49 ドレシアの魔塔〜第2階層2
口には出さず、シェルダンは丘の下を指差してペイドランにも敵の存在を報せた。
ペイドランが口元を押さえて目を瞠る。
丘の下、斜面の底に禍々しい紫色の巨木がうねうねと蠢いていた。10ケルド(約20メートル)は高さがあるだろうか。葉も実も枝についていない。枝と幹と根だけ、木肌のみの姿をした魔物だ。
半円状の斜面に囲まれたすり鉢の底のような場所。
ちょうど丘の反対側でクロヘラヅノが1頭、斜面に足を取られて滑り落ちていく。落ちた先で大木の枝に囚われて取って食われてしまう。
シェルダンとペイドランは気づかれる前にその場を離れた。どこまでが敵の射程かも分からない。足の下から根に襲われるなど考えるだけでもおぞましかった。
(まずいな、イビルツリー、植物型か)
シェルダンは背中に嫌な汗をかいていた。植物型には急所がない。その代わり移動をしないという弱点もあるが。幹の真ん中に顔のような部位はあるものの、動物の顔とも違うのだろう。
自分が戦力になれないと、分かりきっている敵の出現は嫌なものだ。
「まぁ、まだ第2階層だ。油を取ってきて燃やせばいいか」
シェルダンは独り言をこぼし、考えを巡らせる。
斜面が砂地なので、油を流しても染み込んでしまう。樽を転がせば良い。転がり落ちたところで、餌と間違えて食おうとするだろう。そこへ火を放つのだ。
ペイドランがふうっと息を吐いた。続けざまに飛刀を放って進行方向上の脚長猿2匹を倒している。幾分かは、魔塔上層の環境に慣れたようだ。若いだけに順応が早い。
「飛刀の残りは大丈夫か?」
シェルダンは鎖鎌を手に持ったまま尋ねる。帰りはまっすぐに天幕を目指す。行きよりも帰りのほうが早くなる。
軍服の上からペイドランは剣帯をたすき掛けにしていた。手の甲におさまるぐらいの短い剣が100本ほどおさめられていたのだが、すでに半分以上、使ってしまっている。まだ第2階層なのだ。
「あと1000本ぐらい、ゴドヴァン様に預かってもらってますから。まだまだ大丈夫です」
しれっと落ち着いてペイドランが答える。実際は目に見える十倍持っているのだった。
(さすがに心配のし過ぎか)
シェルダンは苦笑いである。
ペイドランとやり取りをしている間に天幕が見えてきた。
傍らには光り輝く巨漢が立っている。ゴドヴァンだろう。大剣も見える。
脚長猿の死体が幾つか転がっていた。シェルダンにとっては見慣れた光景だ。最古の魔塔でもよくゴドヴァンに拠点となる天幕を守ってもらっていた。
「よぉ、戻ったか。どうだった?」
抜き身の大剣を肩に担いでゴドヴァンが尋ねてきた。戦うのが楽しくてしょうがないのか、ニヤケ顔だ。
「魔塔の環境としては軽いぐらいでしょう。ただ、階層主を見つけ出したのですが、厄介な相手ですよ」
シェルダンは端的に報告した。注意を要する仕事であったため、いささか疲労を覚える。
「イビルツリー、という植物型の魔物です。油で燃やすぐらいしか、対処する術を私は思いつきません」
天幕の入り口をめくりながら、シェルダンは言った。
「分かった。中にいる殿下やルフィナ、セニア嬢にも知らせてやれ」
ゴドヴァンが外に残り、引き続き外の警護を続けてくれるらしい。休憩も兼ねて、シェルダンはペイドランとともに天幕の中へと入る。
魔塔の中では時間の感覚が狂いがちになる。昼と夜の切り替わりがないからだ。
それでもものの数時間しか探索に要しなかった、と身体の感覚で分かる。かなり早い方であり、幸運ではあった。
天幕の中では入って一番奥でセニアが瞑想し、ルフィナとクリフォードがぼんやりと座っている。
「失礼します」
ペイドランが誰もいない空いた場所にごろんと横たわり大の字になった。部下の遠慮のない行為にシェルダンはついヒヤリとしてしまう。
ちらちらとペイドランを気にしつつ、シェルダンは事の次第を報告した。
「確かにシェルダンは凄いんだな。無事に戻った上、もう階層主を見つけたのか」
感心した顔でクリフォードが言う。
シェルダンは顔をしかめた。
「殿下、こればかりは運です。もっと時を要することのほうが多く、一方でもっと早いこともありえるのです」
つまり、『どうなるのかは分からないので、決めつけたり当てにしたりしないでくれ』ということだ。
最古の魔塔で共闘し十分に分かっているルフィナが苦笑している。
「では」
セニアが目を開いた。そして剣を持って立ち上がる。
「これから階層主を討ちにいくのですね」
オーラを皆に付与する法力を常に保つため、セニアの消耗は極力抑えなくてはならない。張り切りすぎて疲弊されては困るのだ。
「そのことですが、階層主はイビルツリーという植物型の魔物です。ゴドヴァン様やセニア様の剣も、私の鎖鎌も効きづらい相手です」
自分はさぞや今、苦々しい顔をしているだろう、とシェルダンは思っていた。
イビルツリーと血の気の多いセニアの二重苦である。
「私の閃光矢ではダメですか?」
セニアが遠慮がちに言う。覚えたての技を使いたがるなど、遠慮がちなのは態度だけだが。
「あなたがレナート様なら神聖術を頼る場面ですね」
自分でも意地の悪い言い方だとシェルダン自身も思う。
実力が足りないのに戦おうとするセニアの焦りがどうしても煩わしいのだ。カティアの影響もあるかもしれない。
「まだセニア様の技では一点を射抜くのみですから。五体満足の相手には効果が薄いのです。使える技が増えるまで、耐えてください」
ため息をついて、シェルダンは自らの発言を補足した。
レナートがかつて使った光刃や光線系の神聖術ならば、力押しも利くのだが。
「そうですか」
セニアが俯き、考え込んでしまう。落ち込んでもいるようだ。
攻めの組み立てが必要な相手である。幹や枝を削っていき、閃光矢で核を射抜くのが一番、分かりやすい倒し方だ。
「油でも撒いて燃やしちまうか?」
天幕の外からゴドヴァンが口を挟んでくる。布一枚で隔てているだけだから、聞き耳を立てなくとも聞こえてしまうのだろう。
「まぁ、あなたはいっつも、乱暴ね。もうっ」
適切なことを言ったのに、ゴドヴァンがルフィナに叱られている。日頃の行い、というやつのせいだ。
「私もそう考えていたのですがね。相手は魔物、遠慮はいらないでしょう」
シェルダンもルフィナに取りなすように告げる。
「あら」
ルフィナが頬を赤らめて決まり悪そうにしている。
ペイドランがいびきをかき始めた。いつも見ているが、休むときは大の字にならないと気が済まないらしい。
「一旦、陣営のある第1階層か、ルベントの街に戻って油の樽をとってきましょう」
シェルダンは一同を見回して提案する。
クリフォード以外は納得した様子だ。1人、クリフォードだけが腑に落ちない顔をしている。