369 聖騎士と軽装歩兵の思い出⑮〜敗走
最古の魔塔、第5、第4、第3階層と駆け抜け、更には第2階層の入り口まで、瘴気の毒に冒されたレナートを抱え、3人で逃げ延びてきた。
「少し、休みましょう」
息を切らせて、ルフィナが自分とゴドヴァンに向けて告げる。ルフィナ自身も自分とゴドヴァンも、体力、気力ともに万全とは程遠い。
また、もはや敵のいない上層階とは異なり、第1階層にはハンマータイガー始め敵が健在である、という悪条件も重なる。
休息が必要だ、というのはシェルダンにも理解はできた。
「しかし」
先を急ぎたくてシェルダンは難色を示してしまう。
ゴドヴァンに背負われたレナートの土気色の顔、ときには吐血すらしている。いつ、命を失ってもおかしくはない。
「闇雲に急いでも、焦って消耗した今のままじゃ、第1階層すら抜けられないわよ。何百人も犠牲になったのよ?あそこで」
更にルフィナが真剣な顔で言う。疲労が色濃く、美しい顔に滲み出ていた。
「ごめんなさいね、本当は私がもう、限界」
ずっと魔力の限り、知り得る全ての治癒術でレナートを救おうとして、その度、徒労に終わってきた。3人の中で誰よりも悔しいのはルフィナなのだ、とシェルダンにも分かる。
「フィオーラの言うとおりだ。そもそも生還出来ないとレナート様も救えない。シェルダン、水分補給と携行食を摂るだけ。最低限の小休止だ」
ゴドヴァンからも説得されてしまう。
自分は焦り過ぎている。シェルダンにも自覚はあって。素直に2人の言葉に従うこととした。
(なんて浅ましい)
シェルダンは食糧を口に入れて、咀嚼するごとに身体に力が戻るのを感じた。
敗けたのだ。
今は敗走し、撤退している惨めさの中で、自分は食糧を摂って、力を取り戻している。まして、身を挺して自分たちを護ってくれた仲間が一人、死にかけているところだというのに。
「よし、行こう」
まだ疲れの残る顔でゴドヴァンが言い、立ち上がった。
シェルダンも立ち上がった。難儀そうなルフィナには手を差し伸べる。
「どう休もうと、完全に元気になるっていうのは無理ね」
ルフィナが弱々しく笑って言う。
(申し訳ありません。気を使わせて)
休憩は自分とゴドヴァンのためだった。ルフィナだけはレナートの延命のため、回復光に解毒の魔術を幾つかまた試していたのだ。徒労に終わってしまったのだが。
「それでも、休もうと、そう仰って頂いて、私は助かりました」
告げるのがシェルダンには、やっとである。
三者三様の思いはあれ、レナート以外の自分たち3人、同じ思いをし、打ちひしがれているのだった。
(だが死ぬ訳にはいかない)
シェルダンはレナートの様子を見て思う。
まだ息がある。なんとしても人のいる場所へ、医師の元へ送り届けたい。ルフィナ他、優秀な人々がさらに知恵を絞れば、この厄介な瘴気の解毒も可能なはずだ。
胸に巻いていた鎖を解いて、流星鎚と結着させた。
(そうでなければ、救われない)
シェルダンは思い、赤い転移魔法陣へと足を踏み入れる。
景色が変わった。
毒々しいほどの緑に視界を圧倒される。
最古の魔塔、第1階層の密林。
(これ以上は誰も傷つけさせはしない)
低い唸り声とともにあらわれたハンマータイガーの頭を、シェルダンは流星鎚でもって、出会い頭に叩き潰す。
(つがい、か)
更にもう1頭。
襲いかかる前腕に魔石の鉄球を叩きつけ、もう一方の鉄球で顔面を砕く。あっという間に2匹を片付けた。
ゴドヴァンとルフィナもあらわれる。
オーラなど、3人とも、とうに切れていた。
シェルダンも自身にかける法力しかない。第1階層であれば不要ではあるのだが。レナートを負傷させた惨めさを助長しているようでもあった。
「すげえな、あの、ハンマータイガーを1人で2匹も」
ゴドヴァンが2匹分の死体を見て、零した。
「ただ、必死です。本来の、私の力以上ではないかと」
シェルダンは答えるに留めた。同じことをもう一度しろ、と言われても出来ないのではないか。
