376 最古の魔塔第6階層3
最古の魔塔第6階層。魔塔の主ヒュドラドレイク。
セニアは再生した多頭の竜と睨み合っている。
一度は所定の時間に核を砕いたのだが、勝ちが決まらなかった。
強敵を相手にまた1から仕切り直しとなってしまったのだが。
(いつも、あまりに至れり尽くせりだった、シェルダン殿)
それでも誰一人、気持ちを阻喪させてはいない。シェルダンへの恨み言など口に出すわけもなかった。
「こんなこともある、とシェルダンの手紙にあったよ」
のんびりとした口調でクリフォードが言う。口調とは裏腹に怜悧な光をその瞳に宿している。
「多少、時間はずれるかもしれません、と。『まさかたまたま一度しくじったぐらいで、総崩れなんてしませんよね?』だってさ」
さらにクリフォードがシェルダンの言葉を伝えてくれた。
「当たり前だっ!」
大剣を手にしたゴドヴァンが咆える。
「勝つまで勝ててない。そうね、当たり前ね」
ルフィナもまた、肩をすくめて同意した。
「イリスちゃんとまた、イチャイチャするんです。ギュッとして、パーっとして、あ、またムギュウして」
ペイドランがとうとう一切を取り繕わなくなってしまった。こんなときでも自分を失いはしない。具体的にイリスをどうするつもりなのだろうか。
(そう、それで、私にはあんなことを)
セニアもまた、自身の手紙に書かれていた内容を思い出して得心するのであった。
「何か手違いがあって遅れただけだろう。我々は諦めないよ」
何度も笑顔と言葉で自分を支え、炎魔術で助けてくれたクリフォードが静かに断言する。自分たちの総意を代弁してくれたのだ。
誰一人として欠けずに、今もなお戦い続ける覚悟と気概を維持している。
ヒュドラドレイクもまた、一度は自身を倒したセニアらに対し、迂闊には攻撃を仕掛けようとはしてこない。
互いに睨み合っている格好であった。
(でも、実際のところは)
セニアは戦況をしっかりと把握していた。
クリフォードについては、魔力切れがまだ回復してはいない。獄炎の剣舞などの大技を再び放つことはもう、不可能だろう。
ルフィナについても同様だ。瞬時に仲間の重傷を治すような回復光をあと何度放てるのか。さらに言えば、もともと攻撃能力を有してはいない。
ゴドヴァンの体力と集中力の消耗もかなりのものだろう。いつもより大剣を構える様子に隠しようのない疲労が見える。
ペイドランも短剣を補充してあるものの、決定打を放つことが出来ない、という泣き所があった。
最初と同じ勢いでヒュドラドレイクと渡り合うことは出来ないのである。
残るは自分だけだった。
セニアは自身の身体に思いを馳せる。
(私の身体の秘密)
なぜ華奢で細身なこの身体で、ゴドヴァンに劣らぬ力を発揮出来るのか。
確かに訓練を自分なりに積んできた、という自負はある。
その賜物なのだろう。
だが、巨体の魔物たちと戦っても力負けしないのには相応の理由があった。
(私、馬鹿だから。自分でもただの馬鹿力だって思ってた。多分、他の皆も。違うって気付いたの、シェルダン殿だけだった)
セニアは自身に向けて書かれた手紙の内容を思い返す。
『あなたは無意識に法力で身体強化を行っています。それもひどく強力な』
この言葉を目にしたとき、セニアは思わず自分の体をまじまじと見つめてしまった。
『でなければ、その馬鹿みたいで、人間離れした腕力は説明がつかない。本来ならあなたもゴドヴァン様同様、筋肉質で巨体でなければならない』
更に読み進めて、多少の悪意は感じた。
『そして、不器用なあなたが無意識で行っている身体強化に費やされている法力は一体、どれほどのものなのでしょうかね』
そして皮肉たっぷりに締めくくられていたのであった。
では、それを意識して解除出来たなら、どれだけの法力を神聖術の攻撃に用いることが出来るのだろうか。
「これが私の切り札」
セニアは静かに気持ちを落ち着かせる。何度かは試しもしたのだ。不思議と、半ば自身に呆れるようにして見つめると、いつも上手くいく。
(シェルダン殿が私を見ていたであろう、そんな、見方)
呆れるほどの無駄に強力な法力。
身体を流れる法力の流れに意識を集中させて、全てを感知した。確かに膨大にして無駄なほどの法力が筋繊維の1本1本に流れ込んでいる。
全てを遮断して、聖剣オーロラへと流し込んでいく。流し込んだ法力が更に聖剣オーロラを通すことで増幅していることをセニアは感じた。
