370 聖騎士と軽装歩兵の思い出⑯〜敗走、その後
「レナート様は俺たちが送り届ける」
どれだけ悲嘆に暮れたのか。
魔塔から十分に離れた森の中で、ゴドヴァンが告げた。
魔物の姿はない。
こんな時でも、自分の頭はよく回る。シェルダンはうんざりしてしまう。
公的な身分の低い自分では、レナートを送り届けるのに相応しくない。散々、仲間だと言われ、自分ものせられて思い始めてしまったところで、現実は、あまりにも身分の差があるのであった。
国王への報告も、亡骸の送り届けも、若くして騎士団長であるゴドヴァンと筆頭治癒術士のルフィナの方が似つかわしい。
レナートたちとの身分に、一介の軽装歩兵である自分は、まるで釣り合わないのであった。
「分かりました」
答えるのがシェルダンにはやっとだった。思い知らされた現実への落胆ではない。疲労がズシリと肩に重たいのだ。もう随分前に自分は限界を超えていた。
ただ頷く。
それから3人で人里付近にまで至る。最古の魔塔最寄りの村落だ。
完全に村へ入る前に、シェルダンは別れることとする。
「コトが落ち着いたら、会いに行く」
レナートの亡骸を背負ったゴドヴァンが告げる。
「お願いだから、逃げないでね。あなたにまでいなくなられたら、私たちは」
ルフィナからは懇願されてしまう。
「御二人からは、逃げません」
適当な言葉も生意気な返しも思いつけず、シェルダンはやはり頷いてしまう。
再会を約束して、シェルダンは王都にある実家へと、父母の元へ戻った。
部隊が全滅してなお、生還した自分。さらにゴドヴァンとルフィナと同時期に戻ったこと。流星鎚に使用した痕跡が見つかったため、父のレイダンには最古の魔塔での行いを知られた。
激しい言い合いにはなったのだが、結局、父は自分には甘いのである。言い合いで済んだ。あるいは打ちひしがれている自分に、父が鞭打てなかっただけなのか。
セニア、というレナートの娘のことは知らない。知りたくもなかった。
自分は聖騎士であれば、誰にでも力を貸すわけではない。ビーズリー家はそんなに安いものではない、と思い込もうとした。父との言い合いもその面では役に立ったのだ。
平常の軍務をこなす毎日が戻ってきた。軍務自体は、次第に厳しいものへと変わっていったのだが。軍隊が腐り始めたのも、思えばこの時期からだった気がする。
最古の魔塔でのことは少しずつ時間が膜になって、鈍いものとしていく。
一方、約束とは裏腹にもう2度と会うことはない、と思っていたゴドヴァンとルフィナの2人だったが。レナートの葬儀を終えた、という数日後には再会した。
二人の方から、軍務をこなしている自分の元へ、酒を持って、ふらりとあらわれたのだ。
それからは頻繁に付き合い酒を飲まされた。
軍営で飲むこともあれば、2人の屋敷へ招かれて、あるいは無理やり引っ張られて飲むこともあり、話題には事欠かない。
最古の魔塔でのこと、レナートとのこと、アスロック王国の現状、まったく脈絡のない雑談も。
レナートと最古の魔塔に上ってしまったこと、止めなかったことへの後悔を告げたのも、泣き上戸とバレたのもこの時期だ。逆に自分は一見豪快なゴドヴァンよりも、可憐なルフィナのほうが酒癖の悪いことを知った。
過酷な戦いを共にした2人との交流は、今よりも若かったシェルダンにとって、それなりに刺激となり楽しいものだったが。
「シェルダン、俺とフィオーラはドレシア帝国に亡命しようと思う」
2人に言われて、シェルダンは初めて公的身分の高い2人が、レナートの死に伴う責任のかなりの部分を負う羽目になったのだ、と知った。
レナートの死について、ただ2人の生存者であったことから、責任まで、秘匿で問われていたらしい。
「そうですか」
シェルダンは当時、頷くのが精一杯だった。気の利いたことの1つも言えない。
このとき、レナートを失うこととなった、ヒュドラドレイクのからくりにも既に気づいてはいて。
だが、国の中枢に関わることであり、自分一人の力では成し得ない。どうしても2人を頼るしかないか、とちょうど迷い出したところで、亡命を告げられた。
「シェルダン、お前も来いよ、この国じゃ、だめだ」
ゴドヴァンに誘われた。
だが、頷くことはできない。先祖代々からアスロック王国で軽装歩兵をしてきたのだから。今更、他の生き方を自分だけする踏ん切りをつけられない。