だが、ここからは、それが必要な場面の連続だろう。
「行きましょう」
ハンマータイガー2匹の骸に気を呑まれたような顔をする2人を、シェルダンは先導した。
ゴドヴァンの背中に負われたレナート。
まだ、息はある。喋ることすら出来ないが、背中に僅かな動きが見えた。
(まだ、諦めてはならない)
心の内で何度も言い聞かせながら4人で進む。
先導するシェルダンは死にものぐるいだった。
(戦わせるわけにはいかん)
レナートを背負うゴドヴァンに、激しい動きをさせたくなかった。
何度もルフィナが回復光をかけて、内臓の弱ったところを都度癒やしているとのことだが、瘴気の解毒が出来ないため、イタチごっこなのだという。
(何が出ようと、俺が。何が出ようとも俺がやるしかない)
シェルダンは最上階から敗走を始めて以降、家訓のことなども忘れていた。
サーペントにハンマータイガー、青竜も。数匹同時では殺されてしまう。なるべく自分一人で単体を相手取れるよう、最低限の警戒を維持しながら先頭で歩く。
「シェルダン、道は分かるのか?」
しばらく進んでからゴドヴァンが問う。
既に半分ほどの行程を消化した後である。
今更の問いかけだが、咎める余力も無かった。代わりにノートを見せつける。
第1階層でも、きちんと自分は記録を取っているのだ。
(なぜ)
すると、また疑問に襲われる。
ここまできちんとして、レナートの神聖術もあって、なぜ敗けたのか。
それも、一度は勝ったと思わされた上で。
何度考えても分からない。
ただ、分からない理由だけはよく分かっていた。
考えても分からないとき、何か知識が足りないからなのだ。
(だから、考えてもしょうがない。そして、だからこそ、俺はもっと、もっと知らなくてはならない)
また、レナートが復活したら、もう一度、この魔塔に挑むのだ。その時には、自分は更に魔塔への知識を蓄え、ゴドヴァンもルフィナも腕を上げている。
密林を急ぎ、歩きながらシェルダンは決意した。家訓だ、なんだ、にも煩わされず、次は迷わず全力を尽くす。最古の魔塔を崩すために。
待ちに待った、黒い入り口がポッカリと口を開けている。
「まだ、気を抜けませんね。おそらく、入り口内も魔物がいるでしょうから」
疲労と安堵を感じつつもシェルダンは3人に告げて、なおも用心しながら、暗闇の中を抜ける。
この辺りでは、自分の記憶も定かではない。サーペントの数匹ぐらいは倒していた気がする。
自分の疲労もまた極限に至っていた。
ただ、レナートが生きている限り死ねない、と言い聞かせていたばかりで。
闇の中を拔けて、さらに最古の魔塔を出た森の中で、初めて肩の力も抜けた。
同時である。
「良かった。君たちは生還出来て」
レナートの呟きが聞こえた。
ハッとシェルダンは振り返る。
「娘を、セニアを頼む。君たちになら」
最後まで言うことなく、ゴドヴァンの背中の上、レナートが息絶えていた。
「うそっ、レナート様っ!」
ルフィナが叫び、ゴドヴァンに縋りつこうとする。
自分はただ、呆然としていた。
ゴドヴァンがそっと、何か耐える顔でレナートの亡骸を地に寝かせる。
冷静に、改めて見ると、今まで、生きていたのが不思議なくらいの有様だった。顔も土気色、血もどれだけ失ったのか。被服には血が随所に飛び散っている。
「この人は、俺たちが途中で挫けないように、死なないでくれていたのか」
ゴドヴァンがかすれ声で呟く。
ただシェルダンはなおも呆然としていた。
(何なのだ)
結局、レナートが死んでしまった。
(俺は、レナート様だから、もう一度、次こそは、と)
顔も知らない、娘の為などではない。なぜ、娘の名前など出したのか。最後を看取った自分たちの前で。
一度は再戦を、と決意した気持ちが急速に萎み、途方に暮れている自分をシェルダンは認識していた。
ただ、悲しさと空しさが交互に押し寄せてくる。




