338 聖騎士と軽装歩兵の思い出⑫
ルフィナはまだ悄然としているシェルダンの背中を撫で続ける。こんなときでも羨ましそうなゴドヴァンのことは、さすがに放置するしかなかった。
「申し訳ありません」
小さな声でシェルダンが言う。
自分の怯懦が退却の判断をさせてしまった、と自分で自分を責めているようだ。
(勇気と蛮勇は違う。慎重と臆病も違う。今回は良い方の判断だと私は思うけど)
ルフィナは思い、ゴドヴァンにも視線を送る。
そのゴドヴァンもシェルダンの肩に手をポン、と置いた。
「俺も何度かみっともないところを見せた。お前のこんなのは、謝るほどのことじゃねぇよ」
ゴドヴァンもまた、シェルダンを咎めるわけもないのであった。
「そのとおりだ、シェルダン。無理を言って、君にはついてきてもらったんだ。君が決意してくれたから我々もここまで来れたんだ。君は最高の軽装歩兵だ」
微笑んでレナートも言葉を添える。
不思議とレナートに言われるとまた、自分たちも安堵して力が湧いてくるのであった。
(何なのかしらね。同じこと言っても言われても、他の人じゃ、こうはならないのだけど)
もう一度、ルフィナはゴドヴァンと目配せする。
「だが、どうせ退くなら、せめて、第5階層の階層主を確認してからにしないかい?そうすれば、次に挑むとき、対策を練られるだろう?」
レナートがシェルダンに視線を向けて提案する。
つまり実際のところ、シェルダンに対して、もう一仕事してほしいということだ。戦闘ではなく、ただの偵察をするだけならば、ルフィナにもゴドヴァンにも出来ることは少ない。
(シェルダン次第ね)
ルフィナはまたシェルダンに視線を戻す。
しばらく考えてから、ゆっくりとシェルダンが頷いた。危険性と得られるものとを天秤にかけていたのだろう。やはり慎重な少年である。
それでも、やる、ということだ。
(そうね。次はもっと準備をして、第1階層から慎重に挑むの。そうすれば次は、次こそは勝てる)
ルフィナも気持ちを作り直す。そして、次をしっかりと考えているレナートに感嘆もしている。
ゴドヴァンの方を見るとコクコク頷いていた。
「さすがです、レナート様。少しでも、次のために備えておこうっていう発想、俺にはなかったよ」
ゴドヴァンが手放しで賛同する。
レナートがいいんだ、と言うように首を横に振った。
「私も賢明な判断だと思います。入り口付近は閑散としておりましたので。安全に取れる情報ならば幾らでも有ったほうが良い」
シェルダンが言い切って顔を上げた。
項垂れていた心に喝を入れるように、背筋をピン、と伸ばした。
「重ねて、申し訳ありません。見苦しい醜態をお見せしました」
いつもの無表情に戻ったシェルダンが言う。
「あら、可愛かったわよ?」
冗談めかしてルフィナはからかってやった。
とても決まり悪そうな、嫌な顔をするシェルダン。人生最大の失敗を侵した、とでも言わんばかりの渋面である。
「フィ、フィオーラ、そんな」
そして、自分にとって大事な相手であるゴドヴァンのヤキモチを誘発してしまった。
なんとかしなくてはならない。ルフィナも焦ってしまう。
「あ、あなたが、お、落ち込んでたら、き、きっと、もももっと、可愛いから、かわ、か、あ、無理」
上手い切り返しがあまりに恥ずかしいのでルフィナは断念した。ゴドヴァンが少しだけガッカリしている。顔を見合わせて少し俯く。
「まったく、2人で何を惚気けているんですか?浄化したとはいえ、ここは魔塔ですよ」
いつもの調子に戻ったシェルダンが呆れ返った顔をしている。この少年はまだ恋を知らないからそんなことを言えるのだ。
「私が再度先行致します。皆さんは5分後に」
シェルダンが赤い転移魔法陣の中へと姿を消した。
「意外だったな。あいつもあんな風になるんだな」
ゴドヴァンがしみじみと言う。
いつもの仏頂面よりも人間臭くてルフィナとしては親しみが持てた。
「むしろ、まだ16歳でしょう?今までが異常だったのよ、あれが普通よ、普通」
ルフィナは笑って返す。
「まだ若いが、本当にいろいろなことを知っているし、判断力も完成されていて心強い。知っているからこそ怖さも分かってしまう。あれは無理もない、といえば無理もない」
レナートも穏やかな声音で返す。
なぜか穏やかなのは口調だけ。このレナートは怖いのではないか。ふと、そんな錯覚にルフィナは襲われる。
(バカね、私も。珍しい、シェルダンの恐怖に当てられたのかしら?)
