45 魔塔攻略前夜
休暇6日目、最終日、シェルダンは考えることがありすぎて、夕刻になってなお、軍営の執務室にてぼんやりとしていた。
明日には分隊を率いて、他の部隊とともに魔塔へ向かわなくてはならない。
鎖鎌から始めて、持っていく装備や道具を順次点検していく。
ゴドヴァンとルフィナがわざわざ自分に接触してきたことも予想外だった。
(レナート様が亡くなり、我々の縁はあれっきり、と思っていたが。まぁ、変な封書やら教練書やらを寄越してきてはいたが)
偽名を使って、ドレシア帝国へ自分より何年も前に亡命したことは知っていた。高い身分を再び得たことも。結婚したなら内心でだけ祝ってやろうと、ゴシップ記事を追うようになったのだ。なまじ2人を知っているだけに、面白おかしく書かれた記事が本当に面白かった。
(そしてあいつは。新兵のはずなのに、優秀過ぎたからな)
ペイドランについても、密偵だと気づいてはいたが、まさか自分の動静を探るためにつけられているとは、知る術もなかったのだ。
ノックの音がした。
「隊長」
遠慮がちにカディスの声が呼びかけてくる。
来る予定など聞いていない。
「どうした?」
隠せぬ動揺を声に滲ませて、シェルダンは問う。
「いえ、姉がどうしても会いたいと、今もここに」
カディス自身、戸惑いながらカティアをここへ連れてきたようだ。
「入ってくれ」
シェルダンは自ら扉へ歩み寄り開けた。
白いレースの襟があしらわれたブラウスに、同色のロングスカートという出で立ちのカティアと、紺色のシャツとズボン姿のカディスが並んで立っている。
昨日の今日だ。気まずさとともに、しばしカティアと見つめ合う。
「では、私はこれで」
そそくさと逃げるようにカディスが去っていく。気を使ってくれたのだと分かるが、姉を連れてくるだけ連れてきておいて逃げるとは、何事だとも思う。
「ごめんなさい。カディスに無理を言って、押しかけてしまって」
カティアがまず優雅に頭を下げた。弟が副官であることを利用したのを恥ずかしいと言う。カティアらしい奥ゆかしさだとシェルダンは感じた。
「いぇ、お会いできて、嬉しいですよ。まずお掛けください」
どう女性をもてなしたらいいのかもシェルダンには分からない。ましてやここは味気ない、軍の執務室なのだ。
入口近くにはテーブルを挟んで一対のソファが置いてある。カティアに片側へかけてもらい、自らも対面に座った。
カティアが興味深そうに執務室を見回す。自分の執務室には、机と椅子、書棚とロッカーくらいしか置いていない。机の上にはポーチの3つ付いた帯革が置きっぱなしだ。
「すいません、このような場所で」
シェルダンは心苦しく思い、頭を下げた。カティアのような優雅な女性にはつくづく似つかわしくない空間だと感じた。
「押しかけたのは私の方ですから。ホントに無駄がなくて、シェルダン様らしいお部屋」
なぜか書棚を占領しているゴシップ誌を見てカティアが告げる。この部屋で1番無駄なものの筈だ。
「えぇ、あるとしても、本当に欲しい物しか周りに置かない人なんだな、と思って」
微笑んで、カティアが自らの説明を補足する。
「それでカティア殿。今日いらした用件は、魔塔攻略の件ですか?結局、私は第2階層より上へ行くこととなりそうですから」
何かいたたまれないような気持ちになって、シェルダンから話を向けた。切迫した口調でかつて、上らないでほしいとカティアからは言われている。
「そうですわね。そう、確かにそうなのだけど。結局、私のすることは変わらないんだわ、と思って」
カティアがじっと正面からシェルダンを見据えて告げる。
「あなたの無事を祈って待つこと、信じること」
言葉にカティアの気持ちが溢れている。
「それを仰って下さりに?私は嬉しいですが」
思いを寄せられて、言葉をかけられて、嬉しくないはずがない。シェルダンは美しいカティアの顔に見入ってしまう。
「えぇ、ただ、シェルダン様は今、考えて選択できる立場にいるわけでしょう?選べれば迷う。迷うのが1番危険ではなくて?」
カティアの言うとおりではあった。迷いは判断の誤り、ひいては死を招くこととなる。
「全部、今日のうちに全部、あなたを迷わせるものを私には仰って。そしてどういう選択をシェルダン様がなさるとしても私は受け入れて。あなたを信じて待ちますから。それが私にできる、シェルダン様への最善なのだわ」
兵士でも戦士でもないカティアにシェルダンは気圧された。まるで心を決めたことによる強さを実際に見せつけられているようで。自分が惹かれたのはカティアのこの、人としての強さなのだと思う。
「少し長く、まとまりもない話なのですが」
切り出すシェルダンに、こくりとカティアが頷いた。
「まずもって、私にとってセニア様は、命の借りがある、先代聖騎士レナート様のご息女ですから。なかなか無碍にはできないのですよ」
