42 第7分隊〜ペイドラン1
ドレシア帝国第3ブリッツ軍団軽装歩兵隊第7分隊所属のペイドランというのが今の自分だ。
「っ!参りました」
尻餅をついて、ペイドランは木剣を突きつける分隊長のシェルダンに告げた。
長い休暇の5日目の午後。寮の自室でゆったりとしていたペイドランはシェルダンに呼び出され、ルベントの軍営敷地内にある練兵場にて、訓練につきあわされている。久しぶりの完全な休暇であり、全く動かずに過ごしたかったのだが。
「そうか」
シェルダンが首を傾げる。
いつも冷静にして冷徹な軍人のシェルダンを、ペイドランはかねてから恐れていた。
何を考えているのか、見ているのかもまるで読ませない。得体のしれなさを感じるのだ。今も何故、個人訓練につきあわされているのかがさっぱり分からなかった。他に今、訓練をしているものなど一人もいない。
「大変だろう。お前の体格で剣技というのは」
手を引いて助け起こしつつ、シェルダンが言った。
何か別に言いたいことのあるような顔だ。自分には、よくこういう顔を向ける。灰色の髪をした元アスロック王国の軍人であり、他国出身ながら分隊員たちにはよく慕われているようだ。苦手としているのは自分、ペイドランぐらいである。
「隊長のように、うまく強くはなれないみたいです」
ペイドランは服についた砂埃を払いながら恨みがましく言う。
2人とも軍で支給された紺色のシャツに紺色のズボン姿だ。動きやすく個人訓練などにはみな用いている。
「俺も、あまり剣は好きじゃない」
にべもなく、シェルダンが言う。
確かに時折見せる鎖鎌の技は眼を見張るものがある。剣よりも得意なようには見えた。
先日は、あのサーペントを無力化したのだという。
あのとき、ペイドランはリュッグと別の任務についていた。真面目だが陰気、武術を苦手とし、実戦闘ではあまり役に立たない男だ。リュッグを守りながら伝令をするのは本当に大変ではあった。
「今日はこれぐらいにしておこう。大体、分かった」
シェルダンが汗を拭いながら言う。
小一時間も練兵場で戦っていて、ペイドランはシェルダンから一本も取ることが出来なかった。
「はい。ありがとうございました」
全く有り難くなかったが、ペイドランはお義理で礼を告げた。ようやくの終了に安堵してもいる。
(やっと、休日を過ごせる。もう俺、意地でも動かない!)
寮の自室で大の字になるつもりである。最上の寛ぎ方なのだ。
「ちょっと、この後、執務室へ来てくれるか?」
頼んでいるのは口調だけ。シェルダンが断りづらいことを口にした。
今日は一体、何だというのか。
「了解しました」
げんなりしつつもペイドランは答えていた。
「何か大事な用事があるなら構わんが」
何を考えているか分からない顔でシェルダンが言う。
大事な用事などあるわけもない。ただ動かずに大の字で横になりたいだけだ。今日は休日なのである。
「何もありません」
ペイドランは重ねて答える。休日を諦めるしかなかった。
内心でため息をつく。明日はもっと忙しくなるというのに。シェルダン達は休みでも自分は仕事なのだ。
不平タラタラ、シェルダンについて歩き、執務室へ向かう。
執務室に着くと、シェルダンが椅子とコップ1杯の水を出してくれた。
ペイドランは椅子にかけて、シェルダンの話し出すのを待つ。
水を一口飲んだ。動き回った後だからか、ひどくうまいと感じた。
「あまり緊張するな、ペイドラン。なに、大したことではない。明後日からルベントの軍、第3ブリッツ軍団は魔塔攻略に着手するわけだが。密偵だろう、お前は。一緒にこの第7分隊で今回も戦ってくれるのか、どうしても聞いておきたくてな」
シェルダンからの問いかけに、ペイドランはさあっと顔から血の気が引くのを感じた。
(気付かれてた?でも、何で?)
