378 エピローグ
最古の魔塔が崩壊して半年が過ぎた。
もう旧アスロック王国領も含めたドレシア帝国の国土には1本も魔塔は立っていない。アスロック王国も王家が途絶え、既にかつてあった国となっている。
ドレシア帝国軍の第1ファルマー軍団に所属するシェルダン・ビーズリーは皇都グルーンにある治療院を訪れていた。
訪ったのは産科の待合室であり、処置室には今、身重のカティアがいる。
(まったく、長くかかったもんだ。あの2人も)
待合室に据えられた映像伝送用の水晶を見て、シェルダンは思う。
紆余曲折を経て、最古の魔塔を攻略し、そこから更に半年の交際を経て、ようやく聖騎士セニアとドレシア帝国第2皇子クリフォードも結婚する運びとなったのだった。
今、水晶に映し出されているのは、現在行われている、2人の婚礼の様子である。
(一説によると、単にシオン殿下の結婚相手探しを待っていただけだ、という話もあったのだが)
ゴシップ誌の記事である。
皆に祝福され、ルベントの町で式を挙げるセニアとクリフォードの姿をシェルダンは微笑ましく眺めていた。
2人にとっては思い出深い場所だから、ルベントで挙式することにしたのだという。
なお、結婚式には自分も招待されていた。
残念ながら出席することは出来ない。
カティアの出産予定日に近い日取りであり、皇都グルーンと挙式するルベントとでは行き来が間に合わず、現に重なってしまったからだ。
(まぁ、名代としてデレクとラッドを派遣したからな、問題無いだろう)
シェルダンは薄く笑って思う。ラッドの方は大喜びでルベントに向かったものだ。逢いたい人がいるのだという。
画像の中、どこかに2人が映り込んでいないか、とつい探してしまうのだった。
(メイスン、ペイドラン、イリス嬢、ガードナーの奴もいるな)
一人一人、画面の端で目にするたび、いずれも健勝であることをとても嬉しく思う。
そして、ゴドヴァンとルフィナ夫妻も。
最古の魔塔攻略後、皇都グルーンへ帰還するなり2人で始めたのが結婚式の準備であった。あれだけの婚約式を挙げた2人であるから、結婚式もまた皇都を、いやドレシア帝国を挙げて祝福されたのは言うまでもない。
(いや、あれはもう、ほぼ、国を挙げての冷やかしだったな)
幟が幾つも立って、お祭り騒ぎだった。そちらにはシェルダンも参列出来たのだが。
(あの2人とは、一度は縁が切れたって、思ってたんだが)
シェルダンはミルロ地方の魔塔でのことを思い出す。
結局、自分はあの2人を土壇場で見捨てられなかったのだった。だからまだ、折に触れての親交が続いている。無論、酒を飲まされるばかりなのだが。
画面の端にデレクとラッドがいた。
(まあ、デレクの奴はいい加減、相手を見つけてこいってんだ)
思い出して、シェルダンはくっくっ、と笑う。
ラッドからは身上報告を受けた。個人的な相談だったとも言えるかもしれない。良い話だった。喜びのあまり飲み過ぎて細かい経緯は忘れたのだ。
ルベントの商人、コレット・ナイアンと交際を開始したとのこと。自身がルベントに行くか、コレットを皇都に呼び寄せるべきか、が目下最大の悩みらしい。
デレクの方は流石に上司として心配になるぐらい、未だに筋肉が恋人、という状態なのだった。
(落ち着かん、いかんな)
シェルダンは椅子の背もたれに寄りかかって思う。
(カティア、大丈夫かな)
ソワソワする気持ちを抑えられない。だからあれこれと考えてしまう。
自身もまた、最古の魔塔崩壊後、新しい暮らしを始めている。身重のカティアとともに皇都グルーンへと転居して、第1ファルマー軍団の軽装歩兵連隊での軍務に就いたのだ。
(まったく、あのギョロ目め。人を便利に使って)
憎たらしいアンス侯爵の顔をシェルダンは思い出す。
最古の魔塔崩壊後、『好き放題させてやった貸しを返せ』と言わんばかりに、仕事をどんどん命じてくるのだった。しかも手抜きしづらい仕事ばかりだ。他の面々と違い、自分だけは忙しくなったのである。
