53 閑話〜魔塔の外では カティアとシエラ
クリフォード率いる軍隊、第3ブリッツ軍団が出陣し、街を出てから既に5日が経過している。
「はぁ」
ルベント中央にあるクリフォードの離宮、庭園にある四阿にて、のんびりお茶を飲みながらカティアはため息をついた。
家の主達が不在であり、屋敷の掃除と自分たちのことだけをしていれば良い状況だ。手持ち無沙汰である。卓の上にはゴシップ雑誌が広げてあった。
(でも、時間が空くと、つい心配になってしまうのよね)
シェルダンを心配して思うにつけて、クリフォードらへの怒りがぶり返してしまうのだ。
崇高な理想や言い分があろうとも、個人の幸せは別だと思う。ましてや今回、天秤にかけられたのは自分たちの幸せなのだ。
「心配です、兵隊さんたち、大丈夫でしょうか?」
同じく手すきになったシエラが近付いて来て言う。
小柄で艷やかな黒髪をお団子にまとめ可愛らしい少女だ。ただ、青みがかった瞳は落ち着きをたたえてもいて、不思議な魅力を有していた。
「そうね、お話しましょう。あなたも座りなさいな」
カティアは微笑んで言い、腰掛けたシエラにもポットからカップへお茶を注いでやる。
年下の新人であり、よくたしなめることもあるのだが、カティアはシエラを嫌ってはいない。礼儀や作法には疎いが働き者で体力もある。間違いは犯しても手抜きはしない、というところが気に入っていた。
「私にもね、軍のことはよく分からないの。だから、心配とお祈りぐらいしか出来なくて、もどかしいの」
自らもカップを口に運びながらカティアは告げる。
「カティアさんの恋人さんは、お兄ちゃんのいる軽装歩兵の、分隊長さんですよね?」
好奇心を隠そうともせずシエラが言う。しばしば密会を見られている。別に隠そうという気もなかったのだが。確かペイドランという兄がいて、シェルダンのところの隊員だったはずだ。カディスから聞いていた。
「ええ、そうよ。とっても強いんだけど。魔塔も厳しい環境だと言うから、どうしても心配になるの」
強いから魔塔上層の攻略にまでつきあわされている、とまではカティアも言えなかった。シェルダンからも口止めされている。何か考えがあるようだった。
(何を企んでいるのかしら?)
腹に一物ある強かさがカティアにとっては楽しくて魅力的なのだった。
「実は、私もなんです」
恥ずかしそうにシエラが言う。
「お兄さんのこと?」
当然、頷くものと思ってカティアは告げる。
しかし、シエラがブンブンと首を横に振った。
「いえ、兄はとってもしぶといから大丈夫です」
シエラが言い、両手をテーブルの上に置いたまま、さらにモジモジとしている。ひどく可愛らしい。言おうか言うまいか、話を振っておいて悩んでいるようだ。
「私の好きな人も魔塔に行ってしまった兵隊さんで」
まだ13歳ながらとても可愛らしいシエラだ。自身の兄ぐらいの年代に、思いを寄せる若い兵隊がいて、付き合っていてもおかしくはないかもしれない。
カティアはまじまじとシエラを見つめて思う。そうするとまた、恥ずかしがって縮こまってしまうのだが。
(こんな可愛い子に好かれて、いずれセニア様にも負けないぐらい美人になるでしょうに)
自分が13歳のときどんなだったのか、カティアは思い出そうとしてやめた。
「へえ、どんな人なの?」
シエラの恋話のほうが面白いからだ。カティアは身を乗り出して尋ねる。
「物静かでおとなしい人です。でも、頑張り屋さんなんです」
頬を赤らめて恥ずかしげに言うシエラ。
「あっ、兄には内緒にしてください。隊長さんにも、だめです。兄にバレちゃうから。過保護だから、絶対邪魔してきます」
よほど相手のことが好きなのだろう。好意を寄せていることすら本来、隠したかったであろうに、不安に耐えかねてカティアに言ってしまうぐらいには。
同じくシェルダンのことが心配なカティアにも、気持ちはよく分かった。
