342 聖騎士と軽装歩兵の思い出⑭
シェルダンは自分の背嚢にレナートから受け取った教練書を納める。
「よし、じゃあ、話も決まったし、覚悟も決まった。私はいつでもいけるぞ」
レナートが力強く抜身の聖剣を手にして告げる。
緑がかった光を放つ剣身が場違いなほどに美しい。
「俺たちもだ」
ゴドヴァンが大剣を手に、ルフィナとともに立ち上がる。
まだ、2人には教練書の話をしなくてもよいだろう、とシェルダンは思った。勝てば単なる杞憂に終わるのだから。レナートに返すだけである。
(そして、そもそも勝てないのなら、上るべきじゃないんだから)
シェルダンは流星槌を手にしたまま思う。
鎖の環、一つ一つが月光銀で出来ている。1代で1つずつ鎖の環を増やすこととなっていた。
(いずれは俺も)
現役を退く時にはまた環を増やす。そして、流星槌はいざとなれば防御にも役立つ代物なのであった。鎖を外すということは無防備になるということでもあって。だから使う時には覚悟が要る。
「では、参りましょう」
シェルダンは告げて、3人よりも先に赤い転移魔法陣へと足を踏み入れる。
景色が一瞬で変わった。
薄暗い屋内。くすんだ白い石造りの壁面が視界に飛び込んできた。
煌々と篝火が燃え盛る中、祭壇が奥に見える。実に立派な祭壇だ。
「これは、凄いな」
ポツリとシェルダンは呟く。
両側の壁面には精緻な紋様まで刻み込まれているからだ。手が込んでいれば込んでいるほど、強い瘴気を持つ、そのあらわれだと言われている。
遅れて残り3人もやってきた。
「ここが最上階?」
キョロキョロあたりを見回しながらルフィナが尋ねる。
「ええ、奥が祭壇となっておりますので、間違いないかと」
シェルダンは奥に目を向けたまま答えた。本当は第7階層まであるのでは、という恐怖を拭えなかったのだが、祭壇である以上、もう間違いはない。
(ここが最上階だ)
影が蠢いている。目を逸らせるわけもない。強力に違いない魔物だ。
影が伸び上がる。
無数の首を持つ竜が明かりの中、姿を晒した。
(なんて、悍ましい)
首筋あたりに鳥肌が立つのを感じる。
軽く10ケルド(約20メートル)はあろうかという体高に幅のある身体。漆黒の鱗に全身を覆われ、数え切れない頭がウネウネと蠢く。輝く真紅の瞳が視線を突き刺してくるかのようだ。
「ヒュドラドレイク」
掠れた声で、シェルダンは呟く。口の中が緊張感のせいでカラカラになってしまう。
魔塔にあらわれる竜種としては最上級の邪竜である。
「で、でかい」
ゴドヴァンが後退りして言う。
「そして、おぞましい」
ルフィナの顔面も蒼白だ。
気圧されているのは自分だけではないのであった。
「全ての首から毒の炎を吐く強敵です。そして、あの首の数でそれを。身体も頑強です」
おまけに再生もする。一撃で核を撃ち抜くしか勝ち目はない。
全てを口に出すことがシェルダンは出来なかった。
言えば言うほど絶望が肩に重たくのしかかるからだ。
(4人では無理だ)
シェルダンは思う。いかにレナートの光刃でも、あの巨体を一撃で、とはいかないのではないか。
が、当のレナートが動じていない。
「攻撃など、いや、何一つとして、行動をさせんよ」
眩い光を聖剣が放つ。まるでレナートの命が輝いているかのよう。
そして、毒の炎よりも光の方が速いのだという当たり前のことを、シェルダンは思い知った。
「極光刃」
静かなレナートの声。
巨大な光の刃がヒュドラドレイクの巨体を毒の炎ごと飲み込んだ。そして肉体を光の中で塵へと変える。もがく暇すら与えない。
人間を認知してから、魔物が殺意を行動に移すまでの間をうまく突いている。
「す、すげぇ。これが聖騎士」
呆然としてゴドヴァンが呟く。
「怖いぐらい。でも、きれい」
ルフィナも声を漏らした。
(こんな、まさか、これほどとは)
シェルダンに至っては声すら発せられなかった。
ヒュドラドレイクを初見で倒せた人間はいないとされている。敗走して頭数を揃えて叡智を結集して、やっと初めて倒してきたのだ。
光の刃がヒュドラドレイクの身体を全て塵へと変えて、そして、魔核までを間違いなく砕いた。
「勝った!やった!」
ゴドヴァンが叫び、ルフィナの手を取って小躍りする。
自分たちは何もしていない。それでも喜ばしいことだ。魔塔が自分たちの国からなくなった、ということなのだから。
「やった、セニア」
レナートも立ったまま呟く。顔には会心の笑みが浮かんでいた。
(おかしい。なぜ、転移魔法陣が出ないんだ?)
