52 ドレシアの魔塔〜第3階層2
「隊長、こっちに来ます!」
雷撃を避けている間に横合いに回っていた黒雷羊に気付き、ペイドランが叫ぶ。雷撃には目くらましの意味合いもあったようだ。
「広く急所っぽいところを狙って、飛刀を投げろ!」
雷を纏って突進してくる黒雷羊を見てシェルダンは指示する。
ペイドランが続けざまに飛刀を放つ。
毛のない顔に3本突き立った。あれが急所だ。
「よし」
シェルダンは鎖分銅を思いっきり額に叩きつけてやった。
仕留めるには至らない。それでも、脳天を打つ衝撃に、さしもの黒雷羊の巨体も動きが止まる。
「おらっ」
トドメにゴドヴァンが頭に大剣で斬りかかった。流石にゴドヴァンの馬鹿力で斬りつけられれば黒雷羊とてひとたまりもあるまい、とシェルダンでも思う。
「グオッ」
バチッと激しい音がして、ゴドヴァンの大剣が電撃を受けた。
(まずいな。ゴドヴァン様がやられる)
大剣ごしとはいえ、腕に電撃を受けて痺れたのか。ゴドヴァンが得物の大剣を取り落としてしまう。
さらに黒雷羊がまた考え込むような顔の後、今度は毛の内側に頭部を隠してしまう。
(あぁ、なるほど。もっとまずくなったな)
弱点が消えた。どうにかして毛と雷の防御を抜かなくてはならない。シェルダンは思いつつ、額の汗を拭う。
さて、どうしたものか。さらに全身に雷を纏って転げられると厄介だ。
熱気が肌を打った。
続けざまに火炎球が放たれ、黒雷羊にぶつかる。炎を弾かれてはいても黒雷羊の動きは封じた。
「ゴドヴァン殿、まず一旦退がってくれ」
放つ魔術とは対照的に、涼しい顔をしてクリフォードが指示する。
「そして、セニア殿、シェルダン、ペイドラン3人で前衛を受け持ってくれ。最悪、単純な魔力勝負の消耗戦をやったっていい。階層主と言えども私が勝ってみせよう」
第2階層主イビルツリーとの戦いで自信を得たクリフォードが力強く言い放つ。総大将が気迫を見せてくれると従うほうも気合が入るというもの。
確かにこの姿をずっと見せられ続けていれば、皇帝にしたくもなるかもしれない。
大剣を取り落としたゴドヴァンがルフィナのいる位置にまで退がる。心配顔のルフィナが献身的に治療を開始した。この2人はとっととくっつけばいいのである。
「ん。まずいな」
落ち着いた声音でクリフォードが言う。魔術の切れ目、詠唱と術式展開を再開したところを狙われた。
一段と激しく電撃を生じさせて、黒雷羊が全身を包む。そのまま転がりだした。
(ちぃっ、やっぱりきた)
シェルダンは駆けて転がり、なんとか回避した。相手が大きいだけにギリギリのところだ。
「ペイドラン!どうせ効かない!回避に専念しろ」
飛刀を無駄に投じようとしたペイドランをシェルダンは制止した。小回りが利かないことだけは有り難い。
(しかし、こんなところを他の魔物に襲われれば終わる)
黒雷羊を視界におさめつつ、上空、足下の地面にまで警戒せねばならない。
避けてばかりもいられないのだ。反撃手段を見つけないとジリ貧である。
後衛のクリフォード、ルフィナの方へと黒雷羊が転がっていく。
「くぅっ」
盾でセニアが黒雷羊を受け止めようとし、後ろからゴドヴァンに支えられた。二人がかりでも潰れることを防ぐのが精一杯のようだ。じりっ、じりっと退がってしまう。
(無茶をする)
シェルダンは思いつつ考えを巡らせる。
クリフォードが必死の形相で強大な術式を展開しているが、威力を上げれば上げるほど、セニアとゴドヴァンを巻き添えにする危険があった。
「よし」
倒せないのが問題で、倒せないのは電撃で魔術攻撃を防がれるからだ。意を決してシェルダンは片刃剣を抜き放ち、黒雷羊に斬りかかる。
多少の電撃はリュッグ考案の手袋が防いでくれた。素手のゴドヴァンとは違う。
「ぐうぅっ」
セニアがうめき声を上げる。
シェルダンは片刃剣で黒雷羊の毛を切り払っていく。やがて地肌へと至る。黒雷羊にとっては顔を隠したことが裏目に出た。何が起こっているか分かるまい。
「ペイドラン!」
飛び退いてシェルダンが指示する前に、もう飛刀は投じられていた。連携としてはばっちりだが、少しは自分に当てる心配をしてほしい。
「ヴェエエエエッ」
毛の中で突き立った飛刀の痛み。毛の内で、避雷針のような役割を飛刀が果たしたのだろう。自らの電撃を受けた格好だ。
「セニア殿から離れろっ!」
クリフォードが怒鳴り、強烈な炎魔術を放とうとする。
すかさず、離れたシェルダンやペイドラン、ゴドヴァンに対し、セニアの反応が鈍い。電撃を受けて痺れているようだ。
シェルダンは鎖分銅をセニアの脚にからみつけ、思いっきり引っ張った。
「きゃっ」
短く叫び、セニアもクリフォードの斜線上から退避した。
「よし、ファイアピラーだ」
クリフォードが右腕を振り下ろす。
黒雷羊を丸ごと包み込む巨大な炎柱。
(これは、雷の防御があってもなくても結果は同じだったんじゃないか?)
