356 王都アズル侵攻
他の部隊も着々と王都アズルの市街地を進行していく。確実だが、どこか静かな侵攻だった。少なくとも一国家の首都を攻めるにしては。
シェルダンは鎖鎌を片手に辺りを見回す。
薄暗い空の下、寂れてくたびれた路地が目につく。
国の消耗がそのまま民の消耗であるかのように、一軒一軒の家や店舗にも手が行き届いてはいない。シェルダンの素人目にも補修の必要な壁ばかりだ。
(この辺りは、アスロックの軍属だったころも、よく通ったが)
シェルダンはつい昔を思い出してしまう。
人の気配をなんとなく感じた。中ではまだ住民が息を潜めている。
別の気配を見逃すことはない。
シェルダンは鎖分銅を素早く投じて、離れた路地にいる黒服を着た兵士の頭を撃ち抜いた。どうもアスロック王国軍の正規兵ではない。
「まだ、敵は各所に残っている。油断をするなよ」
誰にとも無く、シェルダンは警告する。
強いて言えば全員だ。今更、一人として死なせたくはない。なお、どうしても感傷を抱いてしまうのは、アスロック王国出身の自分、ラッド、イリスの3人だろう。デレクにガードナー、メイスンなどはただ驚いている。
時折、各所で小競り合いが起こっているのを目の当たりにした。それでも確実に王宮へと近づいている。
「とにかく、私らも王宮を目指すのでいいのね?」
隣を走るイリスが言う。気を抜いてはいない。絶えず辺りに気を配っていた。
(思わぬ拾い物だったかな。この娘も)
先頭を走るのは自分とイリスである。半歩遅れてデレクとラッド、最後尾を走るガードナーの守りにはメイスンがついていた。
侯爵家令嬢だったセニアの元従者なだけあって、イリスは自分やラッドよりも王都の道には詳しい。また、ペイドランや自分ほどではないが、隠密行動にも長けていた。
「それでいい」
短くシェルダンは告げた。
今頃、順調ならばセニアたちは最上階に挑んでいるはずだ。
第3ブリッツ軍団も第4ギブラス軍団も、魔塔の中に入ってしまえば、何も報せを第1ファルマー軍団には届けてこない。
頼りになるのは定めておいた期日だけ。
それが今日なのであった。時刻までしっかりと、正午と決めておいてある。指揮官のアンス侯爵とも申し合わせておいたことだ。
(自分の考えは正しいのだろうか)
シェルダンは走りながら自問する。
どう努力しても考えても確証を得られるものではなかった。
(それでも、信用して、専従させてくれるのは、破格の扱いだ)
シェルダンにとって、感謝をしたくはないが、せざるを得ないという相手がアンス侯爵となっていた。
今も独断で王宮を目指しているのではない、という形にもしてもらっている。城壁を破ったなら王宮を狙う旨の報告は済ませてあった。
アンス侯爵とも、到着してから何度もしたくもない相談をして、更には、したくもない情報交換を行ったのだ。
抵抗らしい抵抗もない。
「こんなに、ボロボロだったんだ」
ポツリとイリスが呟く。
弓矢が一本、飛んでくる。
シェルダンは鎖鎌で切り払った。屋根上に弓矢を構えた兵士が一人。さらに、鎖分銅を反撃で投じてシェルダンは撃ち倒してやった。反撃されるとすら思っていなかったらしい。
「集中してくれ。あんたに怪我されたら、俺がペッドに殺されかねん」
自分も思うところはあるがシェルダンはたしなめる。
反応はしていたので、イリスも自身で、弓矢も敵兵も捌けた可能性はあるのだが。
「悪かったけど、でも、そのペッドって止めて。それ、私のだから」
憮然とした顔で、イリスがあだ名の所有権を主張する。
腹を立てると集中しだすのがイリスという少女の不思議さなのだ。
トン、トンと跳躍して屋根上にいた弓兵士を今度は自力で仕留める。
「こんなざまで、まともな国を相手に勝てるわけはねぇ。魔塔もデカくなるわけだ」
今度はラッドまで感傷的なことを言い出した。
