36 恋人紹介〜ルンカーク子爵夫妻2
「確かにシェルダン様に嫌われたら困るわ」
自分は存外、嫉妬深い人間なのではないかと最近のカティアは思い始めていた。
セニアがシェルダンから恋文を貰ったと誤解したときには、本気でセニアの食事に一服盛ろうかと悩んでしまったし、さっきもシェルダンがニーナという娘に会釈しただけで睨みつけてしまったのだから。
「ちょっと言いすぎちゃったかしら。大丈夫よ。あなたも綺麗なんだから。よほどきつく当たらなければ」
真剣に悩み始めたカティアを見て、母のリベラが言った。既に料理はほとんど出来上がっている。盛り付けて居間に持っていくだけだ。
母からは綺麗だと言われても、セニアには敵わないとカティアは思っていた。美しく着飾った時のセニアはまばゆいばかりであり、第2皇子のクリフォードが骨抜きになるのも無理はないと思えるほどだ。
細面で、少しきついところのある自分では引き立て役となりかねない。アスロック王国での縁もあって、セニアが本気でシェルダンに言い寄ったら見た目では負ける、と思ったから、あれだけ荒れたのだ。
「浮かれすぎてたかもしれないわ。嫌われない程度に気をつけなくっちゃ」
カティアは言い、母とともに料理を皿に盛り付けて居間へと向かった。
父の声が聞こえてくる。
「1000年も続く軍人さんの家系ですか。ドレシア帝国よりも歴史が長いのでは」
父のラウテカとシェルダンが、和やかな雰囲気で話をしている。
ドレシア帝国が建国してから500年ほどだったはずだ。カティアはおぼろげに女学校での記憶を探る。
「そうなりますが、代々うだつの上がらない軍人をしていたというだけのことです」
シェルダンが謙遜した風で言う。
おや、とカティアは思った。本当にはシェルダンが謙遜しているのではない、と感じたからだ。
初めてセニアやクリフォードに会い、平伏していたときに似ている。心にもないことを言ったり、したりするとき、シェルダンの目からふっと感情が消えるのだ。
(お父様が何か粗相をしたのかしら)
カティアは不安になってしまう。
「軍人として、戦場の最前線にいて、危険もいくらでもあろう中を、なお生き残ってきたと。私などには想像もつかないですな」
シェルダンやカティアの気を知ってか知らずにか、父のラウテカがのんびりとした口調で言う。父としては、自身がシェルダンよりも年長ではあっても、娘の恋人でもあり、息子の上司でもあり、と難しい相手なのだろう。丁寧に話すことにしているようだ。
「奇跡とも綱渡りとも言えるかもしれませんね」
にこやかにシェルダンか告げる。瞳に感情が戻った。
ほうっとカティアは息を吐く。どうやら父のラウテカに対して思うところがあるのではないようだ。
(じゃあ、ご自分の家について?)
確かに父の言うとおりで、1000年間も親から子へ軍人を続けていこう、などとは想像を絶することだ。途中一人ぐらいは別のことをしようとは思わなかったのだろうか。
思えばシェルダン自身も自らの家系についてどう思っているかをカティアは知らないのだ。
(浮かれていたけど、私、シェルダン様と一緒になれたら、軍人の妻ということになるのよね。しかも生まれてくる子を確実に一人は軍人にしなくてはならないということ?)
