335 特務分隊〜イリス3
シェルダンが苦笑いだ。敵わないな、という顔であり、随分唐突なペイドランの発言が当たっているらしいとイリスにも分かる。
「え?何?まだ何かあるの?」
イリスは素直に驚く。
夫の鋭い直感にももちろんなのだが、シェルダンの長話にもびっくりだ。あれだけ喋っておいて、まだ本題にも入っていなかった、ということなのだから。
(ペッドったら、よくこの、読みづらい人の頭の中が分かるわね)
イリスは夫の横顔を見上げて思う。
「あぁ、まぁ、そうだ」
シェルダンが仏頂面で頷く。頭の中で話すことの取捨選択を、未だにしているかのようだ。
「ホント、隠し事ばっかりの人ね。話もほんっとうに長いし」
憮然としてイリスは告げる。
ペイドランまで苦笑いして、手をイリスの拳に重ねる。自分も現金なもので、少し落ち着いた。
「まさか、また死んだふり?」
少し考えてから、イリスは他に何も思いつかなくて尋ねる。
的外れではあるのだろう。かえって気まずそうな顔をシェルダンがしてから、意を決したように口を開く。
「いや、ペイドラン。実はお前に、セニア様らとの魔塔上層攻略へ参加してもらいたい」
思わぬことをシェルダンが言う。
イリスはペイドランと顔を見合わせる。
「それは、セニア様たちから、要請でもあったんですか?」
落ち着いた口調でペイドランが確認する。
「いや、俺の一存だ」
シェルダンが即答した。
(そもそも、セニアのことだから、あたしたち全員が一緒に上るぐらいに、まだ思ってるでしょうね)
付き合いの長い女聖騎士の胸中をイリスは思い浮かべる。
そして、はたと気づく。
「え、ペッドが上がるの?じゃあ、私は?」
思わずイリスは腰を上げかけてしまう。
更に深い渋面をシェルダンが作った。
「あんたは最古の魔塔じゃ危ない。ペイドラン一人だけだ」
つまり足手まといだというのか。
身の程が分かってはいても、どうしても屈辱にイリスは感じてしまう。
「じゃあ、嫌です」
ペイドランがしかめ面で却下した。ギュッとイリスの手を握る。
イリスも握り返した。思いは同じだ。離れたくない。
(でも)
なぜペイドランだけなのか。メイスンもガートナーもつけないのだ。
夫を誰よりも高く買っているイリスには分かってしまう。はっきり自分が足手まとい、と言われたことで尚更に。
(確かにペッドなら、独りでも、セニアたちの大きな助けになる。本人は嫌になっちゃったみたいだけど)
余程、硬い魔物でなければ、ペイドランの飛刀と直感は大いに威力を発揮する。大型の魔物相手でも、目潰しや急所を撃ち抜くことで、本当は貢献できるのだ。自分とは違う。
(でも、それも、私、という足手まとい、気がかりがなければ、の話)
自分でもシェルダンの考えが手に取るように分かってしまう。ペイドランが魔塔攻略から離脱したのは、イリスも共に上った、あのゲルングルン地方の魔塔の直後だった。
(あと、多分、シェルダンさん、こっちにも戦力を残しておきたいのね。何かは分からない。でも、それだけ大事にコトを運ぼうとしてる)
イリスはそっとペイドランの横顔をもう一度見上げる。
離れろ、と言われれば自分たちが反発するのは目に見えていた。それでも言ったのである。
(ペッドは本当にすごいんだ。いろんな人に、必要とされて)
一途に自分を愛してくれて、とても頼りになる夫だ。独り占めして、自分に縛り付けてはいけない。それにそもそも巻き込んだのはイリスの方なのだ。
「行ってきて、あげたら?」
思っていた以上にかすれて弱々しい声だ。こんな声ではダメである。
「イリスちゃん?」
心配そうな顔をペイドランにさせてしまった。
逆にシェルダンのほうが驚いている。
(あなたじゃダメよ、ペッドを説得するなら、やっぱり私)
思わずイリスは笑みをこぼす。どう言ってペイドランをシェルダンが説得するつもりだったのか。くどくど言っては、かえって失敗するだろう。
「シェルダンさんの言うこと、正論だと思う。魔塔上層にペッドが必要なの、あってる」
かろうじて普通の声音でイリスは告げた。
