377 最古の魔塔崩壊
グルグレン地方にある森の中、最古の魔塔を望むことの出来る位置に、セニア達は転移してきていた。
遠くそびえる最古の魔塔。
瘴気を失って、少しずつ外壁から崩れ始めていた。
長く人々を苦しめ、アスロック王国を崩壊させる原因となった魔塔。本当に崩れるのかと心配になるぐらい、外から改めて見ると太く高い。崩れるのも存在感と比例するかのように緩やかである。
自分たちはあの中にいたのだ。
「ついに、やったんだね」
クリフォードがよろよろとセニアを草地におろして告げる。布がいつの間にか敷かれていた。近くにいた兵士に整えてもらったようだ。
ひどく頼りない腕に思えるが、身体の方もクリフォードが鍛え始めていたらしいことは、セニアも聞いていた。
(そう、あくまで、鎧も含めれば、よ)
かなりの重量になる自分をよく運んだものだと思う。
で、なければ最後の最後、あまりにも情けない理由で命を失うところだった。
「殿下、ありがとうございます」
セニアは横たわったまま告げる。
身体の力はまだ戻らない。鎧も脱がせてほしいが、それはそれで恥ずかしく、また、脱いだところで動けないのではないか。それぐらい弱っていた。
(多分、法力が戻れば、いろいろ調子も戻ってくるとは思うのだけど)
自分の身体ではないかのように、とにかく力が入らない。一体、どれだけの法力を常日頃、無意識に自分は筋肉に注ぎ込んでいたのだろうか。
「いや、いいんだ。最後、とても素晴らしい一撃だったよ」
優しくクリフォードが座ったまま告げる。
「よおしっ、ルフィナ、結婚だぁっ、式だぁっ」
とんでもない大声でゴドヴァンが宣言していた。
2人で顔を見合わせてから思わず微笑んで視線を向けてしまう。
「お、およしになって、ゴドヴァンさん、それは、私もそう、したいけど」
ルフィナがしどろもどろになっていた。耳まで真っ赤なのが横たわっているセニアにも丸見えだ。
細身の体を怪力のゴドヴァンによって、戦利品か何かのように高々と掲げ上げられている。
なお、周りには第3ブリッツ軍団、第4ギブラス軍団の兵士たちもいるのだ。
とても恥ずかしいだろう、とセニアはルフィナに同情しつつ、羨ましくもなるのであった。
ただ、生き残った兵士たちも、セニアに見える範囲では一様に優しい表情を浮かべ、拍手し祝福しているのだが。
(これは、グルーンに戻ったら、今度こそ結婚式だわ)
楽しいことが待っている。
セニアは思うにつけて、落ち着かなくなって動きたくなった。
だが、身体は動かないのである。法力を無理に使い過ぎた反動なのだ。代償と言ってもいい。
「つくづく、あの2人には」
クリフォードが2人を見て苦笑する。
本当に平和な光景だ。そして夢ではない。
(そうだ、私、ついに、最古の魔塔を)
セニアは首を曲げて、再び最古の魔塔を見る。見届けねばならない。
間違いなく崩れ始めていた。待ちに待ったはずの光景だ。だが、未だに大き過ぎて崩れきってもおらず、セニアにも実感はまだ湧かないのだった。
「セニア殿、見えるかい?」
クリフォードがまた優しく声をかけてくれる。
首は動かせるのと、視界も良好だ。今まで法力頼みで無茶な動きを繰り返してきた身体が一時的に虚脱しているだけなのだった。
「今、ここにね、アスロック王国の民も集まり始めている」
クリフォードが予想外のことを告げる。
確かに黄土色の軍服でも、重装歩兵でもない人々が喧騒の中に紛れ込んでいた。
「やはり誰もね。魔塔を理由に疎開させられて、喜ぶ者などいないんだよ」
グルグレン地方からも魔物をほぼ除去した上で、最古の魔塔攻略に挑んだのである。
集まり始めた、といっても、アスロック王国の王太子エヴァンズによって避難させられていたのだ。何日前から自分たちの勝利を信じてここへの移動を開始したのだろうか。
思わぬことを目の当たりにして、セニアはつい考えてしまうのであった。
「私は果報者ですね」
ポツリとセニアは零す。
「王太子エヴァンズ殿下に婚約破棄されて、それまでだって、焼け石に水みたいなことを、私、繰り返してきただけなのに」
自分が人々に感謝されていたのは、魔物を魔塔の外で積極的に討伐していたからだった。
今にして思えば効果的な手段ではない。感謝されるいわれなどないのだ。
「それでも、こんなに」
喜んでもらえたことを、セニアは幸せに思う。
「多分ね、ドレシアに亡命してきて再び魔塔攻略を始めたことも、そこも含めて、喜んでくれてるんじゃないかな」
クリフォードが労るように言い、そっと、おでこのあたり、前髪に触れた。
ふと、どうしていいかわからなくなる。
涙が溢れてきた。
不甲斐ない思いも惨めな思いもして。情けない失敗を幾つかやった上で、力不足を痛感させられることも多々あった。
(それでも魔塔を攻略するんだって一念があったから乗り越えられた)
今の自分には倒すべき魔塔はもう、無いのである。
「私、これからどうしたら」
セニアは涙を流したまま呟く。
「何を言っているんだい?」
笑ってクリフォードが言う。
「むしろ君はここからが忙しくて大変なんだよ」
思ってもみなかった言葉がクリフォードから発せられた。
「え?」
セニアはキョトンとしてしまい、思わず涙も止まった。
拳で涙を拭う。身体も少しずつ動くようになっている。
「論功行賞もあるだろうから、今、持て余しているよりもっと広い領地を得るだろうね。爵位も上がるかも」
クリフォードがさらに説明をしてくれる。
「今まではメイスン始め、周囲も魔塔との戦いがあるから、そっちの方面はとても甘やかしてくれていたけど、もう、そんな言い訳も通用しない」
セニアは考え始めると早速、頭が痛くなってきた。頭を使うのは苦手なのだ。
「私も私で忙しくなるな。本格的にセニア殿を狙う有象無象の男どもを燃やし尽くしたいが。そこはね、セニア殿が止めてくれないと」
クリフォードが物騒なことを冗談めかして言う。
「そこは、御自分で止まってください」
苦笑いでセニアは告げる。
自分はシェルダンやペイドランのように、顰め面を上手く作れないのだ。
「でも、そうですね、私の人生はまだ続くんですよね、きっと幸せなことも嬉しいことも」
しみじみとセニアは呟いた。
かつて従者を辞めたイリスに対して、『友人になったのだ』とか『お茶を楽しもう』とか言ったこともあるが。忙しくて、結局、あまり出来なかった。
(これからはそんな時間も出来るかも)
イリスもきっと無事だ、とセニアは信じてそう思う。
「それにね、セニア殿」
ひどく緊張した面持ちでクリフォードが呼びかけてくる。
「覚えているかな?最古の魔塔を攻略したなら、そのときは私に求愛する権利をって言ったのを」
忘れているわけもない。
セニアはコクリとうなずいた。
「今、魔塔は間違いなく崩れている。だから、私と。このクリフォード・ドレシアと」
クリフォードが言葉を切った。
一目惚れの勢い任せではなくて、しっかりと勇気を振り絞りながら告げようとしてくれるのが嬉しい。
「結婚を前提に交際してくれないか?」
しっかりと、最後まで言い切ってもらえた。
言葉に出来ないぐらいセニアは嬉しくなって、ただただ何度も頷くのであった。