シェルダンは半ば呆れながら、炎に包まれる黒雷羊を眺める。
「すごい」
唖然として呟くセニアをシェルダンはチラリと一瞥する。
確かに驚嘆するばかりだが、聖騎士セニアまで軽装歩兵の自分と同じでは困るのだ。
「セニアさま、見惚れていないで、閃光矢のご準備を。核を射抜くまで気を抜いてはなりません」
教えごとですらないとシェルダンは思う。
あわててセニアが閃光矢を作る。痺れた両腕には酷かもしれないが、他に出来る人間もいないのだ。
「クリフォード殿下って、本当にお強いんですね」
ペイドランもポツリと呟いた。炎の柱が消えて、焼け跡だけが残る。
灰の中から、黒雷羊の核が姿を表した。拳大の丸い玉だ。
セニアの巨大な閃光矢が核を貫いて砕いた。
青空が広がる。
「あ、危なかった」
セニアがほうっと息を吐く。両腕が痙攣しているようだ。
黒雷羊をゴドヴァンと受け止めた際、盾越しとはいえ雷撃を受けたのだろう。かなりぎりぎりのところだったのだ。
他に魔物がいて、介入されるような状態だったら全滅していたかもしれない。
「いや、面目ねえ。まさか腕を麻痺させられるとはな」
ゴドヴァンが申し訳無さそうに言う。なおもルフィナが心配そうだ。一見してゴドヴァンには既に負傷はないというのに。
この2人は本当にもう、いい加減、とっととくっつけばいいのである。
「目覚ましにはちょうど良かったのではないですか?ドレシアは平和な良い国ですが。どうしても平和は人を鈍らせます」
本当は鈍ってでも平和なほうが良いとシェルダンも思うのだが。また、カティアの顔が浮かぶ。
振り払って、背嚢から予備だが、リュッグ考案の青い手袋を取り出した。
ゴドヴァンもまだ本領発揮とはいかないようだ。最古の魔塔で戦っていた時には、あんな迂闊な斬りつけ方はしていなかった。
「こちらを使ってください。どうやら電気も通しづらいようです」
シェルダンは言いながら、ゴドヴァンに手袋を渡した。
「おぅ、こいつは便利そうだ」
満足げに手袋を嵌めて、拳を握ったり開いたりしてからゴドヴァンが言う。
もともと鎧に籠手に盾、と完全武装しているセニアには必要ないだろう。
「しかし、この魔塔はいよいよ間違いなく瘴気が足りないようですね」
シェルダンは辺りを見回しながら告げる。
美しい青空に緑あふれる草地に変貌していた。
ペイドランに至っては大の字で眠りこけている。
「どういう意味ですか?シェルダン殿」
ルフィナからの治療を受けながらセニアが問う。今度はクリフォードが心配そうだ。
「大したことではありません。階層主は強力ですが、他はそうでもない。魔塔の立場で考えてみることです。先のイビルツリーはともかく、黒雷羊は単体だから勝てたのです」
シェルダンは淡々と説明する。自分の立場で言ってもしょうがないような気もした。
「私たちが強いだけではないのか?」
クリフォードが口を挟んだ。今のクリフォードにならば不思議な説得力がある。確かに素晴らしい火力を持っていて、シェルダンにとっても嬉しい誤算だった。
だが、シェルダンの言いたいことは別だ。
「本当に大したことではないのですよ。ドレシア帝国が善政を敷いてきました。魔塔が一本立ったくらいでは人々が絶望せず、碌に瘴気も集まらなかった。更に手入れまで定期的になされては」
突き詰めればシェルダンが良い国に亡命できた、というだけの話だ。なぜかカティアの顔が浮かぶ。
「今までの良い流れがあるから、わたしたちも助かってるってことね」
ルフィナが頷いた。
「兄上や父上の働きも無駄ではないということか」
感心したようにクリフォードが呟いた。
(むしろ、あなたより働いていたのでは)
思ったがシェルダンも口には出さなかった。
国が悪政を敷いていたとしても、攻略に取り組む者が強ければ帳尻を合わせられるのかもしれない。
(人間の愚かしさの帳尻合わせが、アスロック王国では聖騎士だったということか)
皮肉な思いを抱きつつ、シェルダンはセニアを眺めた。
「本来なら、我々のような侵入者を殺すためにもっといろいろやりたかったのだろうなと」
いろいろと去来する思いの代わりにシェルダンは笑って告げた。
「ただ、もしセニア様がいずれアスロックの魔塔に挑むのなら今回より更に厳しい戦いが待っているのではないかと、そう思わされまして」
レナートの遺したセニアに対して複雑な思いを抱くのも、いずれセニアがアスロックの過酷な魔塔に身を投じてしまうことを予期しているからだ。
(せめて、少しでも腕前を磨き、精神を鍛え、生き延びる可能性を上げることしか私にも出来ないだろう)
苦い思いをシェルダンは噛み締めていた。