金色の光を聖剣オーロラが放つ。
「壊光球」
セニアはありったけの法力を籠めて光の球を中空に浮かべた。
その数は合計で40個ほど。一つ一つが大きく、これまでにない輝きを放っている。
「すごいな」
クリフォードが呟く。
自分が集中している間に、なけなしの魔力でもって炎の壁を構築、ヒュドラドレイクから吐かれる炎を防いでくれていた。
額には玉のような汗がいくつも滲んでいる。
ゴドヴァンとルフィナもまた戦っていた。
氷の壁を作って接近して斬りかかるゴドヴァンをルフィナが援護している。
ペイドランも飛刀を投げ続けていた。
魔塔の外でもシェルダンたちが頑張っているのなら。
(私も全部、使わなくちゃ)
法力による強化を失った自分の身体は今までになく無防備で動く速度も遅いだろう。
(でもシェルダン殿が私たちを裏切ったことはなかった。愛想をつかしても、呆れ果てても、いつも私たちを導いてくれた)
セニアは迷いを捨てて、心気を研ぎ澄ませる。
ゴドヴァンの氷の壁が全て炎で溶かされた。
ルフィナも肩で息を切らせ始めている。
ペイドランが前に出て、目まぐるしく二振りの短剣を速射し始めた。激痛の連続にさしものヒュドラドレイクも動きが止まる。
だが、あれを長く続けると、いずれ反撃が直撃し、死ぬのはペイドランの方なのだ。ペイドランもいよいよ奥の手を晒したのである。
(私のこともまた、みんなが信じて、託してくれている)
セニアは壊光球を全て合体させる。
「壊光球、極聖槍」
巨大な光の槍と為す。
「すげぇ」
「すごいわね」
戦う手を止めてゴドヴァンとルフィナが呟く。ありったけの飛刀を投げ切ってからペイドランも退がってくる。
「レナート様の光刃にも負けてない」
2人の声が揃った。
何よりも嬉しい言葉を貰って、セニアは右腕を振り下ろす。
「いけっ!」
セニアの叫びがクリフォードの声と重なった。
光の槍がヒュドラドレイクの吐く炎と正面からぶつかり、たやすく炎を貫いて突き進んでいく。
ヒュドラドレイクの巨体に突き立った。
狙い過たず、巨大な黒い核を刺し貫いて、砕いている。ここまでは間違いのないこと。
「ぐっ!」
セニアは呻く。
かつてない身体の負荷。
それでもヒュドラドレイクの砕かれた核が、巨体が極聖槍に貫かれたまま、少しずつ塵となって消えていく。
すぐには消さない。法力の続く限り、いつまででも貫き続けるつもりだった。
また、再生されるのか。どれだけの時間、極聖槍を維持していられるのか。
(だめっ、もう)
セニアはガクリと膝をつく。
何もない空間。先と同じだ。
全員が息を呑んで待つ。なぜだか再生されるのを待っているような錯覚すら感じて。
「やった!」
最初に気付いて飛び上がったのはペイドランだった。
赤い転移魔法陣。
撃破した証が部屋の四隅とヒュドラドレイクを倒した場所に生じている。
「勝った!やった!レナート様っ!」
ルフィナが天井を仰いで叫ぶ。頬をはらはらと涙の筋が流れているのも見える。
「シェルダン、やったぞおっ!!」
ゴドヴァンも握り拳を振り上げて歓喜の雄叫びだ。
「あっ、御二人とも喜び過ぎです。潰れる前に逃げなくちゃ」
喜ぶのも早かった分、素に戻るのも早かったペイドランがいつもどおりの口調で告げる。
我に返ってゴドヴァンがルフィナを抱えて魔法陣へと急ぐ。
「セニアちゃん、殿下も急げ!」
魔法陣手前にまで至ったゴドヴァンが慌てて叫ぶ。
いつもならセニアも機敏に動いて、クリフォードを抱え転移魔法陣へと急ぐところなのだが。
セニアは駆け出そうとして、ガクンと膝をついた。
(うそっ、力が、入らない、全然)
まるで自分の身体ではないかのように。動くことが出来ない。着用している鎧がまるで拷問具のようだ。
立っても動きがひどく緩慢で。むしろ鎧の重みに負けて膝をついてしまった。
このままでは魔塔の崩壊に巻き込まれてしまう。
(父様、嘘、私、勝ったのに、せっかく)
思っていると身体がふわりと浮いた。
顔を歪めたクリフォードに抱きかかえられている。
「私だって、これぐらいは、ね」
きっとクリフォードを苦しめているのは、鎧の分の重さだろう、とセニアは思うことととする。
覚束ない足取りながら、クリフォードが自分をしっかりと、赤い転移魔法陣へと運び込んでくれたのだった。




