34 第7分隊〜ハンス4
いよいよ『ホワイトリバー』は他の客で席が埋まり、外には座って待つ者もいる。いつまでも居座ってはいられない。
「そろそろ出ましょうか」
シェルダンはカティアの手を取った。そして、いたたまれなくなり、二人は会計を済ませて店の外へ出る。
ルベントの町中を通る川沿いの聖教会へと向かう。聖教会もルベント南部にある。そもそも聖教会に近いからシェルダンは『ホワイトリバー』を昼の食事場所に選んだのだ。
「しかし、カティア殿、なぜ今日は教会へ?」
川沿いのきれいに色とりどりの煉瓦で舗装された散歩道を歩きながら、シェルダンは尋ねた。
既に古びた教会が街路樹の向こうに見えている。元は純白で遭ったであろう、くすんだ外壁に濃い緑色の尖塔。光の神を祀る聖教会である。建築の様式や色使いも決まっているそうだ。
宗教としてはドレシア帝国もアスロック王国も共通しており、ともに魔塔に対しての、光の神を信奉しているという。一応、信心は薄いながら、シェルダンとカティアも厳密には信者ということになるのだった。
「シェルダン様には笑われるかもしれないけど、私だって女の子なんですよ?」
はにかむようにカティアが言う。
シェルダンは首を傾げる。
「それは、カティア殿のように美しい方は、まず間違えることなく女性でしょう」
美しい容姿にたおやかな所作、どこに疑問の余地があるというのか。
「もう、お上手ね」
軽くシェルダンの腕を叩いて、カティアが珍しく照れた顔をする。
そしてシェルダンも自分が恐ろしく気障なことを口走ったことに遅れて気づく。耳まで熱い、という経験を生まれて初めてした。
「隊長」
不意に後ろから声をかけられた。声からして、ハンスである。
振り向くと予想通り、ハンスが私服姿で立っていた。ハンスも栗色の髪をした、小柄な可愛らしい女性を連れている。10代後半くらいだろうか。恥ずかしがるように若干ハンスの陰に隠れて立っている。
「ハンスか。あー、まさか、ここで会うとはな」
カティアと一緒にいるタイミングで分隊員に会ったことへの動揺が隠せない。何とも歯切れの悪い返しをシェルダンはしてしまう。
隣りにいるカティアが感情を読ませない不思議な眼差しをハンスに向けている。笑っているのだがどこか冷たいのだ。シェルダンから見てもかなり恐ろしい。
「ええ、俺もまさかとは思ったんですが。髪の色見て、近づいたら、あ、隊長だって」
笑いながらハンスが言う。肝が太いのだろうか。気まずいシェルダンや隣でカティアに怯えている恋人のことは意にも介していないようだ。
ハンスの恋人と気まずい者同士で目が合った。お互いに軽く会釈をする。
「シェルダン様、今のは、浮気になりますわよ?」
即座にカティアに見咎められた。威嚇するようにハンスから恋人に視線を移している。ハンスの恋人が震え上がった。
「えっ、そんな、いまのがですか」
シェルダンも驚いて声を上げる。いくらなんでも判定が厳しすぎると感じた。
「いやー、隊長、羨ましい。こんな綺麗な人と、熱々じゃないですか」
ハンスがシェルダンとカティアを見比べ、ヘラヘラ笑いながら言う。恋人がベチン、ベチンと腕を叩いているのにまるで空気を読めていない。
カティアがシェルダンの右腕に甘えるように縋りついた。
「そうよ。私達は熱々で、男だろうと女だろうと入り込む余地はないの。ダブルデートだなんて嫌ですわ」
カティアが突き放すような口調で言う。
「いや、カティア殿、ハンスもそんなことは一言も」
一応、シェルダンは取りなそうとする。
ハンスもさすがにここでカティアの様子に気づき、気まずそうな顔をした。
「えぇ、流石に、邪魔する気は。すいません。そもそも今思えば、声をかけたのが軽率だったかも。知らんぷりもどうかと思ったんですが」
ハンスが素直に頭を下げる。行動が悪い結果をもたらすことも多いが、根っこの人柄は良い男なのだ。
「ね、ねぇ、私達も私達で」
カティアからの視線に耐えかねると言わんばかりにハンスの恋人も袖を引っ張り始めた。
「あぁ、ニーナ。悪い。ただ、それにしても、隊長の恋人、副長に似てないですか?」
袖を引っ張られながらも、余程気になるのか、ハンスが尋ねてくる。
ずいとカティアが前に出た。
「えぇ、私、カディスの双子の姉でカティアと申します」
カティアが胸に手を当てて自己紹介した。先程までの態度ともまた違う反応だ。
なるほど、と今回はシェルダンにも分かった。
(かといって、既成事実を作る機会は見逃さない、と)
もう、これで完全にシェルダンにはカティアという恋人がいると、分隊員たちに認知されることとなった。その代わりシェルダン自身はしばらくカティアの話ばかりを隊員たちにさせられるのだろう。何とも恥ずかしく照れくさい。