また、時期も悪く、先日、分隊長に昇進したばかりだった。
「レナート様の死についても、何があったのか詳しくは誰も突き詰めようとしないの。誰かが圧力をかけてる。この国はもう、だめかもしれないのよ」
ルフィナもまた説得してくれたのだが。
確かにレナートの死についても、最古の魔塔攻略失敗についても、不自然なほど情報が公開されてはいなかった。
「私は、残ります。ただでさえ、家訓には逆らってしまいましたから。この国の軍人でやってきた、先祖のことは裏切れません。それに」
シェルダンは迷っていたのであった。自身の気の持ちようを。
セニアというレナートの娘。聖騎士を自称し始めたのだという。
(神聖術も、何も使えない小娘だが、それでも)
さらに王太子エヴァンズと婚約し、いずれはアスロック王国の中枢に食い込むこととなる。
また、剣術の才能では父親のレナートよりも遥かに勝るのだという。
「まだ希望はあります。むしろ、私がこの国で踏ん張りますから、いつか大手を振って戻ってきてください」
シェルダンは告げて、無理矢理に微笑む。さらに執務室に一旦戻ると、黒い表紙の冊子を手渡す。
「これは?」
ルフィナがまじまじと冊子を見つめて尋ねる。
「レナート様から授けられた、聖騎士の、神聖術の教練書だそうです」
シェルダンは意識して事もなげに答えた。思えばとんでもないものを自分も預けられたものだ。
「全部で3巻。レナート様のご息女セニア様に順次、渡してほしい、と」
内心では散々な言い方をしておいて、口ではご息女という自分なのであった。
(だが今は渡せない)
嫌な気配がする。年端も行かぬセニアに渡したところでレナートの懸念どおりになるのではないか。
ただ、二人は信用できる。二人にはまた、戻ってくるべき理由を、自分との繋がりとして渡しておこう、と思ったのだ。このときはまだ、そういうつもりだった。
「そうか。レナート様の娘。希望はまだ、この国にある、か」
ゴドヴァンもまた教練書に視線を落としてしみじみと告げた。
「私はギリギリまでこの国に残ります」
シェルダンは改めて宣言した。
王太子エヴァンズもまた、武術については平凡だが、勉学に優れ、優秀な政治家となる片鱗を見せているとのこと。
(この国が正常になれば、そして2人が戻れば、まだ)
魔物がどうこうする余地などなくなる、と当時、シェルダンは思っていた。
(青臭くて馬鹿だった)
シェルダンは、マクイーン公爵の屋敷へと駆けながら思う。
(難なら、今も馬鹿だ。王太子エヴァンズ、国王陛下、2人に濡れ衣を着せてしまった)
今回こそは間違いないと思っていた。
それでも備えはしておきたい。
「イリス嬢」
シェルダンは先を行く小さな背中に呼びかける。
「なに、隊長」
立ち止まり、イリスが問いかけてくる。
「あんたはここで待機してくれ」
シェルダンは、怒るだろうな、と予期しつつ告げる。
「え、なんでよ!」
案の定、不満げな声を上げるイリス。ここまで来るとわかり易さにも可愛げがある。
「ここから先、出会すのは大物だ。あんたは相性が悪い。さっきは、王宮内だから、ギリギリまであんたの案内が必要だった。だから同行してもらったんだが」
シェルダンは相性の問題と、王宮との違いを説明した。
当然、無理をさせて負傷された場合、ペイドランに恨まれるのは自分だ、という打算もある。
「でも、私にだって出来ること」
イリスが言いよどむ。具体的に何ができるか、どう言おうかを考えているようだ。
「あんたは脚が速い。この中の誰よりも。俺らがしくじったら、すぐに本営のアンス侯爵へ、報せに走ってくれ」
それがイリスにしか出来ないことだ。
いざ自分たちが失敗しても、第1ファルマー軍団総出でマクイーン公爵を囲み討つこととなる。袋叩きにすればいい。いずれにしろ、もう負けはないのだ。
「それに、あんたに何かあったら、俺がペッドに殺されるからな」
冗談めかしてシェルダンは告げた。無論、半ば本気である。イリスが絡んだときのペイドランの恐ろしさは尋常ではない。
「分かったわよ」
イリスがため息をついた。
「でも、そのペッド呼びは本当に止めて。それ、あたしのだから」
最後まで拘るところには拘るのであった。
ラッドやメイスンが苦笑いである。
「よし、いよいよやるぞ」
告げて、シェルダンは5人でアンセルス案内のもと、マクイーン公爵邸へと急ぐのであった。