今までに、密偵としての自分に何か落ち度があったのか。必死に思い返そうとした。自分でも分からない。
「今までも密偵ながら、本業でもないだろうによく戦っていてくれたが。まぁ、勝手に封書を置くのはやめてほしかったが。今回は戦いの規模が大きいからな。どうする気なのか。気になってしょうがなくてな。黙っててやろうとも思ったんだが」
本当に何を考えているのか分からない。なぜかすまなそうにシェルダンがつらつらと言葉を並べ立てる。
ペイドランは懐に手を入れた。
「やめておけよ。言っておいたぞ。大体分かったと」
鋭く、シェルダンが告げた。
全て読まれている。ペイドランは諦めるしかなかった。練兵場でしきりに首を傾げていた理由もようやく分かる。戦い方に違和感を覚えていたのだろう。
「いいんですか?密偵の俺が魔塔攻略に分隊員として参加しても」
殺すつもりも、自分の任務について追及しようというつもりもシェルダンには無いようだ。
「この分隊に、密偵様が探っても大して得るものもないだろうし、一人でも戦力は貴重だからな」
くいっと口の端を吊り上げて、シェルダンが笑みを浮かべた。21歳とは思えない凄みだ。
「でも、普通、密偵を見つけたら」
ペイドランは自分でも話をどう進めたら良いのか分からなかった。
話の主導権を握っているのはシェルダンの方だ。
「何だ、処断しろ、とでも言うのか?たとえ密偵でも新兵からここまで育て上げてきた部下だぞ、お前も」
本当に自分を部下と思い、扱おうとしているシェルダン。
ぐっとペイドランは言葉に詰まった。
「気付いていて、放っておいてくれてたんですか?」
掠れた声でペイドランは尋ねる。居心地の良さは分隊にいていつも感じていた。
「軍人として、一緒にきちんと仕事をしてくれるなら、細かいことはどうでもいい」
笑みを消して、シェルダンが告げる。まるで照れているかのような口振りだ。
「で、お前は次の魔塔攻略戦に従軍するのか?」
シェルダンに尋ねられる。
まだ、頭が追いつかずペイドランは返答に窮した。
ペイドラン自身は密偵だとバレていたことを気にしているのに、シェルダンが軍務のことを気にしていて、今一つ噛み合わないからだ。
「はい」
それでもペイドランは頷いた。実際、シェルダンに従っているように、との指示が来ていたからだ。
また、シェルダンが嬉しそうに笑みを浮かべた。
どう話を向けるのか、シェルダンなりに相当悩んでいたのかもしれない。
「そうか、大丈夫か?密偵の命令と軍人として受ける命令、2系統の命令で板挟みになる心配はないのか?」
更にシェルダンが尋ねてくる。
ひどく伝わりづらいが、どうやら自分を気にかけてくれているらしい。
ペイドランにも分かった。分かると胸に迫ってくるものがある。
「今のところ、大丈夫です」
今までは、シェルダンにとって、部下でありながら密偵だということで、妙な遠慮をしていたのかもしれない。
思えば、誰が雇っているのかをシェルダンから全く聞かれていないのだ。本当に、分隊員として従軍するかどうかだけを気にしていたらしい。
「ならいい。また、宜しく頼む。時間を取らせて悪かったな」
シェルダンが退出を許可してくれたので、ペイドランは背を向ける。
「あぁ、そうだ。次からは得意の武器を遣うようにしろ」
背中に声をかけられた。
やはりすべて見切られていたのだ。
ペイドランは懐に入れた手をだらりと下ろした。
「分かりました」
答えて、寮の自室に戻った。
狭い。寝台と書き物机があるだけの簡素な部屋だ。
かねてからの願い通り、掃き清めてあった床の上で大の字になった。床を綺麗にするのは寝るためなのだ。
「ちょうどいいっちゃ、ちょうどいいのかな」
天井を見上げて独り言つ。
「報告しないわけにはいかないよな」
よりにもよって、シェルダンに密偵と気付かれた。自分でもどれだけ重たい失敗なのか、ペイドランにもわからないのである。