48 ドレシアの魔塔〜第2階層1
天井は曇り空、まばらに灌木の生えている荒れ地。ドレシア帝国の魔塔、第2階層である。
(思っていたほど、瘴気はきつくない、な)
シェルダンは鎖鎌を振り回し、周辺にいた脚長猿2匹を鎖分銅で瞬時に撃ち倒した。後ろ脚の長い猿の魔物であり、鋭い爪と牙を武器にしている。ウルフより手強く、ボアと同程度の強さだ。跳躍して一気に距離を詰めてくるので油断ならない。酷いときには視界の外から急にあらわれる。
遅れてセニアたちも姿をあらわす。みな、金色の光、オーラを身に纏っている。眩しい一団だ。
「ここが第2階層」
セニアが辺りを見回してつぶやく。手にしている抜き身の長剣は、聖剣には劣るが名のある業物だ。自分やペイドランの支給品の片刃剣とは刃の輝きからして違う。
シェルダンはペイドランにも手伝わせながら天幕の設営に取り掛かった。設置し終えると、今度は香木に火を点けて香を焚きこめる。ただの香木ではない。聖教会が聖地ランゲルに生える木から作った香木であり、瘴気を払う効果を持つ。
魔塔攻略の必需品であり、オーラの代わりとなる。セニアの法力が尽きた場合に備えて一人一本ずつ携行し、加えて多量の備蓄をゴドヴァンが持つこととした。
他にもゴドヴァンには兵糧や飲水といった必需品を持ってもらっている。
「私とペイドランで偵察に出て、ここの階層主の居場所を探ります。皆様は天幕の中で体力を温存してください」
シェルダンは一同に告げた。セニアやクリフォードが何か言いたげであったが、ゴドヴァンもルフィナも何も言わないので沈黙を守る。
緊張しているペイドランを連れて、シェルダンは第2階層の索敵へと出た。
第1階層とは違い、第2階層より上では、階層主と呼ばれる強力な魔物を倒し、その核を破壊しない限り、上層への転送魔法陣が出現しない。
階層主がいるのは大概、その階層の最奥であるが、どこをもって最奥と言うべきかも難しい。きちんと調べ、記録を取りながら探し回るしかないのだ。
「隊長」
灌木の陰に隠れて少しずつ先へと進む中、ペイドランがシェルダンに呼びかけた。囁くような独特の話し方である。密偵としての生活の中で身につけた技術なのだろう。
「なぜ、オーラという神聖術を隊長も使えるんですか?」
いつ敵が来るかも分からない中で尋ねてくるなど、よほど疑問に感じていたらしい。ペイドラン自身も実は肝が太いということもある。
「伊達に、うちの家系は1000年も続いていない。ごくごく薄く、俺にも聖騎士の血が入っているんだよ」
驚くペイドランにシェルダンは苦笑を見せた。
オーラは神聖術だ。神聖術を用いるのには法力が必要である。法力を有するのは聖騎士の家系に連なるものだけ。何年も続いていれば、聖騎士の系譜にも身持ちの悪い女性が1人ぐらいは現れる。
7世代前の先祖のときに、身持ちの悪さを理由に勘当された聖騎士の息女がいたらしい。すかさず、そのご先祖は言い寄り口説いて妻にしたのだ、と記録に残っている。
「といっても、オーラを自分にかけるくらいの法力しかないんだかな。もう一度言うが、極めて薄い血だよ」
魔力を持つものがビーズリー家にしばしば生まれるのも似たような理由だ。珍しい血を入れることに先祖はいたく執着していたことが記録から窺える。
微弱とはいえ、魔力と法力の両方を持って生まれた自分は恵まれている方なのだろう。だからこそ、余計な色気を出してしまったのだが。
「それでゴドヴァン様やルフィナ様は隊長を」
呟くペイドランをシェルダンは手振りで黙らせた。
自分で鎖分銅を使い、離れた距離にいる脚長猿を仕留める。もう一匹いた。そちらは跳びかかってくるところを、ペイドランが飛刀で仕留める。
「2人でいることの意味を覚えろ。どうしても一人だと生じる死角を減らすように、考えて動け」
シェルダンは周囲に気を配ったまま、ペイドランに告げる。
幸い、第2階層は見晴らしが良く、遮蔽物も少ない。
(この環境で脚長猿だけならば、かなり楽なんだが)
