティアや後の子孫たちに魔塔のない国を残してやりたい。
(この、気持ちが本当は1番危険かもしれない)
思いつつもシェルダンは、一旦、退こうと皆に言い出せないのであった。