「この国の政治家は何をしていたんだ。まるで、国をわざと腐らせていたかのようだ」
メイスンが相槌を打った。相変わらず鋭いことを言う男である。
王宮に近づくと、敵兵の姿が建物の間にチラホラと見かけられるようになってきた。各所で狼煙も上がっている。守備兵が一定数、置かれているのだろう。
(やはり、王宮に近づくとそうか)
シェルダンは手を上げて停止の合図を一同に出した。
古びた貴族の邸宅が立ち並ぶ区画の先には、かつて壮麗だった王宮がそびえる。
既に屋根の上部くらいは見えていた。
シェルダンがいた頃よりも更にくすんで濁った印象だ。
(俺にとってはただ、遠いところだった)
遠すぎて諦めるしかなかった。シェルダンは苦いものがまた、込み上げてくるのを感じる。
レナートの死後、いっそ、単身での暗殺をしてやろうかと何度思ったことか。
(結局は出来なくて、いま、一番無理のない形で手が届くことになった)
時間が解決してくれたとでも言うのだろうか。だが、あまりにも長い時間だった。
深呼吸を1つして、シェルダンは気を整える。
いよいよ自分の本番だ。自分のなにかを察して、特務分隊の面々も、自分が口を開くのを待ってくれている。
「イリス嬢、どこか王宮へ抜け道はないのか?」
シェルダンはイリスにまず尋ねる。
「え?そんな、秘密の抜け道なんて、いくらなんでも」
本当に困った顔でイリスがたじろぐ。ペイドランが骨抜きにされたのもよくわかる愛らしい仕草だった。
「秘密じゃなくていい。聞き方が悪かったな。せいぜい、あまり敵のいなさそうな、主要じゃない通りぐらいだな」
苦笑してシェルダンは言う。早速、力みすぎていたのかもしれない。
「こっちは平の兵士なんだ。さすがに貴族街の地勢は分からん」
大まかな地勢ぐらいならば知っているのだが。
シェルダンはラッドと顔を見合わせてから告げる。おそらくラッドも詳しくはない。
「そっか。それぐらいなら」
イリスが考える顔をした。
そしてすぐにでも走り出そうとする。足も気も速い娘だ。
「ちょっと待ってくれ。少し話を、皆にしておきたい」
シェルダンはイリスを制止して告げる。
もし自分に何かあれば、誰も何をすべきか分からなくなってしまう。
「話、とは?」
メイスンが鋭い眼光を自分に向ける。
「お、おれ、隊長の言う通りに、す、するだけです」
ガードナーが珍しく口を挟んできた。
「俺もだ。考える頭はねぇし」
鎧の内側からくぐもった声でデレクも同調してくれる。
新調した鎧の硬度は素晴らしく、直撃した矢ですら傷つけることが出来ないほどだった。
間違いなく、この特務分隊の主力の一人なのだ。
(だから、デレクも知るべきだ)
シェルダンは気持ちを改めて固める。
「話しておきたいのは俺が今回、何を考えているか、だ」
本当はもっと早く告げるべきだったのかもしれない。
大事にコトを運びたくて、秘密にしようとしすぎた。
「え、言ってくれるんだ」
手放しで驚くイリス。
人をなんだと思っているのだろうか。ラッドが無音で大笑いだ。
「あぁ、知っておかないといけないからな。むしろ、遅かったぐらいだ」
シェルダンは告げる。
「まぁ、シェルダン殿の場合、いつものことですからね」
呆れた口調でメイスンにまで、言われてしまう。
やはり王都進行前には言うべきだった、とシェルダンは後悔する。
「以前にも一度言ったが、いかに腕を上げようと、このままではセニア様は、ヒュドラドレイクには勝てん」
シェルダンは意を決して切り出した。
「ね、前にも言ってたけど、それ、どういうこと?」
イリスが無心に尋ねてくる。
「最古の魔塔の主ヒュドラドレイク、こいつは魔核を2つに分けているからだ。中にある片方だけをいくら潰しても核ごと再生するのはそのためだ。魔塔の外に分体がいる。それを倒さねばならん」
