51 ドレシアの魔塔〜第3階層1
黒い草地がどこまでも広がる。瘴気の満ちた、くすんだ灰色の空を黒い雲が流れていく。
ドレシアの魔塔第3階層は草地であった。くるぶしぐらいまでの長さの草が生い茂り、どこまでも地表を覆う。
他の皆より一足先に転移魔法陣を抜けたシェルダンは、身を屈めて用心深く辺りを見回す。遮蔽物が何も無い。
(魔物がいれば、まともに戦わざるを得ないが)
他の面々には5分ほど置いてから来るように言ってあった。当然、全身を自前の神聖術オーラで覆っている。
(まぁ、ひどい魔塔は、すぐこの段階で大量の魔物を置いといて、俺を殺しにかかるからな)
最古の魔塔での嫌な記憶を掘り起こす。戦うにせよ逃げるにせよ、皆が来る前に安全を確保しておかなくてはならない。
「魔物がいないか少ないか」
節をつけてシェルダンは一人、呟いた。
遮蔽物の少ない視界にあって、一匹の魔物も見当たらない。
遅れてクリフォードたち5人も姿を見せた。全員、金色の光オーラを身に纏っている。
「今回も随分開けた場所ね、助かるわ」
ルフィナが周囲を見回し、満足げに頷いた。密林や川の中州などということも起こりうる環境だ。
第2階層を経て、気の回るようになったペイドランが天幕の設営に取り掛かった。
「また、シェルダン殿に階層主を探してもらうのですね」
少し後ろめたそうにセニアが言う。
見当違いな反省にはうんざりさせられる。押し付けられたわけでもなければ、好きでしているわけでもない。
「その方が効率的ですから」
シェルダンは言うに留め、ペイドランとともに天幕の設営に取り掛かろうとする。
「ちょっと待て」
声を上げて制止したのはゴドヴァンだった。
遠くの一点にじっと目を凝らしている。
「あそこにいるの、階層主じやねえか?」
言われても何も見えないのである。呆れるほどの視力だ。
シェルダンは他の面々を窺う。セニアやクリフォード、分隊一の視力を誇るペイドランも反応は同じだ。ゴドヴァンの言う方角を見て首を傾げている。
「全くあなたは。皆があなたと同じ、バカみたいな視力を持っているわけではないのよ?」
ルフィナが咎めるように言い、ペチペチと幅広の背中を叩く。ただし向ける眼差しは愛おしげで、賞賛している。
「あ、あぁ、そうだよな」
照れくさそうにゴドヴァンも笑う。
この二人はとっととくっつけば良いのである。
うんざりしてシェルダンはため息をつく。
「隊長、御二人がこんなに幸せそうで、俺、嬉しいです」
荒んだところのない、まだ素直なペイドランがまるで自分のことのように言う。
むしろ、うんざりしている自分のほうが、この場では少数派であることをシェルダンは思い知る。クリフォードもセニアも微笑ましいものを見る顔だ。
間違っているのは自分の方なのだろうか。
「あっちの方に、黒くてデカい魔物がいる。階層主じゃないかと思う」
ゴドヴァンが指差してくれるも、かなり遠くのようで全く見えない。
本当に階層主を見つけたのであれば、わざわざ探索に出る必要もなかった。
ペイドランと2人、設置しかけた天幕を畳む。
「ゴドヴァン様は階層主を見失わないようにお願いします。このまま6人で接近し、討伐するとしましょう」
階層主発見のための単独行動もしたくてしているわけではない。しなくとも良いならその方が、シェルダンにとっても安全だ。
楽しそうに頷いたゴドヴァンを先頭にして進む。
「他に魔物は見当たりませんか?」
シェルダンはゴドヴァンの隣に立って尋ねた。
見渡す限りの草地だ。階層主はおろか、他の魔物も見当たらない。
「あぁ、いねぇな」
ゴドヴァンがじっと一点を凝視したまま答える。身体能力だけを見ればゴドヴァンのほうが斥候には向いているぐらいかもしれない。
