43 第7分隊〜ペイドラン2
ペイドランは夕刻になってから身を起こした。
そのまま、簡単に身繕いをしてルベント中央部にあるクリフォード第2皇子の離宮へと向かう。丁度、ペイドランの雇い主2人もルベントに来ていて、離宮に滞在しているのであった。
人気のない裏門近く、大木がうっそりと立っている。
ペイドランはいつもよくやるように、鉤縄を大木の枝に引っ掛けて壁を越えた。敷地に侵入すると、木の上、葉の茂みに身を隠す。
しばらく待つと、妹のシエラが姿を現した。まだ13歳、可愛いお仕着せ姿で、両手で水と何枚もの布巾が入った桶を抱えている。
シエラも密偵であり、侍女の見習いということで潜入しているのだった。自分と同じ黒髪に青みがかった瞳、とても可愛らしく、いつもなら外へ連れ出してお菓子でも食べさせてやるところだ。
今日はそういうわけにもいかない。
「シエラ、おいで」
ペイドランは小声で妹を優しく呼ぶ。
シエラが気付き、潜んでいる樹の下に駆け寄ってくる。布巾の入った水桶も一緒だ。
「お兄ちゃん?どうしたの?」
シエラが目線を向けることなく、同じく小声で尋ねてくる。誰かに見られても怪しまれぬよう、布巾のすすぎを継続していた。傍からは場所を移したようにしか見えないはずだ。
「至急、報告したいことがある。主様たちに何とか会えないかな」
ペイドランはシエラに取り次ぎを頼むつもりだった。ここに来てもらって、シェルダンに密偵だと知られたと、その上でどうするのかの指示を仰ぎたい。
「お兄ちゃん、あのね、何か用事があるとかで。主様たちは裏門に向かってるの。あまり人に見られずにうまくすれば会えると思う」
シエラに言われて、ペイドランは裏門の方へ目を向けた。
確かに主達がちょうど、2人仲良く並んで連れ立って離宮の裏口にいる。あの2人はとっととくっつけば良いのだ。
「隊長?」
更にシェルダンの姿も裏門前の通りに現れた。
ペイドランは首を傾げる。昔から視力には自信があった。見間違えということはない。
離宮の勝手口からカティアも姿を現した。
シェルダンが来たのは恋人のカティアと逢引するためだった。文通のノートを受け渡す日だったようだ。
近くに主たちも潜んでいる。裏門の内側。壁の陰になって、シェルダンらから見て、死角になる位置だ。どうやら不意討ちをするつもりらしい。
「ちょっと、行ってくる」
シエラに告げて、ペイドランはシェルダン達に接近していく。
地面に降りて、壁の陰となる位置を巧みに利用する。
「シェルダン様、約束してください。魔塔の2階より上には決して上がらないって」
カティアが悲痛な声で懇願している。
主の算段では、魔塔攻略にシェルダンの協力は必須だという。
(邪魔をさせるわけには)
ペイドランは息を潜めて更に接近する。
裏門を挟んで主たちと反対側にいる格好だ。主と目が合う。紫色の美しい瞳。ペイドランにとっては、母代わりとでも言うべき人だ。
(シェルダン隊長には、魔塔に上がってもらわなくちゃいけないんだから)
カティアを始末するつもりで、ペイドランは懐に手を入れた。
「ペイドラン」
シェルダンがはっきりと自分を呼んだ。
見えているわけがない。殺気が漏れたのだろうか。
ペイドランは壁の陰から姿を晒す。罪もない女性を束の間でも殺そうと思ってしまった。
「隊長、すいません、俺」
全てを言うことは出来なかった。
ゴドヴァンが大剣で、シェルダンに斬りかかったからだ。真上からの振り下ろしである。
シェルダンが難なく初撃を避けた。カティアのこともさりげなく安全な方へと突き放している。
ペイドランはただシェルダンの表情を見ていた。意外にもシェルダンの顔に浮かんだのは、呆れである。うんざりしているようにも見えた。
続く横薙ぎの一撃。
(え?隊長?)
打って変わって避けようともしないシェルダンにペイドランは驚愕した。
カティアも息を呑む。
ピタリと、シェルダンに当たる寸前にゴドヴァンの大剣が止まる。
「下らない。何の試しのおつもりで、このような茶番を?マックス・ヘンダー様?」
シェルダンが吐き捨てるように言う。
はっきりとゴドヴァンを見ている。マックス・ヘンダーというのはゴドヴァンのことらしい。ペイドランにはわけが分からなかった。
「フィオーラ様もフィオーラ様ですよ。マックス様の無茶をこういうときに止めていただかないと困ります」
苦虫を潰したような顔を、シェルダンはルフィナにも向けた。
ゴドヴァンがマックス・ヘンダー、ルフィナがフィオーラと、シェルダンの中ではなっているらしい。
「あの、マックスとかフィオーラとかって一体?」
ペイドランはついシェルダンに向かって尋ねてしまう。
「おぅ、さすがにアスロック王国から亡命して名前そのままってわけにはいかねぇからな。改名したんだ、俺らは」
シェルダンの代わりにゴドヴァンが答えた。
「俺と違って、お二人は有名だったからな。第1皇子殿下の下につくにあたって、そのようになされたらしい。俺はゴシップ誌の魔導写真で知ったんだがな」
苦々しげに二人を見てシェルダンも補足説明してくれた。
「あら、ペイドラン?それにしてもあなた、さっきからこんな場に居合わせて何をしているのかしら?」
白々しくもルフィナが尋ねてくる。自分に用件があって来たことぐらい聰明なルフィナには分かったはずだ。
「ペイドランのことは、今は良いのです。マックス様の愚行を止めるのが、フィオーラ様の役どころでは?」
シェルダンがうんざりした顔で言う。ゴドヴァンのこともルフィナのこともよく思っていないようだ。過去に何があったというのか。
ペイドランもシェルダンに密偵としてつけられるにあたって、古い知り合いとしか言われていないのだ。
「この人のおバカを一つ一つ、いちいち止めていたら、私、あっという間に老けてしまうわ」
冗談めかして、ルフィナが告げる。
ゴドヴァンが愛おしそうにルフィナの横顔を眺めていた。ルフィナも見つめ返す。この2人はとっととくっつけばいいのである。
「30歳手前の人が何をおっしゃるのやら」
シェルダンがボソリという。
ペイドランは凍りつく。ルフィナに年齢のことは禁句である。
「なんですって?」
案の定、据わった目をルフィナがシェルダンに向けた。
恐怖で凍りついた笑みを浮かべたまま、ゴドヴァンも一歩、距離を取る。
「未だお若く、美しくいらっしゃると」
しれっとシェルダンが手のひら返しで褒める。
ルフィナが『そうかしら?』とゴドヴァンとペイドランとに視線を送ってきた。2人で必死にこくこくと頷く。
「シェルダン様、それ、浮気ですわよ」
今度はカティアにシェルダンが睨まれている。
「え?」
シェルダンも意表をつかれたのか、タジタジである。
「それにしても、腕も判断力も肝っ玉も。全く鈍ってなさそうだな、安心したぜ。ハッハッハ」
ゴドヴァンが大剣を背中の鞘に納めながら笑って言う。
本当に心から嬉しそうで、ゴドヴァンのシェルダンに対する親愛は感ぜられるのであった。
ドレシア帝国随一の騎士団長に、治療院の治癒術士の長であるルフィナに対してもまるで動じていないシェルダン。
ペイドランは驚かなかった。そのルフィナの命令で、自分はシェルダンに張り付き、動静を伝えていたのだから。