首を横に振って、ルフィナは考えを打ち消した。
「よし、時間だ」
きっかり5分後にゴドヴァンが告げて、3人は第5階層へと上がる。
黒い空、雲。眼前には漆黒の神殿がそびえ立つ。正面にはポッカリと空いた口のような入り口が見える。
「あれか」
レナートが呟く。
傍らにはいつの間に近づいたのか、シェルダンも立っている。
「最上階の手前では、あの中に、階層主のいることが多いのです。私が気配を消して先行いたします」
シェルダンであれば階層主に見つかることなく、戻ってこられるだろう。
妥当な判断に思えるが、ルフィナには何かが引っかかる。
それでも、今更、何に疑問や疑念を抱けと言うのか。
「いや、我々も同行しよう。万一、シェルダンに何かあったら大変だ。助け合うのも仲間だよ」
レナートの言うことももっともだ。
「分かりました。ただ、決して私より前に出て階層主との距離を詰めないでください」
シェルダンの指示におとなしくレナートが頷く。
赤い転移魔法陣から離れて、神殿の入り口へと近付く。
不気味なほどに静かだ。魔物とも出会さない。
無言でシェルダンが外から神殿の中を伺う。危険を感じないのか。自分たちのほうを振り向いて、後へ続くよう手振りで示していた。
神殿に入る。
最奥の壁際に、軽く10ケイル(約20メートル)はありそうな巨体が立っていた。濃い紺色の濡れたような光沢を放つ鱗。ずんぐりとした胴体からは長い首が2本生えている。
「双頭竜、まだ、こんな強力な魔物が」
呆然として、シェルダンが呟く。ここに来て退却の判断をして良かったと思えるような相手のようだ。
確かにルフィナの目にも強烈な瘴気を感じられる。近寄りたくない。
(早く逃げなきゃかしら)
ルフィナがそう告げようとして、ゴドヴァンの方を向いたそのとき。
同時だった。
巨大な光の刃が神殿の入り口から伸びて、双頭竜の身体を両断する。柔らかい肉をナイフで斬るかのように、たやすく。
「レ、レナート様?」
渇いた声でルフィナは声を上げていた。
振り向くシェルダンも愕然とするゴドヴァンも見える。
誰とも話し合っていない。レナートの独断だ。
射程外から一方的に切り裂かれた双頭竜。
さらにもう一撃、今度は横薙ぎの一撃が走る。
身体ごと魔核を光の刃が切り裂いたことにルフィナも気付く。勝ったという実感を抱くこともないまま。
青空が広がる。
「レ、レナート様、何を?」
かすれた声でゴドヴァンが言う。
「相手が階層主しかいないのなら。君たちの仕事は最低限でいい。あとは私がやる」
微笑んでレナートが言う。
穏やかな笑みに凄みがあった。
シェルダンもゴドヴァンもルフィナも気圧されてしまう。
「次、だなんてね。私は娘を魔塔に上らせはしない。こんな危険な場所。この私が叩き切ってくれる。当代の聖騎士として、一本たりとて、こんなものは残してはおかない」
力強くレナートが言い切った。
シェルダンの方へと向き直る。
「シェルダン、さっき、君は怖かったかもしれない。正直、怯えていたね?だがここで頑張れば、君や君の子孫が怖がらなくてもすむ世界が待っている。ここまで来たんだ、あと1つだ。戦い抜こう」
レナートが激を飛ばす。
力が漲ってくるのをルフィナは感じた。ゴドヴァンともシェルダンとも目配せをする。
同じ気持ちであることを確認し合う。
レナートがいれば、希望はあるのだ、と。
あともう一つなのだ、と。
「私達はただ、レナート様に引っ張って貰っていただけなのかもしれない。そして、あの御方の決意の程を本当には理解していなかった」
ルフィナはセニアとクリフォードを交互に見比べて言う。
もし、二人合わせてでもレナートと同程度であれば、十分に期待はある、とルフィナは思っていた。
「だが、あれだけの力と実績を見せられてから、やるぞ、って言われりゃあな。俺はおろか、あのシェルダンですら納得して。受け入れるしかなかったんだ」
ゴドヴァンも頷いて同意する。
セニアとクリフォード、2人とも神妙な顔で聞き入っていた。
「そして、納得させられた私たちは、レナート様と最上階へ行き。そして」
ルフィナは言葉に詰まる。あれから随分時間が経過したというのに。
「そして、おめおめとあの人を死なせた」
ゴドヴァンが後を引き継いで言ってくれたのであった。




