374 ヒュドラドレイクの分体2
「ひいいいいっ、ば、化け物が喋ったっ!」
分かりやすく驚いた黄色頭の部下ガードナー、その黄色頭をパコンッ、とシェルダンは掌で叩いた。
敵に向かって分かりやすい反応をしないでほしい。
「驚きました。こちらこそ。まさかその姿で喋れるとは。マクイーン公爵閣下。それともヒュドラドレイクの分体殿、とでもお呼びしましょうか」
シェルダンはヒュドラドレイクの分体に向き直り、皮肉たっぷりに応じた。慇懃無礼というやつである。
「もっと、驚いたな。わしが何者だかをしっかりと認識している者がいた。ただの軍人にしか見えないが」
まるで人間と話しているかのようだ。
魔物と話をしている。信じられない現実をただ、シェルダンは受け入れた。
「散々、人間の真似事をして、たらふく瘴気を溜め込んだ。ぶくぶく、醜くでっぷりと膨れて。しかし、それもここまでですよ。今ごろはあなたの本体もまた、聖騎士セニア様に討滅される寸前のはずだ」
シェルダンはここに来て、思い知らせてやりたくなった。せっかく言葉が通じるのである。
この醜い多頭竜の魔物が、少しでも惨めな気持ちで消え去ってくれればいい。心の底からそう願う。
「あなたは、人間とその執念を甘く考え過ぎていた」
シェルダンは鎖鎌を手に告げる。今、苦しんでいる人々の大元を作り出した存在なのだ。
しかし、ヒュドラドレイクの分体がくぐもった笑い声を漏らす。
「たとえ、わしが滅びようと、聖騎士セニアが死ねば、人間はそれまでだ。もう聖騎士はいないのだ。貴様らこそ儂らを甘く考え過ぎだ」
まるで人間のように考え、物を言う、生意気な魔物だ。儂ら、というのも魔物全体を指すのだろう。
「奴が死ねば、聖騎士は絶える。血脈も知識も」
魔物なりによく考えて行動してきたらしい。
思えば人間のふりをして、長年、政治を為してきた魔物なのであった。悪知恵だけは働く。
「何せ、聖騎士の教練書、その第一巻を、わし自らが焼き尽くしてやったのだ」
成る程、とシェルダンは思う。妻のカティアから教練書第一巻の盗難については聞かされていた。
確かにセニアが今のまま死ねば、聖騎士の血筋は途絶えてしまう。また、教練書の第一巻がなければ、たとえ聖騎士の血筋ではない、メイスンのような法力持ちが奇跡的にあらわれたとしても、神聖術の基礎を学び直すことは出来ない。
(よしんば、セニア様が生存されたとしても、教え下手なのが容易に想像がつくときている)
この期に及んでシェルダンも失礼なのであった。
(よくもまぁ、魔物のくせにいろいろと考えつくもんだ)
シェルダンは半ば呆れ、半ば感心してしまう。
長い目で見て、人類に対して魔物が勝る。その布石になろうと、殊勝なことにヒュドラドレイクの分体が述べているのだ。
他の分隊員たちに至っては魔物とシェルダンが平然と話している状態に圧倒されてしまっていた。口を挟もうともしてこない。
「まったく」
シェルダンはため息をついた。
「あなた方には、写し、という発想が無いのですか?」
懐からシェルダンは黒い冊子を取り出した。持っていたのはあくまで偶々だ。全てが済んだなら、聖山ランゲルに匿名で寄贈するつもりでいた。
「なっ」
驚きの声を上げたのはメイスンだった。
「な、なんだと、まさか、馬鹿な」
馬鹿なのは魔物の方である。
シェルダンは思いつつ、パラパラとページをめくってみせた。竜の視力ならば克明に見えるのではないかとも思う。当然、中身は本物だ。
「き、貴様、なぜ」
ヒュドラドレイクが問うてくる。
そもそも聖騎士でもない軽装歩兵の自分が、なぜ神聖術の指導などを出来たと思っているのだろうか。
レナートから授けられてゴドヴァンらに託すまでの期間中に当然、写しを作って頭に叩き込んだのだった。
「レナート様から託されたのは私です。万一、水をこぼすなりしたらどうするのです?落丁や乱丁は?人間ならする、当然の備えですよ」
人間でも当然の気遣いを出来ないものなどいくらでもいるのだが。今は、魔物は人間より愚かだと思い知らせてやりたかった。
(この連中も、何を驚いてくれているんだ?)
部下たち一同の驚き顔にシェルダンはため息をつく。
しっかり目を通した上で写しの1つや2つ、作っておくのは当たり前だ。教えごとですらない。
「所詮、そこは魔物ですな」
シェルダンはわざとらしく嘆息して挑発してやった。
ヒュドラドレイクの十本の首、それぞれに2つずつある眼球が自分を睨みつけている。
お互いを挟む空間の中、殺気が満ちてくるのをシェルダンはしっかり感じ取っていた。
「来るぞ」
短くシェルダンは告げる。
バチバチと音がした。黄色い魔法陣が視界に入る。
「ライトニングアロー」
驚くことに誰よりも敵よりも先に仕掛けたのはガードナーだった。
雷の矢が走り、ヒュドラドレイクの分体、その首の一本に撃ち込まれる。
「グゥオオオオ」
やはり本体ほどには強くない。雷の矢たった一本で痺れて動けなくなっている。
単純な戦闘能力としては、上層階の階層主たちと同程度ぐらいではないか。
シェルダンは見て取って、鎖分銅を回転させた。
「ぬぅんっ」
デレクが先頭に躍り出て、棒付き棘付き鉄球でもって、ガードナーに麻痺させられた首の一本を叩き潰してしまう。
「オオオオオッ」
残りの首9本が痛みを共有しているからか、仰け反って悲鳴を上げる。
もっと痛い思いをしてもらいたい。
アダマン鋼の鎖分銅を立て続けに放つ。全て胴体か首、相手の体のどこぞかには当たるのであった。
「オオオン」
ヒュドラドレイクが仰け反っていた姿勢を戻し、こちらを睨みつけてきた。
「まず、我々に押される程度ではたかが知れていますな。所詮は分体、まがい物に過ぎない存在だ」
シェルダンは罵って挑発しつつも、自身の鎖分銅が痛みこそ与えられるものの、決定打に欠けることを思わずにはいられなかった。
故に、シェルダンは3つのポーチのうち2つを開き、鉄球を取り出して鎖と結着させる。属性などは何でも良い。
(やはり、俺はこれだ)
流星鎚である。
シェルダンはヒュドラドレイクの吐く炎を、流星鎚の高速回転によって受け流しつつ、どんどんと距離を詰めていく。
(一族の技術の粋だからな、たやすくはいかんぞ)
敵の足元にまで至る。
噛みつこうとするヒュドラドレイクの頭を、尽く叩き伏せて殴り飛ばしているデレクの隣だ。
「思い知れ」
シェルダンは告げて、敵の足先に流星鎚を思いっきり叩きつけてやった。グシャリと嫌な感覚を味わいつつも容赦するつもりにはなれない。むしろ足りないぐらいだった。
(レナート様の恨みを、無念を!思い知れっ!)
いつになくこみ上げる激情を自覚しつつ、シェルダンはヒュドラドレイク、その分体に積年の憎しみを叩きつけていくのであった。