シェルダンは昔を思い出して告げる。あのとき、レナート達を見捨てていれば一切負うことのなかった、心理的借財だ。
「女性としては見てないのよね?」
悋気を感じさせる口調でカティアが問う。
「えぇ、全く。そういう目では一切見られません。ひと目見たときからカティア殿に。あ、この人しか私にはいないと」
いきなり尋ねられて、ついシェルダンも無防備に答えてしまう。自分の思いを吐き出すばかりと思っていたので完全に虚をつかれた格好だ。
「もうっ、お上手なんだから」
カティアが頬を赤らめてうつむいた。自分から、話を逸しておいて随分である。
「私がかつて、国を出る際にセニア様を助けたのは、アスロック王国に愛想を尽かしていたからだけではなく、レナート様への借りを返すためでもあったのです」
シェルダンはとりあえず話を戻した。
「そしてシェルダン様はセニア様を助けた。それでもう、おしまいで良いのではなくって?」
カティアとしては複雑な気分なのかもしれない。シェルダンにセニアと関わってほしくないような様子なのだが。そもそもセニアの手配した商隊をシェルダンが助けたことが、お互いに知り合うきっかけだったのだから。おしまいにしていたら、2人は出会えなかったのである。
「そう思っていたのですがね。また会ってしまうといろいろ気遣ってしまうものなのですよ」
シェルダンは自分でも割り切れずにいることを告げた。
ゴドヴァンが教練書をシェルダンに渡させたのも、セニアとレナートのことを忘れさせないためなのだ、と今となってはよく分かる。自分としてはただ面倒だとばかり感じていたのだが。
実際は過去のしがらみを引きちぎれないでいる。だから面倒事を呼び込むのだ。
「そして、昨日、セニア様が使った神聖術を見て、迷ってるんでしょう?」
カティアが柔らかく微笑んで尋ねた。見ているシェルダンの気持ちまで溶かしてくるような笑顔だ。
「正直なところ、セニア様の神聖術はいかがなの?」
カティアに問われ、シェルダンはなんとなく外を見やってしまう。窓の外が暗くなっていた。いつの間にか夕刻から夜に近い時間へと移りつつある。
「教練書を得てからの、訓練時間の短さを思えば異常です。まして独学なのですから、天才としか言いようがないでしょう」
正直にシェルダンは答えた。あの場では厳しい言い方をしてしまったのだが。天才であっても現在は未熟だ。レナートの光刃とは比べるべくもない。実戦で問われるのは素質ではなくて現段階での実力だ。
「ですが、未完のまま命を失っては、初めからいないのと同じこと。ドレシア帝国のみならず、人類の損失です」
シェルダンの言葉を受けて、カティアがすっとソファを立ち、シェルダンの隣に腰掛けて身を寄せる。
「だから、あなたは本当は上りたいのだわ。セニア様を死なせないために」
優しく耳元でカティアが囁いた。
「しかし、カティア殿、それは」
危険であるとお互いに話したことだ。ましてシェルダンはカティアのために危険を冒さないと約束もしている。
クスッとカティアが笑みをこぼす。
「では、シェルダン様?あの、机の上にある古い3つのポーチは何ですの?」
カティアの指差す机には、3つのポーチをつけた帯革が乗っていた。ベルトの上から腰に巻くものだ。
「レナート様と最古の魔塔に上ったときの装備です」
語るに落ちている。あんなものを出して考え込んでいたことが、何よりも自分の迷いをあらわしているのだから。
「私も馬鹿ではないつもり」
カティアがシェルダンの肩にしだれかかって言う。
「ここまで来れば、シェルダン様に魔塔へ上らないで、だなんてギリギリまでごねるよりも、迷わず戦いへ行けるよう送り出すべきだわ」
シェルダンの胸に熱いものがこみ上げてきた。
「昨日のセニア様、昔のお仲間だったゴドヴァン様やルフィナ様を見て、確かにシェルダン様の心は揺らいだ。私はそう感じたの、きっと、止められるものではないんだわ」
結局、カティアのほうが言葉を発している。が、シェルダンにとっては自分の思いを言葉にしてもらっているかのように感じられて不快ではなかった。
「中途半端な気持ちのまま、軍令と言われて上るほうが危ないわ。私には気遣いはいらないから、思う様、戦い抜いてその上で生きて帰ってきて」
シェルダンの両肩にカティアが両手を乗せて、身体を持ち上げるように顔を近づけてきた。
そのまま唇を重ねる。どれだけ時間が過ぎたのか。すっとカティアが身を離した。
「お約束します。私は魔塔の上層で戦うこととなるでしょう。それでも必ず生きて、あなたの元に帰ってきます」
シェルダンは正面から美しいカティアを見つめ宣言した。
「えぇ、お待ちしてます。必ず、無事で」
涙を称えたカティアの紺色の瞳。シェルダンは自ら身を寄せてもう一度、口吻を交わす。思う様、戦って来いと送り出そうとしてくれるカティアに、絶対の生還を誓いながら。