「駄目だよ、王都攻略だって、戦争なんだから。俺、イリスちゃんを守らなきゃ」
どこまでも自分を甘やかしてくれる旦那様だ。イリスは泣きたくなるほど嬉しくなった。
自分をシェルダンが巻き込んだ理由もよくわかる。
「ペッドを魔塔に送り込む。あんたが心配しなくてもいいように、放っておくと、戦いにどう首を突っ込むか分からない私の面倒は自分が見る。責任を持って。これがシェルダンさんの考え。違う?」
イリスは夫とシェルダンとを見比べて尋ねる。
「ドレシアの魔塔でも言った。俺の代わりをこなせるのは、俺以上にむしろできるのはペイドラン、お前だけだ。頼む代わりにイリス嬢にも役に立ってもらい、その上で、死なせない。約束する」
シェルダンが真剣な顔で断言した。
言われてペイドランが俯く。迷っている顔をしていた。
「でも、ここまでするなら、本当に王都でセニアを助けられるの?それが違うなら許せない」
一応、イリスは釘を刺しておく。
シェルダンが頷く。
「何年も、考えてきたことだから。そこは間違いない」
ペイドランが顔を上げた。
「死なせないだけじゃ、足りないです。怪我1つ、させちゃダメです」
なんとも嬉しいことを夫が言う。
ただ少し過保護なぐらいだ。
「分かった」
苦笑いしてシェルダンが頷く。
「病気もだめです」
ペイドランが更にいう。なんとも過保護である。
「え」
さすがにシェルダンが驚く。
「あと、元気なくなってたら、だめです」
ペイドランがまた更に言う。本気の顔だ。逆らったら飛刀を投げかねない。
「いや、ペイドラン」
元気の有無までは面倒を見きれない、と思ったのだろう。適当に安請け合いは出来ないシェルダンの性分なのであった。
「飛刀、投げます」
ペイドランが高らかに宣言した。いつの間に出したのか、手には短剣を持っている。じっと見つめていた。
冗談だと分からなければ、なかなか怖い。
「もうっ、ペッド、過保護すぎるよ」
イリスもさすがに苦笑いである。
「今回が最後。だから、私たち、出来ることしようって、話し合ったじゃない」
身を寄せて、イリスは告げる。心置きなく平和な世界で仲良くするために、少しの間、我慢をしなくてはならないのだ。
まだ憮然とした顔のペイドラン。今度は両手を握って絶対に離れないよ、の意思表示だ。
「絶対に死なない、怪我もしない。病気もしない。元気一杯でずっといるから、ね?」
半分は自分自身に向けた言葉だ。危地へ赴く夫を気兼ねのない状態にしてあげたくて、イリスは決意する。
「ペイドラン、お前のことも、俺は死なせない」
二人のやり取りを見守っていたシェルダンがまた口を開いた。
思わぬ言葉に驚いていると、シェルダンが分厚い冊子を二人の目の前に置く。鞄に入れて背負っていたらしい。
「何これ?」
イリスは指差して尋ねる。
嫌そうな顔でペイドランが身を引く。書物と勉強が苦手なのだ。忌避しているといってもいい。
「俺が最古の魔塔を上がったときの記録だ。基本、魔塔の主を倒せなかった以上、復元するときにはまた似たような形になる」
淡々とシェルダンが告げる。
「じゃあ」
イリスはペイドランと冊子とを見比べて言う。
「これをしっかり勉強すれば」
どんな地形でどんな魔物があらわれるのか、どこにいるのかも丸分かりで挑めることとなる。つまり、ペイドランの生存率が上がるということだ。
「でも隊長、俺、勉強とか覚えるのとか、苦手です」
唯一の泣き所を前にして、情けない声をあげるペイドラン。
イリスは力づけようと、夫の頭をヨシヨシしてあげた。
「やっぱり上るの、隊長じゃダメなんですか?」
それでもとうとうペイドランが話をそこまで戻してしまう。よほど勉強が嫌なのだ。
「俺は外でやることがある。これは、お前には出来ないことだ。人柄が素直すぎる」
にべもなくシェルダンが言う。やはり、ややこしいことをしようと考えていることが窺えた。
「そこは妻のためだ。無事に帰るのも、な。だから、お前もしっかりと頑張れ」
さらっと断言され、ペイドランが魔塔攻略へと挑むことになるのであった。




