47 ドレシアの魔塔〜第1階層2
「さて、始めるか」
シェルダンは言い、ペイドランに木彫りの面を渡して着けさせた。適当に購入した木の地肌そのままのもので、目と口に穴が開けられているが、ぱっと見ると不可解な人間の顔に見えるのが気に入った。
ペイドランと2人、設営した陣地で人の間を塗って陣の外側を目指して駆ける。陣地の内側から外側へ外縁の最前線に至り、ウルフを斬り倒す。更に制止の声を振り切った。
森に突っ込み奥へと進む。
時折、蝙蝠や小鳥の魔物が飛び出して、噛みつこうとしたりつつこうとしたりしてくる。ことごとく、リュッグ考案の手袋で防いでから剣で仕留めてやった。小さな負傷に苛立たされることもない。
「ペイドラン、少し止まれ」
シェルダンは立ち止まり、部下を制止した。
大人しくペイドランも立ち止まる。どこか集中しておらず心ここにあらず、といった状態だ。このまま進むのはペイドランにとって危険だと思えた。
「どうした?何か気にかかることがあるなら、今のうちに言え」
シェルダンに言われて、ペイドランが木彫りの面を外した。もう近くに味方の兵士はいない。着けている意味もないのでシェルダンも外した。
「なんで俺、一緒に魔塔へ上がらなくちゃいけないんですか?やっぱり密偵してた罰ですか?」
ペイドランの青みがかった瞳に涙が滲んでいる。
思ってもみなかった言葉にシェルダンは驚き、続けてペイドランの意向を一切気にかけずここまで来てしまったことに思い至った。
心の底から反省する。
「すまん、ペイドラン。罰のつもりはない。密偵だったことに、何ら含むところもない」
シェルダンはまず謝罪した。誤解を解かなくてはならない。
「じゃあ、なんで?俺にだって可愛い妹います。シエラって言うんです。まだ13歳で。でも身寄りなんか俺たちお互いしかいなくて。俺が死んだらあいつ、一人ぼっちです」
言いながら堪えきれずに涙を流し始めた部下の肩に、シェルダンはポン、と手を置いた。
「大丈夫だ、ペイドラン。俺が死なせない。安心しろ」
まだ若干16歳のペイドランである。腕は立つがまだ子供だと忘れてはいけなかった。
「俺も思うところがいろいろあって、お前への説明が足りなかった。悪かった」
シェルダンはもう一度謝りながら、頭の中で考えをまとめた。
「俺がお前に目をつけたのは、俺に子供がいないからだ」
切り出したシェルダンの言葉に、理解できない、という表情をペイドランが浮かべる。
「俺の家系、血筋は千年続いてきた。それは知識と経験も受け継いできた、ということだ」
構わずシェルダンは説明を続ける。全部が全部、ペイドランに理解してもらえるようなことではないだろう。それでも、第1階層のうちに話しておけるのは悪くない。
「特に今回のように戦死するかもしれん戦いでは、知識と経験だけでも誰かに伝えておけ、と家の決まりで言われている」
大概の祖先は、こういった保険をかける必要もなく、早めに結婚して子をなしていたらしい。万一のために、と定められていた家法である。
ようやくシェルダンの意図を理解したペイドランが驚きで目を瞠った。
「その誰かに俺はお前を選んだ。お前には法力も魔力もないが、密偵をしていただけあって、身体能力が高くて判断力もある。実地で指導しながら仕込むのには最適の人材だ」
更には飛刀の技術もあり、気配を消すなどのおまけつきである。シェルダンは自らの判断に改めて満足して頷いた。なぜかペイドランのほうは嫌そうだが。
「じゃあ、隊長とカティアさんの間に子供がいたら?」
ペイドランもペイドランで随分気の早いことを言う。自分とカティアは結婚もしていないのである。
「当然、こんな無茶はしなかったな。俺一人で参戦しただろう」
シェルダンは思うところはあれ、また照れ臭くもあるのだが、きちんと回答してやった。
ペイドランががっくりと肩を落とす。
「つまり、この戦いでは、お前は俺の弟のようなものだ。絶対に死なせるわけにはいかん。面倒は見てやるから気負わずについてきてほしい」
むろん、シェルダンとてカティアとのこともあり、死ぬつもりはないのだが、決まりは決まりで保険は保険である。
(それにここでペイドランが使えるとなれば俺への圧力もなくなるかもしれん)
結局、自分のためにペイドランをシェルダンは付き合わせているのである。だから、本当は密偵をしていたせいと言われればそうなのかもしれない。