ましてロウエンやリュッグなどと違い、ハンスであれば確実に言いふらす。人選も完璧だ。
「成程!俺にも言ったってことは公認なんですね」
言いふらす気であるのをハンスも隠そうともしない。自分がそういう人間であることも自覚しているようだ。隣で恋人に「そういうの良くないよ」と小声で言われているが気にも止めない。
「いずれ軍営にもご挨拶へ、と思っていたけど。手間が省けたわ」
にこやかにカティアが告げる。ハンスの口の軽さを挨拶の代わりとするのはいかがなものか、とシェルダンは思ったものの、あえて指摘はしなかった。
「はぁ、こんな綺麗な人が隊長の文通相手だったとは。隊長も隅におけないですね」
ハンスがカティアをまじまじと見つめて告げる。
とうとうハンスの恋人ニーナの堪忍袋の緒が切れた。
「もうっ、ハンスなんか知らないっ!せっかく貴方のために教会へ来たのにっ!私、帰るから!」
ニーナが教会に背を向けて歩み去っていく。目の前で恋人でもない女性を褒め続ければ至る当然の帰結である。
「あっ、ニーナ、ごめん!待ってくれっ」
ハンスがシェルダン達に頭を下げ、ニーナを追う。
カティアが二人の背中に小さく手を振っている。確信犯だ。理由はよくわからないがハンス達が邪魔だったのだろう。
「カティア殿、流石に今のは」
シェルダンはたしなめようとする。自己都合で他の恋人たちの間に亀裂を生むのは褒められたことではない。
「えぇ、ちょっとやりすぎたかしら」
カティアがしゅん、と悄気げた顔をする。なぜか守ってあげたくなるような気持ちに襲われるのをシェルダンはこらえた。今はたしなめようというところなのだ。
「でも、私、シェルダン様の今回の魔塔攻略でのご無事をお祈りしたくて、教会へって」
時間差でもらえた返答にシェルダンは凍りつく。
「あのニーナって女の子には悪かったけど、何としても私、シェルダン様と2人きりでお祈りしたくて。つい、あんな真似を。でも、これではしたない、とシェルダン様に思われてたらどうしましょう」
心持ち、顔を背けて震える声でカティアが言う。
つまり、同じ軍人のハンスを見て、ハンスらの目的地も教会だと察して、お祈りの時間がずれるよう目論んだ。
(反則だろう、これは)
もう、シェルダンはカティアを咎めることなど出来ようはずもなかった。出陣前に無事を祈ってもらえて喜ばない軍人はいない。待ってくれている人がいるというだけで、生存への強い意志になる。おまけに思いを寄せる妙齢の女性からとなれば尚更のことだ。
「いや、カティア殿、そんなふうに思って頂けていたなんて。本当に果報者です、私は」
シェルダンは素直にカティアの厚意を喜ぶしかなかった。
「まぁ、良かったわ」
途端にカティアが機嫌を直してニコニコする。変わり身の速さにシェルダンは嘘泣きを疑った。
「さぁ、シェルダン様」
カティアがシェルダンの手を引いて聖教会へと向かう。
聖教会の古びた聖堂。北向きに建てられ、北から入った参拝者が後光の差す神体と向き合うことになる。一番奥の中央に炎と翼を模した神体が祀られており、手前の緑色の絨毯を敷いた場所が、祈りを捧げる間だ。
人は光の神の具体的な姿を知らない。闇を照らし、抗う力を炎と光の翼によって授けた、とされている。
ハンス達を追い払ったせいか聖堂は無人だった。隣の一軒家には仕える神官が暮らしているそうだが、今、聖堂の中にはいない。
シェルダンとカティアは並んで絨毯に片膝を付き、祈る。
目を瞑ってお互い思いの限りを尽くしてお互いの無事を祈る。シェルダンはシェルダンで軍不在となるルベントにてカティアが息災であって欲しいのだった。
祈りを終えて、聖堂を出た。
「シェルダン様、こちらへ」
カティアが微笑んでシェルダンを、聖堂前、御守などを売る露天商へと誘う。
「祈るだけじゃ気が済まないから」
薄く笑って、カティアが一本、店頭にある御守を手に取った。透明の珠を幾つも紐で括り、手首に巻く種類のものだ。
「俺もですよ」
シェルダンもカティアと同じ種類の、色違い、薄い紫色の珠を手に取る。
会計をしていると、ちょうど仲直りをしたと思しき、ハンスとニーナが聖堂へ入っていくところだった。
ハンス達もハンス達でお互いの無事を祈るのだろう。
(死ねないし、死なせられない、な)
部下の命を預かっている。部下にも死ねば悲しませる人がいることを忘れずに戦い抜こう、とシェルダンはカティアの横顔を眺めて決意した。
このあと、より大変に心労のあるイベントが待っているとも知らずに。