「もちろん、言わないわ。女同士の秘密よ。一緒にお互い好きな人の無事を祈りましょうね」
出来るだけ優しくカティアは告げた。
シエラがほっとしたような顔をする。少しは気が楽になってくれただろうか。カティアのほうは若干、気が紛れていた。
「隣のアスロック王国が、この国を攻めてくるんですか?嫌です」
ふと、卓上に置いてあったゴシップ雑誌を見て、シエラが尋ねてくる。開いたページには「アスロック王国侵攻か?魔塔攻略の是非を問う」などと書いてあった。
安っぽくて調べの甘い記事だ。
(でも、シェルダン様はこういうの好きみたいなのよね)
カティアは首を傾げて苦笑した。
シェルダンに頼まれて、購入したものだ。他にも数種類、読み比べているらしく頼まれていた。数少ない、未来の夫の娯楽だ。
そしてなぜだか購入すると馬鹿馬鹿しいと思いつつ、自分でも読んでしまうのだった。雑誌とは不思議なものだ。
「えぇ、魔塔攻略に隣国が挑んでいるときには、歴史上、どの国も侵攻することが多いのですって」
落ち着いた声音で、カティアは書いてあった内容をシエラに伝える。本当に戦争となり、このルベントにも敵の軍隊がなだれ込んでくるのならカティアも怖い。
だが、現在、アスロック王国側も国内に4本もの魔塔を抱えている。溢れている魔物の数も尋常ではないため、軍隊も対応に追われているのだそうだ。
(雑誌ごとに書いてあることが違っていて。そこが面白いのかしら)
シェルダンの気持ちをカティアは推測した。
「違う雑誌にはね、第1皇子のシオン殿下が軍隊を国境付近に置いたから攻めて来られないでしょうって」
カティアは安心させるつもりでシエラに告げる。万全の準備を整えて、ドレシア帝国は魔塔の攻略に挑んでいる、ということだ。
シエラの顔が暗いままだ。卓上の大好きな甘い飴玉にも手を出さない。
「でも、魔塔攻略に失敗したら?この国もアスロック王国みたいになるんじゃないですか?」
不安そうに尋ねてくるシエラの頭をカティアはよしよしと撫でてやった。
「悪い方に考えてはだめよ。クリフォード殿下もああ見えて本当にお強いのよ?ゴドヴァン様たちも腕利きだからきっと大丈夫」
カティアは微笑んでクリフォード絡まりの記事をシエラに読ませた。一通り読んでみるとセニアに骨抜きだったクリフォードの評判もだいぶ回復していると分かる。好意的な記事が多かった。
「わっ、殿下って凄かったんですね」
紙面に目を向けたまま、シエラが手放しで賞賛する。
(今度はセニア様がクリフォード様に骨抜きかもしれないわね)
強烈な炎の魔術を連発するクリフォードの格好良さは絵として売られているほどだ。ゴシップ雑誌も売上を伸ばそうとよく載せている。
ただ、カティアにとっては心配しつつも目に焼き付いているのは、ゴロツキから自分を守ってくれたシェルダンの鎖鎌だ。
「はぁ、シェルダン様、早く帰って来ないかしら」
ポツリとカティアはこぼした。
魔塔の攻略には何日かかるか分からない。
帰ってきてくれれば退屈することはないはずだ。
「カティアさんがそんな顔するなんて、恋する女の子みたいです」
人を何だと思っているのか。シエラが失礼なことを言う。
シェルダンなら迂闊なことは言わない。腹の中をあまり見せないのだ。
根底にあるのは一族の血を絶やしたくないという思いなのだろう。少し話しただけでも家の中で決められていることがかなりの数あるのだと窺えた。シェルダンはさりげなく一個一個を、真面目に守ろうとしている。
「生き延びるための知恵みたいなものですよ」
かつて、事もなげに笑って告げるシェルダンに凄みを感じた。
千年も続く家系に自分も名を連ねるのだ。
(下手な貴族に嫁いで退屈な人生を送るよりよほど魅力的だわ)
カティアは思いつつ、シェルダンの帰還後にしたいことをあれやこれやと思い浮かべるのであった。自分をじっと離宮の入口から見つめているものがいることにも気付かずに。