「とんだ貧乏くじじゃないですか。シエラ、お兄ちゃん、もうダメかもしれない」
ペイドランが肩を落としたまま言う。泣きそうだ。
「まぁ、そのシエラちゃんも妹のようなものだ。悪いようにはしない、安心しろ」
シェルダンは心から告げた。ペイドランにとっても魔塔の中ですら戦える手法を学べるのは悪いことではないはずだ。
「隊長、もう、良いです。いま、諦めましたから」
ペイドランがしばしグズグズしてから、顔を上げた。よし、とばかりに両手で顔を挟んで気合いを入れる。
話は決まった。やる気があるのは良いことだ。
2人で更に第1階層の奥を目指す。
「隊長、あの赤い光は?」
片刃剣でウルフを切り倒しつつペイドランが尋ねた。
「あれか。第2階層への転移魔法陣から出てる光だな。目的地はあそこだ。よく見つけてくれた」
シェルダンも木々の向こうに立ち上る赤い光に気づいて答えた。光を視認できるのだからかなり近いということだ。
少しずつ焼け焦げた魔物の死体や斬り倒されたものが、森の中、目立つようになってきた。先を行くクリフォードたちの作ったものだろう。
かなり目的地に近づいていることの、もう一つの証拠だ。
「っ!」
ペイドランが続けざまに飛刀を放つ。
藪の向こうにボアがいた。ボアの目、鼻、首にペイドランの放った飛刀が突き立つ。重たい音ともにボアが横倒しになる。
「やるな」
シェルダンは声に出して褒めてやる。
思ったとおりで腕が立つ。通常の剣技はともかく、飛刀の精度、威力は急所を狙い撃って、強敵と渡り合えるだけのものがあった。
近づくとかえって、樹木に遮られて光が一旦見えなくなる。
「よぉ」
ぬっと木の陰からゴドヴァンが姿をあらわした。
大剣を抜き身で担いでいて、すぐそばには両断されたサーペントの死体が転がっている。
ルフィナにセニア、クリフォードも一緒だった。
「よく来てくれました、2人共。ありがとうございます」
白銀の鎧を身に纏ったセニアが柔らかく微笑んで告げる。背中には大盾を背負っていた。
どうやら自分とペイドランを待ち受けていたらしい。
「金に、ペイドランに、存在の秘匿。この3つを呑んで頂けないなら、今すぐにでも帰りますがね」
意図して硬い声を作り、シェルダンは告げた。
「それは力を貸してくれるのなら、必ず保証する。だから思う存分に、力を発揮してくれ」
クリフォードがはっきりと確約した。口約束だが皇族の、口約束である。違えることもないだろう。
万一、自分が死ねば、後にはカティアと両親が残されることとなる。3人のことを思えば、金ぐらいは残して死にたい。
6人で転移魔法陣のある、森の中の開けた場所に到着した。赤い光はどこまでも上っているかのように見える。
「では、セニア様、私以外の全員にオーラを」
神聖術のオーラは邪を払い、状態異常を防いでくれる。一方で、瘴気を防ぐ障壁の役目にもなるのだ。瘴気の濃い第2階層より上では必須の技である。
セニアが頷き、法力を発揮して金色の光と成す。自らを覆う溢れんばかりの光を対象の仲間に触れることで分け与えていく。
教練書通りにきっちりとこなしていくセニアを見て、シェルダンは頷いた。
「第2階層より上は瘴気の濃い環境ですから。あらかじめオーラをかけるのです」
瘴気に蝕まれると、身体と精神がまともには働かなくなる。
シェルダンの説明にクリフォードとセニアが頷く。ゴドヴァン、ルフィナの2人はもともと知っていたことだ。
問題なくシェルダン以外の4人にセニアがオーラの光を分け与える。光の量からして持続可能な時間は数時間だろうか。
「しかし、シェルダン殿は?まさか、また残るとでも?」
セニアが訝しげに問うてくる。
この期に及んで見くびられたものだ。
シェルダンは人差し指を立てて、口元に当てる。呟いた。
「オーラ」
シェルダンの全身を金色の光が包む。
呆気にとられるセニア、クリフォード、ペイドランの3人に対し、ゴドヴァンとルフィナが笑っている。
シェルダンは5人の反応を無視して、魔法陣へと足を踏み入れる。上着をたくし上げて、鎖鎌を解くことも忘れない。
魔法陣の向こう側がすぐ魔物の巣窟ということもありえるのだ。
参加するからには、先陣切っての偵察も仕事に含まれるとシェルダンは思っていた。