おまけに仕上げるとやたら人前で褒められるのだ。酷いときには表彰や勲章の授与までされる。やり辛くてしょうがない。仕上げる自分はいかに人目に触れぬようにするかまで、考えなくてはならないのだから。
「こんな日にまで仕事をさせていたなら、流星鎚で殴り飛ばしていたところだ」
周りに人のいない気安さもあって、シェルダンは毒づいた。カティアの出産ということで、ようやく数日の休みを久方ぶりに取れたのである。なぜだか物凄く祝福されて、数日もの休みを取らせてくれた、とも言えるのだが。
(俺を使うのに、カティアが肝だと見透かされてるみたいだ)
アンス侯爵だけは変わらずシェルダンにとって手強いのであった。
治癒院でわざわざ聖騎士セニアの婚礼を見たがる者などそういない。大概は仕事を休み、街角に据えられた映像伝送用水晶で、祝い酒でも飲みながら見物しているのだろう。
「で、なければ、またぞろ猛獣駆除か盗っ人どもの捜索をやらされていただろうからな」
魔塔が無くなったからといって、この世のすべてがきれいに回るわけではない。
それでも第1皇子シオンの尽力もあって、大きなところは問題なく上手く回っているようだった。新しい魔塔は生まれていない。
(しかし、やはり落ち着かない)
今か今かとシェルダンは待っている。
細身のカティアの腹が驚くほど大きくなっていたことをシェルダンは思い出す。『妊娠するとこんなものよ』と本人は平然としていたのだが。
シェルダンの方は些細なことでも心配になってしまい、さすがに時折怒られたのだった。
日差しが雲に閉ざされたのか、薄暗い待合室の中、自身の足音がこだまする。
気付いていなかったが歩き始めてしまっていたようだ。
また、映像伝送用水晶に視線を向ける。
幸せそうな笑顔の聖騎士セニア。さすがに白銀の鎧姿でも、黒い地味なドレスでもなく、美しい純白の花嫁衣装に身を包んでいた。
ルベントの中央聖教会での式典を終えて、クリフォードとともに馬車でルベントの街を巡ろうという段階である。なお、聖教会での式典には、はるばる聖山ランゲルから大神官レンフェルがやってきたのだという。
色とりどりの花束を投げられて、祝福されている聖騎士セニア。
(レナート様)
シェルダンは心の内で呼びかける。
(あなたの愛娘様は、強く、美しく、真っ直ぐになられましたよ)
最初の頃、自分を幻滅させてばかりだったセニア。
最後にはレナートですら成し得なかった最古の魔塔攻略をとうとう成し遂げた。
自分も外で助けはしたものの、それでもセニアがクリフォードらとともにしっかりと戦い、ヒュドラドレイクを倒してみせたから、崩壊させられたのだ。
(そして、私も父となるのでしょう)
また急にシェルダンは不安になった。
治癒術士たちの診断では極めて順調とのことだが。
やはり想像もつかない。心配だ。父親になれないかもしれない。
どれほど待ったのか。
慌ただしい人の気配と、泣き声が聞こえてくる。
「シェルダン・ビーズリーさん」
女性の治癒術士が叫ぶ。
シェルダンは急ぎ歩み寄る。
「おめでとうございます。母子ともにとっても、元気ですよ」
疲れを見せつつもにこやかに告げてくれる女性の後にシェルダンは続く。
元より面会の許可は貰っている。
「カティアッ!」
シェルダンは叫ぶ。
笑顔を向けてくれるカティアの腕に小さな者が抱かれている。
「とっても元気な子、女の子ですって」
カティアが言い、嬉し涙をこぼす。
シェルダンはカティアから白く汚れ一つない布にくるまれた我が子を受け取り、そっと抱き上げて見下ろす。
まだ首も座っていない、些細なことで壊れそうな我が子だ。
(この子が大きくなるまで、ずっと幸せに暮らせる世界を)
シェルダンは映像伝送用水晶で見たばかりの幸せそうな皆の笑顔を思い出す。
(たとえ、俺一人ではできることに限界があるとしても)
それが一人の人間としての、連綿と1000年間続いてきた家系の責任だ。
自身の人生を次代へと繋ぐ。
個人の責任が、親としての責任となったことの重みを改めて感じつつ、シェルダンはまだ疲れの残るカティアと笑みを交わすのであった。