直後、シェルダンは気づいてしまう。
単純に頭が自然と次にすることを考えてしまう結果、気付けたに過ぎない。
信じられないものをシェルダンは見た。
虚空に魔核がみるみる再生していく。さらには肉体も。
(馬鹿なっ)
気づいているのは自分だけだ。
「まだですっ」
シェルダンは声を上げる。
遅かった。再生したヒュドラドレイクの首たち。その赤い瞳と自分の目があった。
紫がかった毒々しい炎が迫ってくる。自分の持つ如何なる選択肢でも防ぐことは出来ない。混乱とあまりの迫力にシェルダンは束の間、思考を停止させてしまった。
反応できたのはレナートだけだ。
「ぐうっ」
レナートが自分たちと炎との間に立つ。まばゆい光だけが見えた。
光の壁を法力でレナートが作ってくれたのだ。紫色の炎が遮られている。
(くそっ、仕切り直しだ)
とりあえず初撃をレナートが防いでくれた。
(だが、核を間違いなく砕いた。それでもなぜ今、現に生きている?それが分からない内は勝ち目などない)
混乱する頭で必死にシェルダンは思考を巡らせる。
「ごふっ」
レナートが立ったまま仰け反り、吐血した。
守られたのは自分たちだけなのだ、と遅れてシェルダンは悟る。
レナート自身は毒炎を防ぎ切ることは出来なかった。
「退却っ!」
とにかく大声を発する。
誰にどう、などと考える余裕もなかった。
レナートが毒を食らった以上、勝負にならない。
ゴドヴァンがルフィナを抱えて赤い転移魔法陣の直近まで退がるのをシェルダンは確認した。
シェルダンもまた、鎖鎌の鎖をレナートの足に絡めて、引きずって逃げる。
(レナート様)
まだ、光の壁が生きている。
自分たちなどを守るために毒を受けたのだと痛切にシェルダンは思う。
(俺は、身代わりになる、いざとなったら、そのつもりじゃなかったのか)
後悔しつつ、光の壁が生きているうちにシェルダンも、ぐったりとしたレナートを連れて赤い転移魔法陣へと至る。
そして、第5階層へと逃げ込んだ。
(どうなってる?なぜ?魔核を砕いたはずだ)
通常、魔塔の魔物は元いる階層を出ることはない。
だというのに、シェルダンは第5階層でも安心できなくて、ゴドヴァンらを急かし、第4階層でようやく一息をついたのであった。
「魔核を砕けば、魔物は倒せるのではないのですか?たとえ、階層主であろうと、魔塔の主であろうと」
メイスンがかすれ声で尋ねてくる。デレクに至っては口を挟んでも来ない。
結果は今、話したとおりなのだ。
「魔核までを、間違いなく、レナート様は砕いた。が、ヒュドラドレイクは再生した」
首を横に振って、シェルダンはもう一度告げた。
メイスンも顔面蒼白だ。
「俺たちは勝ったと思ったが、再生され、虚をつかれ、レナート様を失った」
今となっても情けない。勝つまでは勝ちではないのだ、という認識が今よりも、当時は薄かった。
恐怖に呑まれなければ、レナートを守るなり助けるなり、自分の流星槌ならば出来たのではないかと今でも思う。鎖を風車のごとく回せば自分はかなり広域を防げるのだから。
「俺は魔核まで砕けたのは間違いないと、今でも言い切れる。それでも再生された。奴には何かあるとすぐ分かった。だから、調べに調べた。その上で」
シェルダンは言葉を切って、メイスンを正面から見据える。
「お前の存在がとんでもない幸運で、救いになるんだ、とはっきり言い切れる」