考えてみても先のこと過ぎて、カティア自身にも今一つ実感が湧かない。ただ、子供にはなりたい職業に就きなさい、と言ってあげたいような気もする。
どこまでも広がっていく、とりとめもないことを考えるよりも、カティアは今を楽しむことにした。
カティアは持ってきた皿をテーブルに置くと、笑顔でシェルダンの隣に座る。
「まったく、この娘ったら幸せそうな顔をしちゃって」
母が冷やかすように言う。
カティアよりもシェルダンの方が照れてしまっている。耳まで真っ赤だ。
「いえ、私のほうが果報者です。お邪魔をした上でこのようなおもてなしまで、して頂いて」
シェルダンがカティアを見て、父母を見てから告げる。
「私が、シェルダン様をお父様、お母様に見せびらかしたかったのだから。シェルダン様が恐れ入ることありませんよ」
カティアは思ったままを口にする。本当は焦りもあったわけだが、やはり自慢したい気持ちのほうが強い気もした。
「全くもう、ほんとにこの娘は。シェルダンさん、いつもはカティアはこんな娘ではないんですよ?心配になるぐらい真面目で仕事一筋で」
母のリベラがシェルダンに笑いかけている。両親とも仲良くしてほしい。カティアはシェルダンの顔を見上げて思う。
「さて、食べましょう。せっかくのごちそうが冷める前にね」
父のラウテカの言葉で食事が始まった。
和やかに食事をしつつ、父や母がシェルダンに軍のことを聞く。やはり親だからか少し違う話をしても息子のカディスの話へと落ち着いてしまう。
カティアとしては、まだ知らせない内からシェルダンが美味そうに卵料理を食べてくれたことが何より嬉しかった。
食事を終えると、つとシェルダンが改まった風に背筋をピッと伸ばした。
カティアは目を瞠る。
(あ、これはあれだわ。『娘さんを下さい!』をしてくださるんだわ)
つくづく自分の期待を裏切らないシェルダンにカティアは満足した。
「ルンカーク子爵様、畏れ多いこととは、本心から思うのですが、私は部下であるカディス君の紹介で、今、カティア殿と交際させていただいておりますが」
とてつもなく硬い口調でシェルダンか切り出し、言葉を切った。
父のほうが戸惑っている。
「願わくば今後も結婚を視野に入れて、交際を継続させて頂きたく」
シェルダンが言い、頭を下げた。
(あら、違ったわ。でも、嬉しい)
シェルダンの方から好意を明示してくれたことが何よりカティアには嬉しかった。が、重要なことに気づいてしまう。
父も母もシェルダンの態度に気圧されて返事をすぐには返せない。両親も既にカティアが不意討ちをしたと勘づいている。
そんな、不意討ちを食らったシェルダンが堂々と意思表示するとは、思わなかったのだろう。
「あ、シェルダン様」
カティアはシェルダンの袖を引っ張る。
「それ、まだ、私に言ってませんわ。それ、普通、私に言ってから、お父様とお母様に言うのではなくて」
カティアとしては、ただ単にこの嬉しい言葉をもう一度、二人きりの幸せな時間の中で甘く囁いて欲しかっただけである。
シェルダン本人が若干違った。
「しまったっ」
大声を出してしまっている。
「つい、予定外にお父上と御母上と面通しがかない、つい、先走ってしまったっ」
シェルダンの顔が青ざめている。一言の間に『つい』を2回連発するうっかりさんをカティアは初めて見た。
「いや、シェルダンさん、そもそもうちの娘がむしろ先走って不意討ちしたことが原因ですから」
父と母がとりなそうとするもシェルダンの耳には届かない。
「大変なご無礼を申し訳ありません」
シェルダンがテーブルに頭を擦り付けそうな勢いで謝罪する。
「シェルダン様、あまり卑屈な態度はかえって大きな減点になるのでこれくらいで」
カティアは面白くなってしまう。
「それに、もっと素敵なプロポーズを2人きりのときにしてくださるのでしょ?」
シェルダンに対して、カティアはプロポーズのハードルを上げてやった。これで、さりげなくプロポーズされることまで確約済みというわけでもある。
「あぁ、いや、もちろん。あっ」
シェルダンが約束してくれた。さらに何か気付いたようだ。
「カティア殿、これを」
シェルダンが、可愛らしい色使いの封筒を渡してくれた。
「私の思いを、拙い文章で恐縮ですがしたためました。魔塔攻略の戦に出て会えない間、お目通しいただけますか」
恋文だ。誤解させてしまったお詫びも兼ねているのだろう。
「ええ、もちろん、ありがとうございます」
カティアはきゅっと封筒を抱きしめた。
お腹いっぱいだ、と思った。好意を寄せている相手とデートして、その日のうちにプロポーズと恋文をもらえたようなものだ。今までで一番幸せな日だった、とカティアは満足した。