(神聖術オーラの有無、戦力として温存する判断、隠れられるかどうか。最悪、俺なら捨て駒でも良いし)
シェルダンは自身が探索をする合理性を確認する。
「第1階層も第2も、あんまりきつくなかったからな」
さらにゴドヴァンが言う。物足りない、という表情をありありと浮かべている。
運や相性もある、とシェルダンは思った。
特に第2階層のイビルツリーには、クリフォードがいなければかなり手こずったはずだ。
話しながら移動する。近づいたことで少しずつシェルダンにも階層主が見えてきた。最初は黒い点だったが、黒い雲と見間違うような巨大な黒い羊だ。おおむね5ケルド(約10メートル)くらいはある。
(黒雷羊か。あれが階層主で間違いないだろうな)
シェルダンは本で見た記憶を手繰った。確かかなり手強い魔物と書いてあった気がする。
まだこちらには気付いていないようだ。丈の短い草を時折食んでいた。悠然とした余裕さえも感じる。
「どうする?」
ゴドヴァンがニヤリと笑ってシェルダンに尋ねてくる。
身分が一番下の自分に判断を委ねないでほしい。
「私が炎を使おうか、シェルダン。いかにも燃えそうな身体ではないか」
クリフォードが得意気に口を挟んできた。
燃やしたいなら勝手に燃やせば良いのである。
(ご自身の服装と私の軍服を見比べてほしいものだ)
赤地に金の縁取りがなされた豪奢なローブ姿のクリフォードに対し、黄土色の軍服にキャップ帽子のシェルダン。どちらの立場が上か、一目瞭然だ。
「確かに有効かもしれません」
うんざりしつつもシェルダンは頷いた。
判断自体は悪くない。イビルツリー戦で見せた射程と火力であれば、ここでも労せずして階層主を撃破できる。大事なのは結果だ。極論、クリフォード1人で魔塔攻略が成るならばそれはそれで良いのである。
「ただイビルツリーなどと違い、動けますので反撃してくる可能性もあります。ゴドヴァン様、セニア様にしっかりと前を張っていただきましょう」
シェルダンの言葉に皆が頷いた。
先頭にゴドヴァンとセニア、最後尾にクリフォードとルフィナ。自分とペイドランが中間に位置する。
中空に赤い円陣と複雑怪奇な紋様が浮かぶ。
前回よりも大きく熱気も強い。
「今回はあわよくば貫いてくれる。ファイヤーアローだ」
クリフォードが掲げた右手を振り下ろす。
セニアの巨大な閃光矢にも勝るとも劣らない、巨大な炎の矢が魔法陣より生じる。
50ケルド(約100メートル)は離れているであろう黒雷羊に向けて真っ直ぐに飛んでいく。
「何?」
クリフォードが声を上げた。
熱気に気付き、草を食むのを止めて、顔を上げた黒雷羊。雷の網が全身を覆う。ほとばしる電撃が、炎の矢を弾き飛ばした。どうやら魔力を有しているらしい。
一見して、特に魔術に対する防御力に優れているようだ。
黒雷羊が無機質な目で自分たちを眺める。まだかなりの距離があるが、何か考えているような顔だ。
バチバチと音がして、黒雷羊の鼻先に雷の球が生じる。
「全員、避けて!」
セニアが鋭く叫ぶ。
鞭のようにしなる雷が襲いかかってくる。
「ちっ」
手袋をかすめるも直撃をシェルダンはなんとか避けた。
前衛として盾で受け止めたセニアの働きもあって、動きの鈍いクリフォードやルフィナも無事である。
黒雷羊、羊毛に含む電力と保有する魔力を利用し雷魔術を使う魔物であることは知っていた。が、相手取るのは当然、シェルダンも初めてだ。
(強いな)
思いつつシェルダンは鎖鎌を手に取った。
しかし、ふわふわの毛に鎖分銅が効くとも思えない。迂闊に投じて分銅が毛の中に入ろうものなら、鎖を伝って感電死する恐れすらあった。そんな間抜けな死に方はごめんだ。
(さて、どうするか)
鎖を回しながらシェルダンは考えを巡らせるのだった。