シェルダンは、自分の至った結論の1つを明かす。
「なるほど。それで」
納得した顔をするのは最年長のメイスンである。
「だから、隊長は外にいようってのか。そいつを始末するために」
デレクも頷く。
「ま、待ってよ。そんなこと言ったって、その分体ってどこにいるのよ」
イリスが焦った顔でさらに尋ねる。一応、ヒュドラドレイクの分体が外にいることについては受け入れてくれたらしい。
「奴は外に出たついでに、魔塔の有利となるよう政治を乱す。歴史上、そっくりそのまま同じではないが、似た魔物の記録がうちに残っていた。アスロック王国やドレシア帝国の、更に前の話だ」
シェルダンの言葉にイリスがハッとした顔をする。
最古の魔塔にもたらされる瘴気を増すため、アスロック王国の政治を乱した人間など、シェルダンは一人しか知らない。
「あぁ、王太子エヴァンズ殿下。あの方は魔物だ」
シェルダンはハッキリと言い切った。
一介の軽装歩兵の身で、一国の王太子など狙えない。近くには腕利きのハイネルもワイルダーも揃っていたのだから。
だが今は、2人とも戦死している。
「そんなっ!なんで、嘘よ!あの人、確かに馬鹿だけどそういう感じじゃ」
イリスが声を上げる。イリス以外に直接王太子エヴァンズを知る人間はいない。
「俺も、魔塔を残す以外には、実に適切な判断をされる方だと思っていたが」
同じくアスロック王国出身のラッドも首を傾げている。
「上手く偽装しながら魔塔を保護したってことじゃないか。あの方は魔物だよ。知らぬ間に成り代わっていたんだ」
やはり自分の結論は変わらない。シェルダンは断言する。
「ヒュドラドレイクを完全に滅するには、魔塔の中と外、いずれにも魔核がない状態を作るしかない」
つまりほぼ同時に、魔塔上層攻略を成しているセニアたちと自分たちとが仕事をしなくてはならないのだ。
「そう、そんなに難しいことなんだ。だったら、迷ってらんない。それは、私にも分かるわよ。でも、セニア、魔物に婚約破棄されたってこと?」
あまりに不憫な、自身の元主人に思いを馳せて、イリスがいたましげな顔をする。
「私も分かりました。王太子エヴァンズ、よくは知らない御方だが、それならば滅するしかない」
メイスンもまた納得してくれた。この2人が納得すれば元々の部下3人について、心配はない。
「ガードナー」
シェルダンは低い声で、もっとも攻撃力には信用のおける部下の名前を告げた。
「ひぃっ」
攻撃力しか信用しきれないのはこの悲鳴癖のせいである。
「王太子エヴァンズ、やつは魔物だ。出会したら即座に渾身の雷魔術を撃ち込め」
迷っている暇など、いざ出会してしまえばない。
人間に偽装しているのは、魔塔の主ヒュドラドレイク本体ほどの戦闘力はないからだ。
(本当は生け捕りにすることも考えたが)
人間の姿のまま生け捕りにして、現場で同時に倒すのだ。
(だが、階層主ぐらいの戦闘力はあるともいうから、非現実的だ)
生け捕りにした階層主とともに、魔塔の最上階を目指すのはいくらなんでも無理だ。
「は、はいぃっ」
素直にガードナーが頷く。何度も修羅場を潜っており、態度とは別に肝が据わっているのだった。
「本気なの?本気で王子を?」
イリスがかすれた声で言う。だが、何度も頷いてもいて。理性では倒すしかないと分かっているのだ。
「よし、しておきたかったのは、ここまでだ。後は予定通りの時刻にエヴァンズ殿下、いや、ヒュドラドレイクの分体を倒すだけだ」
シェルダンは一同を見回して宣言した。
力強い仲間たちの視線を受け止めると自らも力が漲ってくる気がする。
「メイスン、やつは瘴気を吐くだろう。オーラを全員に頼む」
シェルダンの指示通りメイスンが分隊員にオーラをかけていく。
そして、6名は一丸となって、王宮の正門へと足を踏み入れるのであった。