シェルダンは灌木の陰でオーラを自らにかけ直す。
脚長猿も本来、森など視界の悪い環境で力を発揮する魔物だ。瘴気が足りていない故、生息する魔物にとって十全の環境を魔塔が作れずにいるのだろう。
更に2人で進む。いざというときのためにシェルダンも香木を1つ携行している。ただ出来れば自分のためではなく、オーラを使えないペイドランのため残しておいてやりたいところだ。
「隊長、あれは?」
ペイドランが大型の魔物に気付いた。
巨大な枝分かれした角を持つ漆黒の鹿だ。体高は2ケルド(約4メートル)にも及ぶ。灌木の間を悠々と闊歩している。まだ、こちらに気付いている様子はない。
「クロヘラヅノだ。あれは脚を狙って動きを止める」
シェルダンは言いながら、飛びつこうとしてきた脚長猿の喉を鎌で切り裂いた。
(まったく、油断も隙もない)
忌々しく思いつつ、シェルダンは鎖鎌を回す。独特の風を切る音にクロヘラヅノが気付いた。
自分とペイドランをめがけて一直線に突っ込んでくる。圧力と迫力が凄まじい。
「脚の付け根を狙え」
シェルダンは短く指示を出す。
ペイドランが指示通りに、脚の付け根を目掛けて数本の飛刀を放つ。数本が突き立って血がにじむ中、一際、深く刺さっていると思しき右の前脚を狙って、シェルダンは鎖を巻き付けた。魔力による身体能力を総動員して思いっきり引く。
バランスを崩して、クロヘラヅノが右前脚を折って転倒する。
「接近すると角でやられるからな。喉か目に飛刀を叩き込んでおけ」
シェルダンはペイドランに告げる。無力化できれば十分なのだ。
ペイドランが言ったとおりにしたのを確認して、シェルダンは先へと進む。
ドレシアの魔塔も血の流れる魔物が多くて助かる、とシェルダンは思っていた。
(その辺は最古の魔塔と一緒だな)
スケルトンやゾンビといった怪奇系の魔物が多い魔塔も存在する。シェルダンにとっては相性の悪い魔塔だ。
魔塔最上階にいる階層主の個性に依るのだろう。
途中、シェルダンはノートと鉛筆を取り出して、おおよその見取り図や遭遇した魔物の記録を録った。
「そんな準備まで」
唖然とした顔でペイドランが呟いた。
「俺が死んだらお前が全部やるんだ。次の階層からはお前も記録をとれ」
シェルダンは言いながら、予備のノートと鉛筆をペイドランに渡してやった。
「いえ、この階からやります」
ペイドランがきゅっと唇を引き結んで自分なりに書き始めた。良い心がけである。
先へ進むに連れて、めっきりと魔物に遭遇する頻度が減っていく。
「気をつけろよ、嫌な兆候だ」
シェルダンはペイドランに注意をうながす。
すっとペイドランが近づいてくる。
「どういう兆候ですか?」
一つ一つ知識として確認がしたいらしい。先の地形の記録をすぐ始めたことといい、良い積極性だ。シェルダンがどうのというより、とにかく生き延びたいのだろう。
「階層主も、何もしないでいるわけじゃない。まぁ、例外もいるが、大概、うろつきまわって他の魔物を襲って食うんだ」
シェルダンは言い、辺りを見回す。耳も澄ませて集中する。五感を総動員してなお、運が悪ければ命を落とす。そんな環境だ。
「つまり、魔物と出会わなくなったら、階層主が近いかもしれん。用心しろ、ということだ」
シェルダンの言葉に、ペイドランが素直に頷いた。
地形の記録に視線を落とす。魔塔の中では東西南北の方角も分からない。いつもシェルダンは、始まりの転移魔法陣を中心に円形を作り、ゼロから11に分けて記すようにしていた。調べた結果、その階層が円形でなかったなら、隅を書き換えればいいだけだ。
今は3の方角の位置にいる。
ペイドランが何かを感じたのか一気に緊張した面持ちとなった。対してシェルダンのほうは何も感じない。
2人でゆっくりと灌木に身を潜めながら進む。
(おっと)
かろうじて口に出さずに済んだ。
一歩先から斜面となり、迂闊に踏み出したら滑り落ちていた。小高い丘のような地勢である。地面の色も景色もほぼ均一なので接近しないと気付けない。
(あれだな)